120.だから春希は叫んで手を飛ばす


 現れた春希は、どうしたわけか余所行きモードだった猫を被っていた

 柳眉を中央に寄せながらちょこんと顎に人差し指を当て、こてんと小首を傾げる様子はとても可憐で愛らしい。


 だというのに、隼人はぞくりと背筋が震えてしまう。


 よく見れば春希の目は笑っておらず、視線は隣の愛梨に注がれている。


「随分仲が良さそうですね? 隼人くんは一緒に来た私たちを放っておいて、そこの彼女さんとデートですか?」

「っ!? い、いや違っ……こ、これはだな、先日ちょっとしたことで知り合ったやつでその、足を攣ってコンタクトを流されたっていうからその……っ」

「やんっ、ちょっと!」


 春希の指摘によって、隼人はそこで初めて愛梨に抱き着かれていたことを思い出す。そして慌てて彼女を荒々しく引っぺがす。


「へぇ、知り合い……私の知らない間に、こんなにも華やかで綺麗な子と知り合ってたんですね。隼人くん・・・・がこーんなにも手が早い人だなんて知らなかったなぁ」

「えーっと、なんていうか先日一輝――」

「なるほどなるほど、海童さんをダシにお近づきになったと」

「……あぁ、その、くそっ!!」


 愛梨との関係は、なんとも上手く説明できないものであった。

 まさかこの公衆の面前で一輝の元カノと喧伝するわけにもいくまい。


 言いよどむ隼人の顔を見た春希はどう受け取ったのか、ますます怪訝な表情へと変えていく。

 すると、それまでにこやかだった作り笑顔を陰らせたかと思うと、しゅんと俯いた。

 そしてくいっと、浮き輪を心細そうにつかみ、いっそ哀れさを感じさせる声色で呟く。


「……私を捨てるの?」

「ちょっ、おいっ、言い方っ!?」


 演技だとはわかっている。

 だがそれは真に迫っていた。


 端から見れば清楚可憐な春希を袖にして、派手で華やかな愛梨へと乗り換えようとしている風に見えるだろう。

 ただでさえ春希も愛梨も、方向性は違えどそこいらにいる女子たちの中でも頭が1つや2つもとびぬけた美貌を誇っている。目立たないわけがない。そして春希の鈴を転がすような悲壮な声色は、周囲にとてもよく響く。


