122.おかえりなさい


 どこまでも突き抜けて行きそうな空、その蒼さを彩り漂うまっさらな雲。

 四方をまるで額縁のように山に囲まれ、そんな天を拝める片田舎。

 都心部へは徒歩30分のバス停から揺られて小一時間、そこから電車で2時間弱、更に新幹線と移動だけで半日以上はかかる人里から隔絶された辺鄙なところ、そこが月野瀬である。


 周囲を見渡せば、わずかな平地は田んぼで埋め尽くされ、どこからか野焼きの煙が立ち上り、あちらこちらからは土と肥料の香りが漂っている。


 沙紀はそんないつもと変わり映えのしない月野瀬の光景を眺めながら、自転車でバス停へと向かっていた。


「おーい! おーい、沙紀ちゃーん!」

「あ、源さん! こんにちわ~!」


 畑から声を掛けられ自転車を停める。青々と葉を覆い茂らせている畑からは氏子の集まりでも一際酒豪の源じいさんが大きく手を振り、待っていろととどめている。

 源じいさんはごそごそと手提げビニール袋へ、今が盛りのナスやトマト、オクラにきゅうりといった夏野菜を詰めてそそくさと駆け寄ってきた。


「ほれ、もってけ。とれたてだ、とれたて、形は悪いがな!」

「こ、こんなにいっぱい……一昨日も貰ったばかりなのに」

「いやいや、霧島の坊主は持ってないだろう?」

「ふぇっ!?」

「今日こっちくるんだろう? 沙紀ちゃんのめかしこんだ格好を見ればわかるよ、わっはっは!」

「え、あ、ちょ、源さん~っ!」


 指摘された沙紀は顔を真っ赤になって抗議するも、まんま図星なので反論もできない。

 今日の沙紀の恰好は、月野瀬の住人がよく目にする制服や巫女姿でなく、爽やかで綺麗めのカットソーにミモレ丈のレーススカートという、少し背伸びをしたものだ。まだあどけなさの残る色素の薄い14歳の沙紀を少しだけ大人っぽく演出し、とても彼女に良く似合っている。

 ちなみに隼人や姫子たちが帰省してくるこの日のために、頭を悩ませ半月以上かけて選んだものである。


「おーい源さーん、また罠にイノシシひっかかっとったわー! と、沙紀ちゃんもこんにちわ!」

「兼八さん、解体か?」

「おうさ! だから沙紀ちゃんも浮かれてるところ悪いけど、霧島のぼんに手伝いに来てくれるよう言っといてくれよな、がっはっは!」

「っ!? も、もぅ、兼八さんまで~っ!」


 今度は軽トラックに乗った別の住人がやってきては揶揄われる。

 沙紀はこれ以上は堪らないとばかりに源じいさんの野菜を自転車への籠へと入れると、逃げ出すようにその場を後にした。「がっはっは」「あっはっは」という笑い声を背に受けながら。これもまた、よくあることだった。


(もぉ~、もぉもぉもぉ! ……でも、そんなに私、浮かれてるのかな?)


 自転車を降りて自分を見回してみるも、よくわからない。

 強いて言えば服や髪が変じゃないかどうかが気に掛かる。色々な思いが溢れてくる。


(……大丈夫、だよね?)


 そのまま自転車をゆっくりと押しながら、バス停の県道へと目指す。


 心の中は複雑だった。

 早く会いたい気持ちと、先延ばしにしたい気持ちがせめぎ合っている。

 特に春希。彼女の存在は、色々と思うところがある。


 すると前方から、プアッとバスのクラクションが鳴った。


「沙紀ちゃんだ! 沙紀ちゃーん、おーい沙紀ちゃーん!!」

「あ、姫ちゃん!」


 俯いていた顔を上げると、ぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってくる2か月ぶりの姫子の姿。

 底抜けに明るい声、そして笑顔。沙紀も釣られて笑顔になる。どうやら予定より早く着いたようだ。


 いつだって太陽のように明るいこの親友は、心を晴れやかにしてくれる。自慢の親友だ。


「わー、沙紀ちゃんそれかわいーっ! 大人っぽいーっ! もしかして背も伸びた!?」

「あはは、特に変わってないよぅ」

「そう? って、そうだ! 駅でね、ひよこやたまごやバターサンドのお土産が美味しそうで行列で買えなくて、でもシュウマイのお弁当はすっごくおいしかったの! それからね――」

