96.彼女さん
月野瀬の西空が茜色に染まっていく。東空には気の早い星が瞬き始めている。
山から吹き下ろされた風が、沙紀の左右2つで結われた色素の薄い髪を揺らす。
「ん~、いい風」
昼間と比べ、随分と和らいだ陽射しと涼を運ぶ風に目を細めながらあぜ道を歩く。
沙紀は巫女装束だった。目立つ姿ではあるが、月野瀬では見慣れた光景である。
村の祭りや集まりといったイベントごとの一切を取り仕切る神社の1人娘であり、よくその手伝いをしてきた沙紀が巫女姿であちこちへお遣いする様は、月野瀬の風物詩とも言ってもいいだろう。
今も畑帰りの住人とすれ違えば、手をあげて声を掛けられる。
「おや、沙紀ちゃん、どこか用事かい? やたら上機嫌みたいだけど……霧島の坊主と何かあったか?」
「うぇっ!? ち、違いますよぅ! そ、その、源さんのところまで」
「ははっ、そうか。気を付けてな」
「は、はい~っ」
一瞬にして顔を真っ赤にした沙紀は、それを誤魔化すようにして足を速める。もう一度吹き下ろした風が白衣の小袖と朱袴を揺らす。
(うぅ、そんなに顔に出てたのかなぁ?)
そんなことを考えながら、スマホの入った袖口を押さえる。
『時間がある時で良いので、源じいさんとこの羊の画像、撮ってくれないか?』
それはつい先ほど、境内の掃除中に入った隼人からのグルチャの書き込みである。
隼人からの頼まれ事――それは沙紀にとって何よりも優先されるものであり、竹箒を放り出して向かっているのだった。
ちなみに周囲の沙紀の気持ちについては先の反応から推して知るべしである。
「源さーん、源さんいますかー? ……うーん、誰もいないのかなぁ?」
声を掛けるも反応はない。
沙紀は困った顔を作りながら玄関の柵を外して中に入り、裏手を覗く。褒められた行為ではないが、田舎では同じ住人ならば勝手に入ったところで咎める人などいない。
「う~ん、お留守みたい」
「めぇ~」
「あら?」
「めぇめぇ~」
源家は月野瀬によくある農家の造りだ。他家と違う部分と言えば、母屋と隣接するように建てられている羊小屋だろう。
敷地内に放し飼いにされている羊たちは、沙紀の姿を見つけるとめぇめぇと甘えた声を出しながら、撫でろとばかりに頭を擦り付けてきた。人懐っこく、よくあることだ。
「まぁいいか、目的はあなた達だし。写真撮らせてもらっていいかな?」
「めぇめぇ!」
「ふふっ、ちゃんと撮らせてくれればいい子いい子しますからね~、ってあぁ、もぅ、袴噛まないで~」
沙紀はその後、順繰りに撫で上げた後、んめぇ~と機嫌良さそうに鳴く羊をスマホで収め、グルチャに送るのだった。
◇◇◇
月野瀬の数少ない灯りが消えていき、上弦の月が西の山にかかる頃。
神楽舞の練習を終えた沙紀は、シャワーで汗を流しながら悪態を吐いていた。
「もぅ、おばあちゃんったら~っ」
今日の練習も熱が籠っていた。当然だ。今年の夏は自分の舞を目当てに隼人がわざわざ見に来てくれるというのだ、最高のものを見てほしいと思うのは無理からぬこと。
ただそれを、師でもある祖母に「舞に色が出て来たねぇ、誰を思ってるのかねぇ」とにこにこ笑顔で言われれば、ヘソを曲げるのも当然だろう。
「さてと、返事は来てるかなぁ~?」
そんなもやもやしたものもシャワーと一緒に洗い流した沙紀は、長い髪を湿らせたまま自分の部屋に戻る。
ベッドの枕元に置かれたままのスマホはいくつかの通知を告げており、すかさず確認すれば――驚き固まるのだった。
『お、早速送ってくれたみたいだ。村尾さん、ありがとう』
『うんうん、やっぱりめぇめぇに似てるよね、みなもちゃん……ってどう、ちゃんと出来てる?』
『はい、大丈夫ですけれど……ええっと、私がここに参加していいんでしょうか?』
『あーいいんじゃない? 後で沙紀ちゃんにも紹介しないと』
そこでは霧島隼人、†春希†、ひめこの見慣れたアイコンだけでなく、先ほど自分が撮った羊に三岳という見知らぬ誰かがおり、混乱する。
(え、誰…………ふぇっ!?)
