102.てんてこまい
御菓子司しろのイートインスペースは漆喰の塗られた黒い柱と梁、そして白い壁が特徴的な落ち着いた雰囲気のある内装である。
だがそんな雰囲気の内装とは裏腹に、春希は多忙さからてんてこ舞いになっていた。
客から注文を取る。それを厨房に伝える。出来上がったものを席へ運ぶ。
仕事としては単純ではある。だが捌く数が多い。
「お、オーダー入ります! 6番さんクリームあんみつ1、くずきりパフェ2!」
「はいよ、こっちも色々出来上がってる! 団子食べ比べセットと納涼セットが1番さん、くりーむあんみつ2つが4番さんな!」
「へっ……う、うん、わかった。ええっと1番さんは……」
「1番は窓際のテーブルね。それは私が持っていくから、二階堂さんはカウンターの4番さんお願い!」
「は、はいっ!」
目が回る忙しさだった。
初めてのバイトということだけでなく、研修どころかロクな説明も無いままの実践投入である。幸か不幸か春希にはそれをこなすだけの能力があった。
しかし学校の教室ほどの広さのある28席の店内を回すのに、春希と伊佐美恵麻の2人だけではどう考えても手が足りていない。必然的に隼人もちょくちょくフロアに顔を出す羽目になっていた。
クリームあんみつ片手にちらりとフロアを見れば姫子の姿が目に入る。
(ひめちゃんもう、あんなに友達出来たんだ……)
先ほど店に訪れたのは驚いた。一輝と一緒だったからなおさらだ。思わず、はぁ、とため息が出てしまう。
その姫子はといえば、先ほど注文をしたばかりだというのにメニューを眺め、うーんとばかりに真剣な表情をつくっている。そんないつもと変わらぬ様子見れば、強張っていた春希の口元も緩む。
そして視線を横に映せば姫子の同級生たちに質問攻めに合い、にこにこと
「大丈夫、二階堂さん?」
「っ! あ、うん、大丈夫。と、4番カウンターさんだったね、すぐに行ってくる!」
「……あ」
ぼぅっと立ち呆けてしまった春希は、伊佐美恵麻に声を掛けられ我に返り、慌てて
◇◇◇
伊佐美恵麻は、ふぅ、と色んな意味の込められたため息を吐いた。
そして伊佐美恵麻は先ほどまで春希が眺めていた場所へと視線を移す。
よく目立つグループだ。先ほど入口から聞こえてきた春希の驚く声を思い出す。
ひと際大きな喋り声が聞こえるというだけでなく、こうした場でも一輝の容姿は突出して人目につく。
それだけでなく一輝の対面に座る二階堂春希の幼馴染だという少女も強く目を惹く。他の少女たちが一輝に懸命に言葉を投げかけている隣で、眼中にないとばかりにメニューに真剣な態度が興味の拍車をかける。
だが別に浮いてるとか孤立しているとかそういうわけでなく、その事をつっこまれればあたふたとして笑いを誘う。きっと――かつての春希と違って取っ付きやすい性格なのだろう。伊佐美恵麻の眉間に皺が刻まれる。
「……伊佐美さん?」
「っ! 霧島くんっ、え、あ、ごめん、なに?」
「いや、6番さんのクリームあんみつとくずきりパフェが出来たのだが……っと、俺が持っていったほうが良さそうだな」
「……あ」
立ち呆けていた伊佐美恵麻を見て笑いかけた隼人は、そのまま返事を聞かず厨房からフロアに飛び出していく。
「と、いけないいけない」
我に返った伊佐美恵麻は、まずは仕事だとばかりにフロアに戻るのだった。
◇◇◇
春希から見ても隼人は働き者だった。そしてよく気が付く。色々とフォローもしてくれた。こういう手合いにも慣れているようで、積極的にフロアも手伝ってくれる。
だがそれでも、息がつまるほどの忙しさだった。履きなれない下駄の鼻緒が足の親指と人差し指の間に食い込み、痛みを訴えている。
「団子食べ比べセットのお客様は――」
「え、うちら頼んでたっけ?」
「うぅん、両方かき氷だよ」
「し、失礼しましたっ!」
慣れぬ仕事は集中力を削ぎ、次第に細かいミスを引き起こすようになっていく。
頭を下げ、そしてレジを打つ伊佐美恵麻と目が合う。視線で正しい席へと誘導してくれる。
「すいません、お待たせしました! 団子食べ比べ――」
必死に張り付いた笑顔を作る。愛想笑いが得意になっていたのが幸いか。
注文を運び終え、一息つくと共に周囲を見回す。
店内は賑わっており、新規の客足は途絶える気配はない。隼人も伊佐美恵麻も
フロアだけの春希と違い、隼人は厨房での調理補助、伊佐美恵麻はレジもこなしている。自分も負けてはいられない。
姫子達はとっくに帰っていた。
