119.一体何をしているんでしょうか、隼人くん?


「ふぅ……これでよし、と」


 隼人は更衣室のロッカーで、浮き輪を膨らませていた。

 別に合流してから現地で膨らませてもよかったのだが、すぐに使える状態にしていないと姫子、そして春希が文句を言う様をありありと想像出来てしまったのだ。


 周囲を見渡せば、隼人と同じように膨らませている人たちも見え、彼らも浮き立っているように見える。きっとプールを楽しみにしているのだろう。

 もちろん、隼人もその自覚がある。彼らを見ていると、自然と春希の顔が思い浮び――そして顔だけでなく身体も思い出してしまった。


「っと、たしか波の出るプールって言ってたっけか」


 敢えて口に出して、必死になってその不埒な感情を散らそうとし、浮き輪を片手で弄びながら更衣室を出て、場所の確認のために近くの案内板へと向かう。


 案内板はこうじえんプールの全体像を簡潔なイラストで表したマップだ。

 プールの入り口付近に設置されており、男女の更衣室からも近くの場所にある。

 待ち合わせには打ってつけの場所で、隼人たちが待ち合わせに使ったのもここだった。

 だから非常に活気がある場所なのだが、どういうわけか周囲から聞こえる声は浮き立ったものでなく、驚きと戸惑いの色が混じっている。


「おい、あの子ずっとあそこにいるけど……」

「待ちぼうけ? すっごい可愛いこだけど、その……」

「視線を向けられただけでだけで殺されそうというか……あれ?」

「どこかで見たことがあるような……?」


 彼らの噂の先には1人の少女がいた。派手で目立つ少女だ。

 春希に匹敵する均整の取れたプロポーションにプールでも映えるように盛られた髪、足を組み堂々とした姿は周囲からも一際輝いても見える。

 なるほど、人に見られる・・・・・・ということを意識しているという点では、春希よりもよほど注目を集めていることだろう。そして隼人には見覚えがあった。


(佐藤愛梨、だっけか……)


 本来なら彼女の美貌に惹かれて群がる人もいるに違いない。しかし、彼女は全身から不機嫌さを隠そうともしないオーラを放っていた。

 愛梨の周囲だけ剣呑な空気に染まっており、誰しもが遠巻きに見つめるだけである。

 いくら美貌に恵まれた少女であるとはいえ、怪我をするのを解かっていて抜き身の刃に触れたがるような人なぞいない。彼女はそういう類のものだった。隼人だって関わりたくはない。


「…………」


 しかし、少しぴくぴくしている彼女の足と、涼しそうにしつつも脂汗を滲ませる顔を見てしまえば、なまじ彼女が誰なのか・・・・を知ってしまっただけに、無視するのは気が引ける。

