149.笑顔の仮面が出来るまで
東の空にある太陽が薄雲に覆われていく。
吹き付ける風もどんどんと強くなってきている。
あと数時間もすれば暴風雨に見舞われるだろう。
「今さ、田舎の空き家問題ってよく聞くよね」
「ここって……」
「そ、お祖父ちゃん
隼人と共にやってきたのは、春希がかつて暮らした祖父母の家だった。
月野瀬でも一際大きく、古めかしい。
一部の窓ガラスは割れており、壁が隙間風を唄う。
廃屋と言っていいほど痛んでおり、庭も雑草が伸び放題。
今も時折風に当てられ、ガタガタと身体を揺らし喚き、台風の直撃を受ければどうなるのか、見ていて不安を煽られる。
「……」
「……」
春希は、ぎゅっとシャツの裾を握りしめた。
この家に良い思い出なんてない。
それでも記憶の中と比べて随分落ちぶれた姿を目の当たりにすれば、上手く処理できない感情が胸からせり上がってくるものがある。
どうしてここに来ようと思ったのか、自分でもよくわからない。
確かなのは、1人なら決してここへ来ようとおも思わなかっただろう。
しかし過去があったからこそ、今があるのも事実。
何ともいえない表情で、ふぅ、っとため息を吐く。
すると隣からガシャンという音を聞こえてきた。
視線を向けると隼人が自転車のスタンドを立てており、そしてどこか遠くの山の方を――かつて『いわとはしらの戦場』と呼んで遊んだ、二階堂家主導で開発しようとして頓挫した場所へと視線を向けたまま、ひどく真剣な声色で呟いた。
「俺、あの頃の春希のことが知りたい」
「隼、人……」
ドキリと胸が跳ね、息を呑む。
ぎゅっと掴んだままのシャツの裾を下へと引っ張る。
言葉に詰まる。
何と言っていいかわからない。
そもそも、春希自身も目を背けてきた部分でもあるのだ。
胸の中で絡まったものを意識して、言葉を捻りだしていく。
「多分、聞いても面白くない話だと思うよ」
「それでも、春希のことだから。俺も、
「……ッ!?」
一瞬頭の中が真っ白になる。ビクリと肩が跳ねる。
それはかつて春希が隼人に告げた言葉。
振り返ってみれば隼人はしっかりと春希を見据え、どこまでも真っすぐな眼差しをぶつけてくる。視線が絡む。
それは今まであやふやにしていた部分へと、明確な一線を越えて踏みこむという宣言だった。
「……あは、その言い方は卑怯だなぁ」
「だから、ちゃんと知っておきたいんだ」
「……」
「……」
いずれ前へ進むために向き合うべきだと、頭では理解している。
はぁ、と観念したように大きなため息を1つ。
「こっちきて」
そして敷地へと足を踏み入れた。
後ろからは隼人が黙ってついてくる。母屋の入り口を通り過ぎ、隣接する土蔵の前へと足を運ぶ。
母屋よりも古めかしい造りの土蔵だ。
隣にある木も随分古く大きく、年代を感じさせる。
それだけ、どちらともぼろい。
土蔵の漆喰はとっくに剥がれているだけでなく、ところどころ骨組みである丸竹さえ剥き出しになっている。
2階部分にある小さな窓は格子もガラスも崩れて無くなっており、吹きさらしの状態。
大きくて重厚な作りなだけに、あちらこちら朽ちている様子は、どこか物悲しい。
「ん~、大丈夫かな? ……よっと!」
「っ!? あ、おい、春希!」
そう言って春希は自分の身体と土蔵の隣の木を見回し確認したかと思うと、驚き制止する隼人の声を背に受けて、するすると慣れた様子であっという間に上っていく。
淀みない動作で壊れた窓に手をかけ、一瞬引っ掛かりを覚えたのか動きが止まるものの、するりと中へと身体を滑らせた。
あっという間の出来事だった。
隼人が呆気に取られてその場に立ち尽くしていると、土蔵の中から『のわーっ!?』という春希の声と共に、どたばたがっしゃん、盛大に何かを倒す音が聞こえてくる。