二次会という言葉に瞳を輝かせて引っ張られていた姿を思い出せば、その将来が気掛かりになってしまう。が、それよりも今はバイトだとばかりに頭を振ってヨシ、とばかりに気合を入れなおす。
今しがたレジを終えたグループが後にしたテーブルの食器を集め始める。量は多い。が、少々慣れてきたこともあり、そして店内の混み様をちらりと目にし、一気に重ねた。
その判断が、悪かった。
「春希、あぶねぇっ!」
「――え?」
春希の視界が回転すると共に、遅れてガシャンと大きな音が鳴った。
意識が、時間が一瞬切り取られる。何が起こったかはわからない。
ただ、大きな何かに包まれ――本能的に安心してしまいそうになる匂いが鼻腔をくすぐっていた。
「痛ーっ……大丈夫か、春希?」
「え、あれ……隼人っ!?」
春希の目の前に隼人の顔が飛び込んできた。
一瞬にしてドキリと心臓が跳ね、頬が熱くなる。慌てて視線を逸らせば間近に床に散らばる抹茶の陶器の破片が目に入る。そして自分に注がれる驚きと好奇の視線も。
「ご、ごめんっ!」
「いいっていいって、怪我は?」
「ない、と思う……っ!」
どうやら足を躓かせてしまったらしい。その状況を理解するや否や、慌てて下敷きにしている隼人から飛びのき身を起こす。
「すいません、直ぐに片付けますので! 大丈夫? それから片付け手伝って、二階ど――あーその、霧島君!」
「ご、ごめ、ボクっ」
「あぁ、わかった。っと……お騒がせしました!」
状況を素早く把握した伊佐美恵麻はほうきとちりとり、モップをもって駆けつける。隼人もそれに呼応し、お客に頭を下げて作業に掛かる。
春希だけが何をして良いか分からず、おろおろとしてしまう。どうしていいかわからない。思わぬ出来事が重なって処理能力の限界を超えてしまった。
そんな春希の事などお構いなしに、テキパキと手を動かす2人によって瞬く間に床が綺麗になっていく。客の興味も目の前にある甘味へ戻る。
――完全に足を引っ張ってしまった。
まごつくだけの自分と、テキパキと仕事をする隼人と伊佐美恵麻の違いを感じてしまう。
情けなさから、鼻の奥にツンとしたものが込み上げてくる。
「……え?」
そこへ、ポンと頭に手のひらを乗せられた。
「春希、呆けてないで残りも
「…………ぁ」
隼人だった。隼人は笑っていた。
それは春希が昔からよく知る――一緒に遊ぶ時に見せるのと同じ、心の底からの笑顔だった。
(……まったくもぅ、隼人は!)
確かに忙しいし、大変だ。ミスもした。だからそれが何だというのか?
2人一緒ならバイトだろうがゲームだろうか何だって楽しい。そんなことはもう、7年も前に知っていたことだ。
自然と口の端が上がっていく。そして春希の顔に
「すいません、ご迷惑をおかけしました!」
春希も頭を下げ仕事に戻る。
その際にふくれっ面を隼人に向け、パシンと背中を軽くたたく。少しだけ子ども扱いしたことに抗議するのだった。
◇◇◇
日差しは随分和らぐも、まだまだ昼間の熱の残滓が残る午後5時過ぎ。
隼人と春希は電車を使わず、疲れた身体を引きずりながら帰路へと着いていた。
足取りは重いものの、バイトをやり遂げた達成感もあり、その顔は充実感に溢れている。
「何とかなったねー、想像以上にハードだったけど」
「全くだ。ま、バイト代も色を付けてもらったし、いいけど」
「『すまん、他のバイトも休みだとは思わなかった!』だっけ、森くん?」
「ったく、道理であそこまで忙しいはずだ」
「ねー」
隼人と春希は、帰り際に拝んで謝られた伊織の姿を思い出し、互いに顔を見合わせ笑いを零す。どうやら今日の忙しさはイレギュラーだったらしい。
「で、隼人はどうするの?」
「うん?」
「夏の間だけでもバイト入ってくれって話」
「あー……やってみるつもり」
「前に言ってた原付買うため?」
「それもある、けど」
「けど?」
隼人はふと立ち止まった。困ったような顔で御菓子司しろのある方を――病院のある方を見て、苦笑を零す。
「働くのって――お金を稼ぐのってさ、大変だよな」
「…………ぁ」
声色は明るかったが、その表情は複雑だった。そして春希には、そんな隼人に掛ける言葉はまだ、持っていない。
「と、辛気臭い話になった。スーパーに寄ろう。今日はスタミナが付くようなものがいいな」
「…………そう、だね」
そして隼人は努めて明るい声を出し、歩き出す。
先を行く隼人の背中を眺めながら、春希はポツリと呟いた。
「お金、か……」
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