118.何やってんのさ


 お昼を食べ終え、今度は流れるプールに繰り出すことにした。


 ちなみに姫子はまたもウォータースライダーに突撃しそうになったのだが、一輝の「せっかくプールに来たんだし、他の種類のものも制覇しないともったいないよ?」という言葉で、すぐさま気を変えた。相変わらずその辺チョロい姫子である。

 なお一輝をはじめ春希や伊織たちも「やっぱり兄妹だ……」と妙に納得したような言葉を零し、隼人は不承不承といった顔をして何も言えないでいた。


 こうじえんの流れるプールも、間違いなくウォータースライダーと並ぶ目玉の1つだ。

 プールの外周を堀の様に循環しているそれは、川の様に流れの緩急、曲がりくねった蛇行に急カーブ、底の深浅などコース内のバラエティも凝っており、ただ流されるだけでも楽しいものである。

 幅も広く、多くの人が和気藹々と思い思いに水を楽しんでいる。


「は、隼人っ! やっぱり浮かない沈む! 無理、どうすんの!?」

「はいはい、身体に力が入り過ぎだ、春希。それにここならバタ足しなくても勝手に流れてくれる。だからまずは浮くだけを考えろ」

「うぐぐ……そうは言っても……っ!」


 他の皆が流れるプールを楽しむ中、隼人は春希の泳ぎの練習に付き合っていた。

 春希は自己申告の通り、カナヅチの一言である。

 とにかく沈む。浮かない。水面でバタ足をしようとしても、何故か水中に足が沈み溺れるようにもがいているように見える。ある意味才能だった。先ほどから何度挑戦しても、この体たらくである。


「あーほら、俺の手を掴め。別に顔は水につけなくていいから。力を抜いて水に身を任せてみろ」

「は、離さないでよ!? 絶対に手、離さないでね!!」

「っ! 絶対離さないから安心しろ」

「信じてるからねっ!」

「あ、あぁ」


 随分と際どい発言をしているが、本人はそれに気付いていない。隼人は眉を寄せている。

 そして、再度浮くことに挑戦する春希。必死に隼人の手をこれでもかと力を込めて掴み、強張った身体は浮かび上がることなく、ぺたんと足が水底につく。


「春希……」

「…………」


 流れるプールで立ち止まり、手を繋いで向かい合う年頃の男女。

 春希の顔は羞恥で真っ赤に染まり顔を逸らし、それを見つめる隼人の表情はすごく残念なものを見るものだった。


「ええっと、もっかい! もっかいチャレンジ、ね!」

「今度はちゃんと力を抜けよ、手は握るんじゃなくて添えるだけでいい。風呂とかでぐてーっとする感じだ」

「お風呂でぐてー……ん、こうかな?」


 今度は成功した。とはいうものの下半身は完全に水の中に沈んでしまっており、浮くというよりかは漂うといった方が良いだろう。実際流れに身を任せているし、そちらの方が適切だ。

 だが、先ほどまでのことを考えると大進歩である。


「春希、出来たじゃないか」

「っ、だ、黙ってて! 今集中してるの!」

「お、おぅ、すまん」


 春希はやけに真剣で難しい顔をしていた。どうやら脱力するのに全力を注いでいるらしい。

 隼人はその春希らしい様子にくつくつと喉を鳴らす――その時だった。


「あ、ごめんなさい!」

「うわ……おっと!」

「っ!? は、はひゃっ!?」


 ドン、と隼人の背中に浮き輪のボートがぶつかった。その拍子に手を離してしまう。

 ぶつけた小学生と思しき男の子たちは、バツが悪そうに謝るものの、隼人も春希もそれどころじゃなかった。


「春希っ、落ち着け、足は着くから!」

「もが……あぷ……っ!」

「っ!?」

「はぁーっ、はぁーっ、けほ、けほっ……」


 思いっきり水の中へと沈んでしまった春希は、突然のことでパニックになり手足をバタつかせ藻掻く。

 隼人は素早く手を伸ばし叩かれながらも春希を抱き上げる。春希も必死になってしがみつく。


「……あーその、大丈夫、か?」

「うん、大丈夫。もうびっくりしたよ」

「そうか。その、近いから、離れてくれると……」

「っ!? ご、ごめんっ!」

「い、いや……」


 春希を救出した結果、非常に密着してしまっていた。抱き合ってると言っていい。

 その状況に気付いた春希は済まなさそうな顔をして、慌てて身を離す。

 本日はプール。水着である。

 隼人は不意打ちだったとはいえ、想像よりも遥かに柔らかかった春希の肢体、頼りない布越しで感じた確かな膨らみの弾力、吸い付くような肌の感触をダイレクトに感じてしまう。頭が春希という異性によって本能が刺激され、沸騰してしまっていた。


