第4章「――私も、同じノリで接してくださいっ!」

4-1

123.いつもと違う夏のはじまり


 見上げる空は突き抜ける青と白。

 見渡す地面には一面緑の田んぼ。

 周囲を囲む山々からは、葉擦れとセミの鳴き声。


 都会からの喧騒とは無縁の山里、月野瀬。


 この田園風景を南北に切り裂く、バス停のある県道から南の山の手へと歩くこと20分、月野瀬基準で比較的新しい家屋が霧島家である。


「ただいま……と言うにはなんか変な感じだな」

「うっ、むあーってするし埃っぽい」

「姫子、とりあえず全部の窓開けるぞ」

「はーい」


 梅雨の時期を挟んで2か月の間放置されていた家の中は、少し湿っぽくひんやりとした独特の空気が横たわっている。

 隼人と姫子は荷物を玄関に置いたまま、締め切られている窓や雨戸を解き放っていく。

 すると、山から吹き下ろされた風が一気に駆け抜けた。

 都会と違って清涼で心地よい風が、家の中の淀んだ空気と半日近い移動の疲れを一緒に吹き飛ばしてくれそうで、隼人は目を細める。


 このまま昼寝でもしたい衝動に駆られるが、そうはいかない。現在昼下がり、日が暮れるまでにしなければならないことは多い。


「……人が住まないと家は傷む、か」


 隼人が視線を落とせば、床ではうっすらと埃が舞っている。

 それを見て軽く掃除もしなければと思っていると、2階から姫子の呼ぶ声が聞こえてきた。


「おにぃー、布団のシーツどうしよー?」

「あー、さすがに一度洗っておいた方がいいか。今からなら夕方には乾くだろ、俺の分も洗濯機に入れといてくれ」

「おけー。そだ、秋物や冬物の服とかどうしよ?」

「それは後で向こうに宅配で送ればいいだろ」


 そんなやり取りをしながらリビングを見渡す。

 都会のマンションより2回りは広く、隣接する二間続きの和室が目に入る。

 置かれたテレビラックやソファー、食器棚にキャビネットは2か月前と変わっていない。まるで時が止められているかのようだ。

 都会で使っている家財道具は、向こうで買い揃えたものが多い。

 それだけ、急な引っ越しと転校だった。


 隼人は空っぽの冷蔵庫に沙紀から手渡された野菜のおすそ分けを収めつつ、さてどこから手を着けようかと思い巡らす。

 その時、月野瀬では珍しくピンポンと玄関のインターホンが鳴った。


「はーい……って、春希に村尾、さん……?」

「うぅううぅぅぅ~~……」

「えとあのその、村尾沙紀です……」


 来客は春希と沙紀だった。手に荷物は無く、既に沙紀の家に置いてきたのだろう。

 しかし、どこか2人の様子がおかしい。

 春希は顔を真っ赤にして縮こまっており、沙紀はあたふたとしていいる。

 一体どうしたことかと隼人が首を捻っていると、2階から姫子が降りてきた。


「あ、はるちゃんに沙紀ちゃん! いらっしゃ……っておにぃ何したの!? セクハラ!?」

「してねーよ! ていうか俺も知りてぇよ!」


 姫子がジト目で隼人を見れば、春希がとつとつと理由を話し出す。


「……大体沙紀ちゃんのせい。沙紀ちゃんに殺されるかとおもった……」

「は?」

「ち、違いますっ! 村の皆に春希さんは私の友達で凄く綺麗で可愛くて、良いところがいっぱいあるっていうのを知って欲しくて、事前に色々とアピールもしていて、それで……っ!」

「こ、ここに来るまで会う人会う人皆に『かわいーねー、見違えたねー、べっぴんさんだねー、沙紀ちゃんや隼人やひめちゃんをよろしくねー』なんて言われるんだよ!? ボクは褒め殺しって言葉の意味を悟ったね!」


 どうやら沙紀が事前に月野瀬の各所で春希のことを話していたらしい。

 幸いにして概ね友好的に迎え入れられていたようだった。

 春希はそういう風に扱われるのに慣れておらず、その結果がこれである。


 隼人と姫子は顔を見合わせ、その時の田舎特有の過剰な可愛がられる春希や沙紀の姿を想像すれば、自然と笑いが込み上げてきた。


「「…………ぷっ」」

「ひ、姫ちゃん~」

「は、隼人も~っ!」


 春希はそんな霧島兄妹の反応に不満そうにむくれ、もぉもぉと鳴きながら玄関を上がる。

 そしてずいずいとリビングに足を入れ、立ち止まった。固まってしまったかのようだった。


 春希の肩越しに見えるのは、多少埃っぽさがあるものの、2か月前と変わらないありふれたリビングである。隼人はどうしたことかと眉を寄せる。


「……春希?」

「……あ、いやその、変わってないなって」

「そうか? 何度か模様替えしたし、多少ボロくもなってるだろうし」

「あはは、なんていうかさ、はやとんち・・・・・に戻ってきた感じがしてさ……」

「っ!」


 そう言って振り返った春希のはにかんだ顔は、言葉と違ってかつてと違い可憐で可愛らしい。

 ドキリとしてしまった隼人は、がりがりと誤魔化すように頭を掻いてそっぽを向く。


 そんな隼人と春希を見た沙紀は、困ったように眉間に眉を寄せ、そして反射的にきゅっと姫子の服の裾を掴んだ。


「沙紀ちゃん?」

「っ! あのえっと、姫ちゃんとこってしばらくおうち空けてたでしょ? だからそのお掃除の人手がいるかな~って」

「そうだった。ボクたちそれで隼人んに来たんだった」

「……いいのか?」


 隼人がそう訊ねれば、春希と沙紀はもちろんとばかりに頷き返す。姫子は「早く片付けてクーラーつけたい!」と歓迎している。


 月野瀬の隼人の家に成長した春希が居て、あまり縁の無かった妹の親友沙紀と並んでいる。

 少しだけ、不思議な感じがした。2か月前には想像だにしなかった光景だ。


「そうか、じゃあまずは――」


 今年の夏はいつもと違う予感がする。

 そんな思いが乗った隼人の指示を出す声が、都会より高い青空へと吸い込まれていった。

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