121.「――まったく、昔からノリが変わらないんだから!」


 波の出るプールでは、姫子がはしゃいでいた。

 同じプールでも波が出るというだけで、楽しみ方が他とは随分と変わってくる。

 姫子はといえば、浮き輪で波に揺蕩いながらも周囲の、特にカップルの観察に余念がない。

 恋人たちが波という不意の要素で巻き起こされるアクシデントを、これ幸いと存分に楽しむことができるからだ。


「見て、見てくださいよ一輝さん、ほらあそこのカップル! 彼氏が彼女を背負って泳いで……きゃーっ、ラブラブですよ、ラブラブ! 恵麻さんたちもあれくらいイチャついてもいいと思うのになー?」

「あはは、そうだね」


 ちなみに伊織と伊佐美恵麻はというと、波打ち際で三角座りしながら時折ぱしゃぱしゃと片手で水をかけあっている。なんとも微笑ましいものである。


 姫子のテンションは相変わらず高かった。

 周囲にイチャつくカップルが多いこともあり、やれ同じ浮き輪に強引に入ろうとしているだとか、やれ水中でひたすら見つめ合って波に流されているだとか、やれ一緒にビーチボールを波にさらわれて翻弄されているだとか、逐一そういうのを見つけては報告している。

 また、そんな姫子を見守る一輝も、相変わらずにこにことしていた。


「そういやおにぃもはるちゃんも遅いねー?」

「隼人くんお節介なところがあるから。ほら、困ってる女の子を助けて逆ナンされちゃっているとか……結構ありそうだと思うけどね」

「あはは、おにぃがですか~? さっきも言いましたけど、おにぃが逆ナンとかないですって。田舎者まるだしなんですよ~?」

「わからないよ? ほら二階堂さんはそれを心配して探しに行ったし」

「えー、そうかなぁ? ていうかあたしははるちゃんの方が心配かなー?」


 隼人が浮き輪の予備を取りに行ってから、結構な時間が経っていた。

 この波の出るプールで1人や2人の遊びは粗方楽しみ終わっている。

 姫子はそんな会話をしつつ、隼人と合流したら何をしようかと思い巡らせていると、ふと一輝が尋ねてきた。


「姫子ちゃんはカップルばかりに目が行っているみたいだけど、そういうのに興味があるのかい?」

「うーん、どうなんだろ? 恋バナとか好きなのは女の子の本能といいますか……まぁ、はるちゃんはアレだけど」

「あはは、本能なんだ」

「一輝さんはどうなんですか? さっきも逆ナンされてたくらいだし、作ろうと思えば彼女くらいすぐにできるんじゃ?」

「……僕は当分、そういうのは別にいいかな」

「えぇ、もったいない!」

「そういう姫子ちゃんもモテそうだけど、彼氏とか作らないのかい?」

「へ?」


 素っ頓狂な声が出る。いきなりな質問だった。

 確かに今日の自分を振り返れば、一輝のその質問は自然の流れなのだが、どうしたわけか胸が少しだけ疼く。


 彼氏。


 その言葉をかみしめると、眉が寄るのを自覚する。

 だが、どうしてそうなるのかがわからない。


「…………」

「…………」


 にこにこと探るような一輝と目が合うも、姫子は困った顔で首を捻るのみ。しかし胸が少し騒めいている。

 よくわからない感情を持て余していると、聞き慣れた声が耳へと飛び込んできた。


「いきなり叩くことはないだろ!」

「だって隼人が悪いんだもん!」

「意味がわかんねぇし!」

「大体隼人は昔から――」

「春希だって前から――」


 どうしたわけかと視線を向ければ、兄と幼馴染が互いに言葉を荒げじゃれ合いながらこちらに向かってきているのが目に入る。

 姫子はまったくもっていつもの見慣れた光景に頬が引きつるのを感じ、一輝と顔を見合わせ苦笑いを零す。


 はぁ、とため息を1つ。罵り合いつつも、だけど2人は笑っていた。笑っている様に見えた。

 だから春希の顔が、はるき・・・重なる。


(…………ぁ)


 何かがすとんと腑に落ちた。


「ね、一輝さん。あたしね、好きだった人がいたんです」

「……………………え?」

「今はもう、どうしたって手が届かなくなっちゃいましたけどね。だからわたしも、当分そういうのはいいかなぁって」

「そう、なんだ……」


 ふいに笑いを零す。手は自然と甘い疼きの残滓が残る胸に当てられている。その笑顔は、少し泣き出しそうな色を湛えていた。


 姫子を見つめる一輝の瞳が揺れる。意外そうな顔色だ。

 そんな視線を向けられ、姫子本人もあまり人に言うようなことではない胸の内を吐露したこともあり、気恥ずかしくなってあははと笑って誤魔化し立ち上がる。


「行きましょ、一輝さん」

「っ! あ、あぁ……」


 何故か固まってしまった兄の友達一輝を促し、兄と幼馴染のところへと向かう。

 そして合流するなり、2人から子供みたいな言葉を浴びせられた。


「あ、姫子! 審判を頼む!」

「何をするかはきまってないけど、勝負だよ、勝負! 白黒はっきりつけなきゃ!」

「おにぃ、はるちゃん、いきなり何なの……」


 何があったかはわからない。

 だけどこの2人が、がるると唸り睨み合いながら気炎を上げている様子は、小さなころから幾度となく見てきた光景だった。


 あの頃と違う、長い髪と短い髪。

 あの頃と違う、差が出来た背丈。

 あの頃と違う、言い合う声の高さ。


 しかしあの頃と同じように、姫子の目には2人はそこにいるのが当然だとばかりに並んで映っている。


 だから姫子はため息を1つ。

 そして色んな意味を込め、2人と自分に向けて、呆れたように大きな声を上げた。


「――まったく、昔からノリが変わらないんだから!」

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