 それにもしここが月野瀬だとしたら、たとえ苦手な相手だとしても怪我・・をしているのを知って見て見ぬふりをすれば、村八分は免れまい。

 はぁ、と大きなため息を1つ。隼人は近くの自販機でスポーツドリンクを買って、足取り重く愛梨に近付き声を掛けた。


「その座り方、体勢が悪いぞ。もっと足を伸ばせ。それとこれ、飲んどけ」

「あ゛? ナンパとかお断りなんですけど」

「足、攣ってるんだろ?」

「~~~~っ!?」


 ちょん、と隼人が浮き輪で愛梨の左足を突けば、一瞬にして身体を強張らせた。そしてすぐさま我に返るとものすごい目で睨みつけてくる。

 隼人は早々に降参とばかりに両手を上げて、その顔は何に対してか呆れたように眉を寄せる。


「てめっ、ふざけてんじゃ――」

「もしかしてずっと水の中にいたのか? ほら、足を組んだままじゃなくて、伸ばして血行をよくしろ。あとこれで水分補給。プールって案外脱水症状を起こしやすいんだ」

「え? あ……わ、わかった、わかったってば……何なのよ、もう……」


 隼人は痺れていない右足の方を、またも浮き輪でつんつんとし色々と促す。愛梨は渋々ながらも足を伸ばしスポーツドリンクに口を付ける。

 本当は揉んだりしたほうがいいのかもしれないが、さすがにちょっと顔見知り程度の異性を相手に素足を触れるのは躊躇われた。それにそこまで彼女に興味もない。


 ややあって回復してきたのか、愛梨の顔は晴れやかになる。

 隼人は変にやせ我慢をしなければいいのに、と思いつつも、これで出番はおしまいとばかりに大きなため息を吐いてがりがりと頭を掻く。


「大丈夫みたいだな、次からは気を付けろよ」

「っ! ちょっと待ちなさいよ!」

「おわっ!?」


 踵を返し、この場を離れようとした時のことだった。

 愛梨はいきなり浮き輪を力強く引っ張り、隼人も不意を突かれたということもあって、大きくバランスを崩す。

 慌てて体勢を整えようとしてベンチに手を着けば、彼女はその期を逃さず、無理やりベンチへと座らされる形となる。


 隼人は一体どういうつもりかと隣へ抗議の視線をやれば、いっそ獰猛な獣と形容すべき鋭い眼光が飛び込んできて、息を呑む。


「……どういうつもり?」

「つもりもなにも、ただの自己満足……あー、ただのお節介だな」

「あーしが誰かわかってやってんの?」

「佐藤愛梨だろ? ……読モの」

「それをわかって、何が狙い?」

「狙いも何もねーよ、足を攣ってるのを見てられなかったってだけだ。俺はアンタにそれほど興味があるわけじゃない。その……一輝に話を聞いてなきゃ無視してたさ」

「っ!? ちょっと待って、あんた……っ!」

「っ!? ま、なっ、ちょ、顔近いって!」


 どうしたわけか目を見開いた愛梨は、いきなり隼人の顔を掴んだかと思うと身を乗り出して、まじまじと観察しだす。

 わけがわからなかった。

 隼人にとってみれば苦手な人種ギャルとはいえ、読モをつとめるほどの均整の取れた顔立ちとプロポーションを誇る愛梨に強制的に見つめられている格好だ。

 色んな意味でドキリとしてしまい、周囲から向けられる視線にも気に掛かる。


 眉をひそめていく隼人とは裏腹に愛梨の顔はどんどん険が取れていき、そしておかしくてたまらないという笑声を上げる。


「誰かと思ったらカズキチの友達・・じゃん!」

「今頃気付いたのか! 悪かったな、覚えにくい平凡な顔で」

「きゃはっ、ごめんごめん。あーし目が悪くてさー、さっきワンデーのコンタクトも流れちゃって」

「そうか、それは災難だったな。じゃあ俺は連れを待たせてるからこれで――」

「あ、ちょっと待ちなさいよ!」

「……なんだよ?」


 今度こそと立ち上がろうとすれば、腕を強引に取られ、愛梨もついでとばかりに立ち上がる。

 隼人はあからさまに嫌そうな顔を向けるも、彼女には関係ないらしい。


「あーしも友達と一緒なんだよねー。リバーサイドエリアに連れてってよ、はぐれた時の待ち合わせ場所なんだ」

「はぁ? そんなに1人で行け……って、もしかして歩けないほど目が悪いのか?」

「まぁね、かなりの近眼。これも何かの縁だしさ、それにほら、カズキチの中学のこととか話してあげよっか? あ、なんならお礼に腕組んであげてもいいよ、きゃはっ!」

「結構だ、掴むなら浮き輪にしてくれ」


 隼人は痛む頭を押さえながら考える。

 強引に絡んでこようと愛梨を邪険にするより、さっさと連れていった方が話が早いのではないか? そう判断をした隼人は、素早く彼女との間にガードとばかりに浮き輪を挟む。