そして数拍の間を置き、ギギギと土蔵の片方の扉が開く。
蜘蛛の巣を被り埃で化粧を施した春希が、バツの悪い顔を覗かせた。
「えぇっと、カギ、開いてました……」
「……ぷっ! あはははははっ!」
「ちょっ、笑わないでよーっ!」
春希は拗ねた様子で唇を尖らせそっぽを向く。
それを目にした隼人が「悪ぃ、悪ぃ」と宥めすかせれば、ふぅ、と息を吐く。土蔵の扉を開け放ち、春希は隼人を招き入れた。
「ようこそ、かつてのボクの部屋へ」
「部屋って……」
「ここ、あまり変わってないなぁ」
「…………っ」
隼人は目に飛び込んできた光景に、思わず顔をしかめた。
鼻につく湿っぽくカビくさい匂いは窓が壊れたからだろうか。
内部は薄暗く、差し込まれた光の条の中で埃が舞っているのはいいとする。
今にも崩れそうな梁に、外と同じく骨組が剥き出しになっている土壁。
そこかしこに置かれた一目で壊れていると分かる箪笥や机等の家具。
割れた食器に年代を感じさせる、教科書の資料で見たような木製の農耕器具。
明らかに
上を見上げればロフトのような2階部分と、所々から光が差し込まれている。雨が降ればどうなるかなんて、容易に想像できる。
とてもじゃないが、人が住むような場所とは思えない。
それが幼い子供ならば、なおさら。
唖然とする隼人を敢えて無視した春希は、能面のような顔で苦笑を零し、ある一画へと視線を促す。
「あそこ、ボクのベッド。まぁねぐらとか巣とかって言った方がいいかもだけど」
「……」
そこにあったのは、いくつか重ねられた古い畳。
表面はボロボロでささくれ立っており、至る所に日に焼けた跡とシミ。
近くには敷布団の代わりに使っていたのかくたびれた破れたタオル類。
他にも周囲と比べれば割とこましな家財道具と仕切りにしている衝立があり、そこを部屋という体に作り上げていた。
「一応ここ、母屋ともつながってるけどね」
「……でも、あれ」
「…………うん」
「……」
隼人は渋い顔で言葉を呑み込んだ。
その手はうっ血するくらい強く握りしめられている。奥歯は強く噛みしめられ表情がゆがむ。
確かに春希の言う通り、母屋へと通じる扉が見える。
だがそこには到底子供には運べないであろう大きさの箪笥で、大部分を隠されていた。
隙間を見るに、子供ならともかく大人が通るには困難だろう。
それは如実に春希と祖父母との関係を表していた。
しかし春希はことさらなんてことない風に言葉を紡ぐ。
「ボクさ、おじいちゃんやおばあちゃんの前ではいつもにこにこ笑ってた」
「……は?」
「なんだかんだで食べたり寝たり、お風呂も着る物には困らなかったしね。まぁ菓子パンばかり一生分食べたような気もするけど」
そこで春希は言葉を区切り、倒れていた円筒状のプラスチックのゴミ箱を拾い、ひっくり返す。中からいくつか薄汚れたビニール袋が転がり落ちる。
そして自嘲気味に言葉を続ける。
「もっとも、笑ってばかりで気味が悪いとも言われたけど。まぁ今考えてもその通りだよね」
「そんなこと……」
隼人が何かを言いかけるがしかし、それを遮るように春希が振り返り、困った笑みを浮かべる。
「どんな時でも笑ってさえいれば、何かされるようなことはなかったから。だからボクは都会に引っ越してからもね、よくにこにこと笑うようにしてた。お母さんの前で、学校の皆の前で、もちろんご近所でも」
「春希、それって……」
「うん、そう。
そう言って春希は、これで話はおしまいとばかりにぎこちなく笑う。
自分の心を押し殺し、辛いことを上手くやり過ごすための
それは幼い
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