「そ、そうなんだ~」

「ボクとしては車内販売で食べた硬すぎるアイスについて言及したいね」

「っ!?」

「そうそう! おにぃったらあまりに硬いからホットコーヒー淹れて食べようとしてたの! 邪道だよね!」

「あほがーど風、だっけ? なんか気取っちゃってさー隼人のクセに!」

「おにぃのクセにねーっ!」


 姫子の背後から長い黒髪の、楚々とした女の子が顔を出し会話に入ってくる。春希だった。沙紀は思わず息を呑む。


 写真越しではその姿を見ていた。

 可憐な顔立ちに均整の取れたプロポーション。存在感と言うべきか、実際目の当たりにすると同性の沙紀をして見惚れてしまうほどの魅力にあふれる少女である。色んな意味でため息を吐いてしまう。


「アフォガートだ。イタリアではよく食べられているらしい……って、姫子も春希もはしゃぎ過ぎだ。村尾さんが困ってるぞ」

「っ!?」


 沙紀はまたも違う理由で息を呑む。

 姫子と春希の背後からやって来たのは隼人だった。両手にはボストンバッグ。最後に見た記憶より、少しだけ髪が伸びている。それだけの間、顔を会わせられなかったというのを示していた。


 胸が騒がしくなる。身体も固まる。

 親友の兄、自分の世界に彩りを与えてくれたかつての少年。


 何かを言いたい。

 だけど頭の中は真っ白になってしまって言葉が出てこない。

 最近グルチャで会話が出来るようにはなっていた。

 しかし現実では依然と変わらずまごついてしまっている。そんな自分がもどかしい。


「おにぃ、沙紀ちゃんに近過ぎるんじゃない? ほら、びっくりして固まっちゃってる!」

「っと、すまん」

「……っ! いえ、あのその……っ!」


 そして、そんな沙紀の様子を見た姫子がため息を1つ。隼人の腕をとって引き離す。

 違う、そうじゃないのに――そんなことを言いたいけれど、適切な言葉と行動がとれない。あわあわとするだけである。

 だがそんな沙紀を、不意に春希が顔を覗き込んできた。


「沙紀ちゃんってさ、すっごく可愛いよね」

「っ!?」


 三度、息を呑む。

 春希の顔は困ったような呆れているような、不思議な表情をしていた。その意図はわからない。

 沙紀が大きく目を開きながら見つめれば、にこりと人好きのする笑顔を返された。


「ボクね、沙紀ちゃんと仲良くなりたい。隼人やひめちゃんに負けないくらい仲良しになりたいんだ」

「……ぁ!」


 そういって沙紀の背後に回り込んだ春希は、トンとその背中を押した。

 決して強い力じゃない。だけど身体は前に出る。


「……村尾さん?」

「沙紀ちゃん?」

「~~~~っ」


 隼人と姫子の前に行く。どうしたことかといった顔を向けられる。

 背を押されたとはいえ、それは確かに沙紀の意思だった。だが心構えが出来ているかどうかは別の問題だ。目が泳ぐ。相変わらず声は出てきてくれない。


 ふと、情けなさから目を落とすと、そこには先ほど源じいさんがもらった夏野菜があった。隼人に渡してやれともらったものだ。

 色々お膳立てされていた。

 沙紀は顔を赤くしたまま、ぐいっと隼人の前にそれを差し出す。


「あの、これっ、源じいさんから、お兄さんたちにって~っ!」

「え、なになに? ナスにオクラにきゅうり……うげ、トマトも」

「あはは、こういうのを見ると田舎に帰ってきたーって気がするね」

「ありがと村尾さん、源じいさんにもお礼言わないとだなぁ」


 野菜を受け取った隼人は感慨深く、そしてしみじみと言葉を零す。


(…………ぁ)


 そして今一度夏野菜を囲んでわいわいと騒ぐ隼人、姫子、そして春希の顔と周囲の月野瀬の景色を見渡せば、自然と胸に湧き上がる言葉があった。


「み、みなさん、おかえりなさい!」


 沙紀の言葉を受けた3人はきょとんとしたも一瞬、互いに顔を見合わせみるみる相好を崩していく。


「「「ただいまっ!」」」


 返事の声が高い空へと吸い込まれていく。

 風が吹き、山々の木々が唄う。青々とした稲穂が波を打ち、波紋がため池に広がる。


 代り映えのしない田舎、月野瀬。


 だけど今年は、いつもと少しだけ違う夏が始まろうとしていた。



※※※※※※


これにて3章終わりです。いかがだったでしょうか?

よろしければ★★★をいただけたらな、と。


それから書籍も2巻まで発売中です。近いうちにコミカライズも始まるかと。

WEB版とは流れが違いますので、WEBを読んだ方でも楽しめるようになっていると思います。


よろしくお願いしますね。

にゃーん。

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