 そして何が琴線に触れたのか、愛梨はより一層笑顔を輝かせてきゃははと笑う。

 何がおかしいのか分からない隼人は、やはりこの手の人種ギャルは慣れないなと、さっさと足をリバーサイドエリアへと向ける。






 リバーサイドエリアは流れるプールの外周部にある飲食店エリアのことだ。

 波の出るプールからもさほど離れておらず、さほど時間のロスもないと思ったからこそ、彼女を引率しようとした理由でもある。


 とはいえ厄介ごとはさっさと済ませたい。だが愛梨は足を攣っていた。

 治ったはずとはいえ気に掛かる。一応は気を付け、歩みを合わせゆっくりと進む。


「……キミさ、こういうの、ていうか女の子の扱いに慣れてる?」

「は? 別に慣れてねぇよ、田舎者って言っただろ? 同世代の女子は妹とその友達しかいなかった」

「へぇ……?」

「なんだよ」


 ふいに話しかけてきたかと思えば、急ににやにやとしだす。そしてうんうんと勝手に何を納得して頷いたかと思うと、どこかほの暗い、底意地の悪い笑みを浮かべた。


「カズキチさ、中学の頃何股もかけてたんだよね。あーしの時は3人目だったかな?」

「……………………は?」


 突然の話題転換だった。

 だが、聞き流すにはあまりにも衝撃的で無視もできそうもない。

 思わずドキリと動揺してしまい身体が強張り、それが浮き輪越しに愛梨に伝われば、きゃはっと愉快気な声が返される。


「カズキチさー、アイツ顔もいいしももっち――お姉さんから調教されていたというか、おもちゃにされていたというか、色々仕込まれてたんだよね。それで運動も出来るとなればモテるのも当然というわけで、中には強引に迫る娘もいたってわけ」

「……アンタのようにか?」

「言うねー。で、カズキチの奴さ、エスコートとかは慣れてても断るのとか曖昧でさ、自称彼女が何人も出てきたってわけ。ま、13や14のガキにあしらえって方も難しいか」

「つまり、一輝は昔からバカだったって話か?」

「っ!」


 隼人は動揺しつつも今の一輝や先日の独白のことを思い返せば、やはりということに辿り着く。それが口から零れれば、愛梨はもう堪らないと腹を抱えて笑い出す。バシバシと隼人の肩を遠慮なく叩く。


「きゃはははははははっ、なにそれウケるーっ! ていうかマジそれだわ! うんうん、カズキチほんとバカだからねーっ!」

「うわ、なに、やめろ!」

「はぁ、おかしー……そうだね、カズキチはバカで、そして残酷だ……。ね、1つ質問」

「……なんだよ?」

「もしさ、複数からの女の子から告白されたとしたらさ、アンタならどうする?」

「は? そんなのありえねーしわかんねーよ」

「……仮でもいいから答えて」

「……って、言われてもな」


 そして一転、笑顔から真剣な――思わず隼人がたじろいでしまうほどの表情へと変わる。混乱が加速する。

 そもそも隼人は誰かと付き合うということがよくわかっていない。ましてや自分が誰かに告白されるかだなんて、考えたこともないし想像したこともない。

 別に異性に興味が無いというわけじゃない。だが今は春希のこともあって、よくわからないというのが本音だった。


 困惑する隼人の顔を見た愛梨は、急に媚びるような顔を作り、虚をつく形で腕を抱いてしなだれかかってきた。


「っ!?」


 それは一瞬のことだった。

 手が、足が、左半身が、少しひんやりした愛梨によって絡みとられ侵食されていく。

 春希とは違う肌、ぬくもり、柔らかさを強制的感じさせようとさせつつ、愛梨はその唇を隼人の耳に寄せ、とんでもないことを呟いた。


「ね、色々シテあげるからさ、今日1日あーしと付き合ってよ」

「はぁっ――!?」


 一瞬にして頭が沸騰しかけるも、幸か不幸か熱くのぼせ上がるともなかった。


「――何をシテくれるのでしょうか?」

「「っ!?!?!?」」


 ゾクりと、背筋が強制的に震わせられる。

 意識が、感情が、生存本能がこれは危険だと訴える。


「帰りが遅いと思ったら、一体何をしているんでしょうか、隼人くん・・・・?」

「は、春希……」


 ゆっくりと声の下へと振り返れば、周囲の温度を下げかねないほどの清冽な空気を纏った可憐な美少女――二階堂春希・・・・・がそこにいた。

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