そして続けて流れた画像に息を呑んだ。
『でもさぁ、アイコンと比べると分からなくもないけど、おにぃもはるちゃんも女の子に対してひどくない?』
『そ、それはまぁ、その、すまん』
『あ、あはは~。あ、でもそのみなもちゃん、我ながらよく撮れてない?』
『あぅぅ……』
随分と可愛らしい女の子だった。左右には春希と姫子に囲まれてあわあわとしており、2人と比べても小柄で小動物的な愛嬌がある。
それでいて、癖っ毛だという髪を丁寧に編み込まれてセットされ気品があり、どちらかと言えば同世代に比べて童顔の彼女に怪しい色香とも言えるものを演出している。沙紀も思わずゴクリと喉を鳴らす。
(きれかわいい――って誰ぇっ!?)
沙紀は戸惑いつつも、まずはどういう状況かと把握すべく状況を正座して見守る。
『それにしてもみなもさん、今日は春希の奴が強引ですまなかったな』
『いえ、その、こちらこそ夕食一緒になってその、ネギ塩チキン美味しかったです!』
『はるちゃん張り切り過ぎて、晩御飯ネギまみれになっちゃったけどね。あ、そのはるちゃん大人しくしてる? 迷惑かけてない?』
『ひめちゃんはボクをどう思ってるのかな?!』
『春希、迷惑かけるんじゃないぞ? 枕は投げるなよ?』
『もぉ、隼人までーっ!』
『あ、あはは』
『でもはるちゃんはお泊りかー、なんか楽しそうでいいなー』
何となく状況は理解できたが、どうしてこうなってるかわけが分からなかった。
ただ見知らぬ美少女が親友や想い人、好敵手と仲良くしているというのはわかる。しかもどうやら今日は一緒に夕食を摂り、春希はお泊りに押しかけているらしい。
なんだか自分の知らないところで勝手に進行している事態に、疎外感を覚えると共にひどく動揺してしまい、スマホを持つ手が滑って『こn』とわけのわからない文字を書き込んでしまっていた。
「あっ!」
思わず大きな声が漏れてしまうがもう遅い。
既に沙紀が書き込んだ言葉に反応し、どんどんとチャットが流れていく。
『と、村尾さんだ、よかった。今日はもう寝たのかと思った。いきなりで済まないんだけど、紹介したい人がいるというか、気付いた時には春希が招いていたというか』
『あのその、三岳みなもと申します。ええっとその、隼人さんには同じ園芸部でお世話になってまっす!』
『園芸部って言っても育ててるの野菜だけどねー。あ、ボクも何度か手伝ってるよ』
『あ、もしかして時々おにぃがもらってくる野菜って……?』
『はい、隼人さんには色々細かいことを教えてもらってます!』
沙紀の胸中は穏やかじゃなかった。だが丁寧にあいさつをされれば返さないわけにもいかない。少しばかり震える手で必死に文章を紡いでいく。
『先ほどは失礼、村尾沙紀です。よろしくお願いしますね』
『そうそう、聞いてよ沙紀ちゃん。おにぃったらひどいんだよ? みなもさんと知り合った切っ掛けが源じいちゃんのところのメェメェと似てたからついだって!』
『ボクもそれを聞いてちょっとなーって思ったよ。まぁ、わからなくはなかったけど』
『あぅぅ……』
『勘弁してくれ……』
今も降って湧いた、春希や姫子と違った系統の美少女を中心に話が盛り上がり、心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。
幸いにして沙紀の恋する乙女センサーに引っかかる会話がないものの、焦りから胸がどうしようもなく焦がれている。
『ま、まぁ俺の事はいいだろ、それよりも村尾さんだ。事後承諾だけどみなもさんをここに招いていいだろうか? その、春希や姫子も源じいさんところの羊枠にすれば月野瀬グループでもありだって言ってるのだが』
『え、あ、はい、別に構いませんよ』
周囲に弄られ旗色が悪くなった隼人は、春希や姫子から『あ、逃げた!』『おにぃったら男らしくない!』という声を聞き流しながら強引に話題を変える。