「きゃーーーっ! あははははははっ!! すごいすごい、はるちゃんも泳げないなら浮き輪で遊べばいいのに……あ、一輝さん、今度は流れを横切るように進んでください!」

「ははっ、仰せのままに、お姫様っ!」

「っ! ひめちゃん……」

「…………あー、一輝も、あいつ何やってんだ」


 そこへ、浮き輪の穴にスポっとお尻から突っ込んだ姫子が、流されながら横切った。後ろから一輝が、運転手よろしく浮き輪を押している。

 どうやらプールの流れを利用して、逆走したりジグザク蛇行したり浮き輪で流されたり泳いだりするのを全力で楽しんでいるようだった。


 姫子も、一輝も、その表情は今まで見たことがないほどの、無邪気な笑顔を弾かせている。正直、少し意外な組み合わせだとは思う。

 だけどそんな笑顔を向けられれば、隼人も春希も頬を緩ませ、やれやれと苦笑を零す。

 また、渡りに船でもあった。これ幸いとネタにして話をずらす。


「あー、まずは浮き輪で浮く感覚を掴むってのもありかもな」

「そうだね。おーい、ひめちゃーん! ボクも混ぜてよー!」

「お、はるちゃん、諦めた観念した?」

「あ、ああぁああぁぁあ諦めたわけじゃないし、練習の一環だし!」


 姫子の下へと水を掻き分けていく春希の後ろ姿を見送る。

 いつもと違って水着のみの背中は、三つ編みで纏めているということもあって、華奢でなだらかな肩やくびれた腰つき、その女性らしい丸みを帯びた身体つきがよくわかる。

 美しいプロポーションだ。隼人からもそう見える。それは周囲からもそう見えたようで、周囲の視線が春希に集まっていることにも気付く。眉間に皺が寄る。

 実際、先ほど直で抱いてしまったことにより、その魅力を思い出し、血が上りそうになってしまう。


 その時、春希と入れ替わる形で一輝が手を上げてやってきた。

 その顔はいつもよりにこにこと輝かせており、隼人も苦笑しつつもそれに手を上げて応える。


「隼人くん、これは浮き輪をもう1つ用意した方がいいんじゃないかな?」

「そうだな。最初っから用意しとけばよかった」

「ははっ、二階堂さんが絶対泳げるようになるから要らない、っていってたっけ」

「ったく、あっても損がないってのに」

「ははっ、それにしても楽しいね。こんなに楽しいのは、すごく久しぶりだよ」

「……一輝?」


 そういって一輝は本当に嬉しそうに楽しそうに、屈託のない笑みを浮かべている。

 だがそこには一筋だけ影が差しているのにも気付く。


 元カノ、そして先日映画に行った時に遭遇した中学時代の同級生。そのことが脳裏に過ぎる。

 何があったかはわからない。だがそれは過去のことだ。

 誠に遺憾ながら、隼人はの一輝は信頼に足る相手だと認めてしまっている。

 眉間に皺をさらに寄せ、はぁ、とため息を吐くと共に、両手で水を掬ってぱしゃりと一輝の顔へと豪快に掛けた。


「誘ってくれた伊織に感謝しないと、な……っと!」

「わぷっ!? い、いきなり何をするんだい、隼人くん!」

「ははっ、水も滴るいい男じゃないか、それっ!」

「……この、やったな、ほらっ!」

「ぷはっ、やるじゃねーか! お返しだ!」

「なんのっ!」

「わははははははっ!」

「あははははははっ!」


 隼人と一輝は流れるプールで流されつつも、水を掛け合う。何が可笑しいのか、笑いながら、バカみたいに、子供みたいにただただ掛け合う。だが楽しくて盛り上がる。


「……男同士で何やってんのさ、隼人」

「……一輝さんもおにぃみたいに子供っぽいところがあるんですねー」

「「っ!?」」


 そこへ浮き輪に乗った春希とそれを曳く姫子が、呆れた顔でやってきた。

 思わず手が止まる。隼人はバツの悪い顔をして、早口で言い訳を紡ぐ。


「あーその、どちらがもう1つの浮き輪を取りに行くかって勝負してたんだ。で、まぁその、よく考えたら一輝を1人で行かせるとそのへんで逆ナンされるだろうから、俺が行ってくるわ。じゃ、春希や姫子のお守り、お願いなっ!」

「隼人くんっ!」

「あ、おにぃ逃げた」

「うん、逃げたね」


 そして隼人はそそくさと退散する。

 背中からは、呆れたような揶揄うような声と共に、姫子が声を掛けてくる。

 少し、頭を冷やす時間が欲しかったのも事実だ。


「おにぃー、あたしたち波の出るプールで待ってるからねーっ!」


 隼人はそれに手を上げて応え、そしてちらりと振り返る。


 すると、仲良く手を繋ぎながら仰向けでプールに流される伊織と伊佐美恵麻の姿が見えた。

 そして、そんな2人にどう声を掛けようかと顔を突き合わせて困った顔をする春希と姫子、一輝の姿を確認して、更衣室のロッカーへと足を向けた。

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