「おい、アイツ……」

「アレだけの子を振って乗り換え……って、ちょっと待てよ?」

「あの子、佐藤愛梨に似てね、ていうかそっくりじゃね!?」

「まさか本人!? なら仕方ない……っていうかあの男、誰だよ!?」


 必然的に周囲の好奇の視線を集め、突き刺さる。外野も騒がしくなる。

 そんな周囲の声を耳にした春希は、ぎゅっと浮き輪を掴む力を強めた。


 よく見れば、肩が震えているのが見て取れる。だがその表情は俯いていてわからない。


「……春希?」

「へぇ、すごくかわいい子じゃん! ね、もしかしてアンタの彼女?」

「「っ!?」」


 それまで呆気に取られていた愛梨が、急に割って入ってきた。

 近眼だからなのか至近距離まで春希へと顔を寄せ、まじまじと見回し、品評する。


「うんうん、顔は確実に上の中かそれ以上……ってうそ、これほぼすっぴんじゃね!? プールだからっていやいやいや、それでこれって色々ありえないっしょ!」

「み、み゛ゃっ!?」


 それはあまりに相手かまわずな行動だった。隼人がこの手の人種を苦手としているところである。

 もしかしたら愛梨本人は、芸能人である自分に評されることが光栄なことだと思っているのかもしれない。


 春希も突然のことに驚き身をのけ反らせて後ずさるも、愛梨は逃すものかとすぐに間を詰め寄る。

 隼人もどうにかして春希をガードしようとするも、女子2人の間に割って入るのは躊躇われた。


「スタイルも良さげだし、強いて言えば身長もうちょい欲しいくらい? メイクしたら今以上に映えそう、ちょっと嫉妬するかも。髪とか手入れどうやってんの?」


 愛梨はどんどん遠慮が無くなっていく。それだけ春希に興味が惹かれたのだろう。

 だが春希はそうではない。顔に貼り付いた猫を引きつらせ身を捩らせている。


「おい、ちょっとアンタ――」

「ふぅん……あ、そうだうちの事務所・・・紹介し――」

「――っ」


 さすがに隼人が諫めようとし、愛梨が春希へと手を伸ばそうとした時のことだった。

 ふいに春希が纏う空気が変わる。春希を別のものへと塗り替える。



「『――触るな、失せろ』」


「「っ!?」」


 パンッ、と小気味のいい乾いた音が周囲に響き渡り、周囲の騒めきを奪う。


 一瞬の出来事だった。誰しもが目を疑っている。


 そこに居たのは凄腕の剣客だった。春希は居合い抜きした体勢で手を払いのけて迎撃しており、真実、その手には刀を持っていると錯覚した。

 愛梨はしきりに自分の首に手をやり、「あれ? あれ?」と何度も大きく目をしばたたかせている。

 隼人も春希の右手と愛梨の首を交互に見やる。呆気に取られているのは隼人と愛梨だけじゃない。周囲もまた、愛梨が斬られたと幻視していた。


「わかったな、お嬢ちゃん?」

「~っ! ~~っ、~~っ!!」

「え、あ、それ……」


 その声色も15歳の少女のそれでなく、まるで幾多もの修羅場を潜り抜けた歴戦の剣客そのものである。

 かろうじて隼人には、先日から姫子と一緒に見ているアニメのキャラだということだけがわかった。

 しかし春希が手に持つを眼前に突きつければ、愛梨はこくこくと頷くことだけしかできない。


「…………行くよ、隼人」

「え、あぁっ」


 そして今度はいつもの・・・・春希に戻り、強引に隼人の背中を押してこの場を後にする。


 その場に残された者は、万華鏡のように様子がくるくる変わる春希の様子に、ただただ唖然と立ち尽くすしかできなかった。

 愛梨は何度も首を傾げつつも手を当て確かめていると、ふと彼女を呼ぶ声で我に返る。


「おーい愛梨ー、いたいた、探したよー」

「あ、ももっち先輩」

「どしたん、ボ~っとして? もしかしてうちのとでも遭遇した?」

「あはは、カズキチとは別に……その、あの娘……」

「……うん?」

「いや、何でもないです」


 そして愛梨は曖昧な笑みを、駆け寄ってきた海童百花ももかへと返すのだった。




◇◇◇




 リバーサイドエリアを離れた隼人は、不機嫌さを隠そうとせず肩をいからせている春希の背中を追いかけていた。


「春希待ってくれって、その、色々悪かったって」

「悪いって何さ。まぁ隼人も男の子だもんね? そりゃー華やかで可愛い女の子にべたべたされたら鼻の下を伸ばすのも仕方ないよね!」

「別に伸ばしてねーよ」

「どうだか! ボクたちをほったらかしにして、あの子とヨロシクやってた事実は変わらないし?」

「別によろしくなんか……さっきも言ったけど、ちょっとした知り合いで、困ってたみたいだからさ」

「それがおかしいってーの! 大体モデル? 芸能人? どうしてそんな子と知り合いになったっていうのさ、意味わかんない!」

「それはその……」

「ふんっ!」


 いくら言葉を重ねても、春希は取りつく島がないようだった。一輝とのことを考えると言葉を選んでしまい、その結果少しばかり隼人も言い訳じみている自覚もある。

 しかしそれを差し引いても、どうしてここまで頑なになってヘソを曲げているのかわからない。


 どんどん早足になる春希を、必死になって追いかける。


「おい、春希ってば!」

「隼人なんて田舎者なんだから、美人局にでも騙されて痛い目に見ればいいんだ!」

「いや田舎者なのは確かだけど、さすがに騙されたりはしねーって、てかそんなのいるのかよ」

「隼人はいまいち女の怖さを解かってないし!」

「……春希や姫子も怖いのか?」

「っ! あーっもう! っるさい・・・・だまれ・・・あっちいけ・・・・・!」

「…………ぁ」


 一瞬、隼人の足が止まる。

 それは幼い頃からずっと心の奥底に横たわっている、はるき・・・と同じ言葉。

 今だからこそ、本気で言っていないというのもわかる。その裏に込められていたものがわかる。


 先日、リカーシャインスピリッツで掛けた言葉を思い返す。ガシガシと頭を掻き、その手を伸ばす。


「春希」

「っ!?」


 気付けばあの時と同じように、強引に春希の手を取っていた。


「ごめん、心配かけて・・・・・悪かった」

「~~~~っ!?」


 振り返った春希の顔が、一気に真っ赤へと染まっていく。

 ぱくぱくと口を開き、何かを言い返そうとするも、どうしてかなかなかな言葉が出てこない。


「……は」

「は?」


「隼人のアホーーーーっ!!!!」


「いで~~~~っ!?」


 そして爆発させた感情と共に平手打ちが飛んでくるのであった。

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