299.……やだ


 思わず息を呑む春希。

 隼人のいう今度は大丈夫な客とは、沙紀や姫子たちのようだった。

 だけど今の春希にとって沙紀は、とてもじゃないが大丈夫と言い難い相手だった。

 先ほどまでとは違った意味で胸が嫌な風に騒めき出す。

 どうやら先ほどのやり取りを見られていたらしく、姫子と沙紀たちはとんだ災難だったねと眉でハの字を作っている。

 春希は咄嗟に彼女たちと同じように困った顔を作り、照れ隠しを装いながら沙紀から視線をずらす。沙紀を、隼人のことを好きな友人を正面からまともに見られない。キュッと強く唇を結ぶ。

 そんな春希とは裏腹に、姫子と沙紀は一転して少し弾んだ声を上げた。


「はるちゃん、さっきみなもさんからお父さんのこと聞いたよ!」

「本当に良かったです! しかもこっちで一緒に暮らすんですってね!」

「あ……みなもちゃんから聞いたんだ」


 明るい知らせに頬を綻ばす姫子と沙紀。

 どうやら外で待っている間に、みなもから父との顛末を聞いたらしい。

 春希も目をぱちくりさせた後、釣られて口元を緩ませる。

 外へ視線を向けると、いつもより明るい表情で列の整理を呼び掛けているみなもの姿。

 おっと、いけない。余計なことを考えず、今は自分もちゃんと仕事をしないと。

 気を取り直した春希は猫を被り直し、姫子や沙紀たちを席へと案内し、少々芝居がかった調子で定型句を口にする。


「ご注文がお決まりになられましたら、呼びくださいね♪」

「あはっ、はるちゃんなんかアイドルっぽーい」

「ま、こういう風な方がお客受けがいいからね」


 茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、チロリと舌先を見せれば穂乃香たちからも小さな笑いが上がる。

 そしてこの場から逃げるようにして仕事へ戻る春希。

 しかし忙しなさに身を置きながらも、やはり視線は自然と沙紀を追ってしまう。

 沙紀が姫子たちと一緒に御菓子司しろにやってくるのは、今までもよくあることだった。

 沙紀の色素の薄い髪と肌、それから整った顔立ちは春希の目から見ても、周囲から頭一つ以上抜きんでた容貌をしている。月野瀬の田舎で同世代と話すことにあまり慣れていない沙紀は、ともすればやっかみなどの対象になり、孤立したりイジメの対象になりかねない。

 しかし穂乃香たちは楽しそうに笑っている。今日だけでなく、いつも。きっと、沙紀の人柄もあるのだろう。

 その沙紀をよくよく見てみれば、話しの合間を縫ってちょくちょく隼人の姿を探してていることにも気付く。

 隼人を見つけた時は表情を嬉しそうに綻ばせ、目が合うだけで幸せそうに口と目をふにゃりと緩ませる。その姿は、微笑ましくも可愛らしい。

 穂乃香たちの何人かはそんな沙紀の様子に気付いているようで、陰ながら応援しているようだ。その気持ちもよくわかる。

 あぁ、沙紀は正に女の子らしい女の子だ。

 ――自分と違って。

 ズキリと痛む胸に手を当て、くしゃりと顔を歪ませる。


「――春希?」


 その時、厨房から隼人に声を掛けられた。

 一瞬ビクリと肩を跳ねさせた春希は、嬉しさと動揺が入り混じった心を悟られまいと、咄嗟にいつも通りを心掛けた仮面を被り直し、向き直る。


「どうしたの、隼人?」

「いや、姫子たちの分が出来上がったから、持ってってくれ――って、春希?」

「っ」


 しまった、と思った時には遅かった。

 今、沙紀にどんな顔をしていいかわからないという心境が顔にありありと表れていたようで、隼人は怪訝な表情で顔を覗き込んでくる。色んな意味でドキリとしてしまう。


「は、隼人が持ってってあげたら? その方が沙紀ちゃん、喜ぶんじゃない?」

「っ、あ、あー……それは……うー……」


 つい咄嗟に飛び出した揶揄うような言葉で、隼人の顔と態度がみるみる気恥ずかしさを帯びた狼狽へと変わっていく。今まで見たことのない姿だった。


(……ぁ)


 それは明確に、隼人が沙紀のことを意識していることを示していて。

 思考が一瞬、真っ白になってしまう。


「ま、まぁ春希は他の人にサービスしなきゃならないもんな。姫子たちのところはせっかく身内が来てくれたんだし、一度くらい顔を見せておくか」

「――……っ」


 隼人はそんな言い訳めいたことを口にして、沙紀の方へと離れていく。

 キュッと、心臓が凍り付く春希。

 ふと、2人はお似合いなんじゃと思ってしまった。

 時々、突拍子もないことをしでかす隼人を今の沙紀なら受け止め、なんなら一緒になって歩むに違いない。

 隼人にとっても一途でしっかりとした芯のある沙紀は、半身を預け寄り添い、共にある相手として申し分ないだろう。

 2人が仲睦まじく肩を並べる姿が、容易に想像できる。

 だけど春希はその光景を到底受け入れることができなかった。

 隼人の隣は。この幼い頃から相棒・・のことだけは譲れない。

 認めない。認めてたまるか。

 腹の奥底からじくりと黒い感情が全身を蝕む。

 頭の冷静な部分では、それが嫉妬だと明確に自覚していた。

 沙紀は、友達だ。大切で大好きな、友達だ。

 だけど、どんどん湧き起こる沙紀へと妬ましさが止まらない。


「……やだ」


 春希は潰れそうになる胸を押さえ、遠く離れていく隼人の背中へ、涙混じりの声で小さく呟いた。



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