『で、みなもさん、こちらが村尾さんな。月野瀬の神社の巫女さんで凄く綺麗でカッコいい舞いをするんだ。本人もすごく可愛らしい、いい子なんだぜ』
「んぇっ!? げほっ! けほけほっ!」
本人もすごく可愛らしい――沙紀はその言葉に驚き、咽てしまった。
だが驚き動揺させる隼人の言葉は止まらない。
『しかも見た目詐欺の春希と違って儚げな印象そのままに落ち着いて礼儀正しい子だし、ぐぅたらな姫子と違って神社の手伝いも一生懸命で村のみんなに可愛がられている良くできた子だ』
『隼人ーっ、見た目詐欺って何っ!?』
『おにぃ、あたしそこまでぐうたらしてないし、普通だしっ!!』
『あ、あはは……』
それだけでなく続けて褒められれば、顔だけではなく耳の先まで熱くなってしまうのを自覚する。
(あ、あぅぅ……)
沙紀の胸の中は、一足早くお祭り状態になっていた。無理もない。
今も手に持つスマホの画面では春希と姫子が『贔屓だ!』『あたしそこまでひどくないし!』という抗議の声を上げれば、『お前ら村尾さんを見習え!』という隼人の発言が飛び出せば、これ以上なく頭が茹で上がる。だが決して悪い気はしない。
心はどうしたってふわふわしてしまい、ベッドの上では意味もなく枕を抱えてごろんごろんと転がってしまう。いつまでもこの状況に身を委ねてしまいたくなる。
『あはは、それだけ沙紀さんは、隼人さんにとって自慢の彼女さんなんですね』
そしてみなもが落とした爆弾によって時が止まってしまった。
あまりの事に意識は白く吹き飛んでしまう。その言葉の意味をすぐには理解できない。
(か、彼女……? 私が……? お兄さんの……?)
本日何度目かのわけがわからない状態だった。
沙紀の体感でなかなか次のチャットが流れないところを見るに、時が壊れたのは自分だけではないのだろう。
その中で一番最初に我を取り戻したのは隼人だった。
『いやその村尾さんは姫子の、妹の友達なだけだ。だから俺の彼女だなんて間違われると迷惑がかかるから――』
『別に迷惑とも思いませんし、不快にも感じませんよ。氏子さん達の集まりとかでもよく「霧島の坊主とか婿にどうだい? 年も近いし働き者だけど、あいつ長男だから入り婿は厳しいかー、がっはっは!」とよく揶揄からかわれて慣れていますし、それにこのご時世に入り婿だなんて前時代的過ぎで私としても家名に拘る気もありません。あ、それから氏子の金宮のおじさんがお兄さんを消防団にぜひとも欲しいと手ぐすね引いておりますし、宴会ではこの時期ピリ辛厚揚げの豚肉巻きを食べたいって方がおおいです!』
それは沙紀史上、最速の指の運びだった。
隼人の言葉を打ち消したくて、そして必死にアピールする。必死過ぎて最後の方は自分でも何て言っているのかわからない。
『え、あぁ、そうなのか……』
『あたしも久しぶりにピリ辛厚揚げ豚肉巻き食べたい! 他にもトマト麻婆豆腐も!』
『姫子、生トマト苦手なのにそれは大丈夫なのな』
『あ、少しそれ分かります。私も生トマトは苦手ですがトマトソースやケチャップは大好きで、その、収穫したのはひたすら煮詰めてますし』
実際どれだけの空白の時間があったかはわからない。
だが色気より食い気の姫子の話を皮切りに、話題もそちらの方へと流れていく。
沙紀もこれ幸いとこの流れに乗るのであった。
『そうですね、この時期トマトカレーなんかもさっぱりして――』
ただひたすら、何かを誤魔化す様に言葉を連ねていく。
そしてみなもも特に気にすることなく野菜と料理の話へとシフトする。
(な、なんとか誤魔化せたかな~?)
ホッと安堵するも、沙紀はその後一切喋ることの無い春希には気付かないのであった。
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