150.消え入りそうな命


 春希の話を聞き終えた隼人は、鬼のような形相で胸に手を当て引っ掻いた。

 それからふぅぅと昂るものを落ち着けようと、大きく少し震えながら息を吐き出す。


「隼人……?」

「なんでも、ねぇ……」

「なんでもないって……」

「…………」

「……そっか」


 春希は少しばかり面食らった様子で隼人の顔を覗き込み、そして何も言えなくなる。

 否、その顔が全てを語っており、言葉は必要なかった。

 むしろ、中途半端に形にしてくれない方がいい。

 ただ、あるがままを春希のかつてを受け止めてくれている。

 それがなによりも、嬉しかった。


 隼人はそれでも何かしら自分の想いを伝えようと、ガリガリと頭を掻き回し、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……その、よくわかんないけど、なんていうかさ、春希は少しくらいわがままを言ってもいいかもな」

「わがまま……?」


 わがまま――それは春希にとって予想外の言葉だった。

 今1つピンとくるものがない。

 首をかしげていると、早値はより一層難しい顔を作り、唸る。


「思い返せば学校での避難場所とかお昼とか、放課後一緒にゲームとか、春希が何か言うのって些細なことっていうか……あぁ、だから! なんていうかだな! 多少無茶を言って、そうするとなんか俺が振り回される未来が明確に見えて! だからこれやっぱなしで!」

「ちょっとどういうことさ!?」

「ははっ、そういうことさ!」

「もぉ~っ!」


 いつもの空気が流れる。

 互いの顔も緩んでいく。

 そして、心も少し解されていた。

 だから春希は、ふと心の中で抱えていたものを吐き出す。


「ね、隼人。1つだけ、いいかな?」

「早速わがままか?」

「わがまま……ん、どうだろ、わかんない。実はここ最近、時々考えてたことがあるんだ」

「考えてたこと?」


 そこで春希は言葉を区切る。

 居住まいを正し、胸に手を当て隼人と向かい合う。


「ボクって、本当のボク・・・・・なのかな?」

「……え?」


 隼人は瞠目し、息を詰まらせた。

 みるみる大きくなる瞳で見つめられ、春希は眉間に皺が寄るのを自覚する。

 答え辛い質問だろう。

 そもそも春希の中ですら、明確な答えが存在しないのだから。

 だけどずっと考えていたことでもあった。

 隼人の前での自分も、もしかしたら――

 バカバカしいことだ。

 だけど、考えだすと止まらなくなる時もある。

 沙紀のことを強く意識すると、特に。


「……」

「……」


 そんな春希の心の裡が隼人に伝わったのか、一転、何とも言えない空気が流れる。

 隼人は難しい顔をしたり、困った顔になったり、渋い顔を作ったり、百面相だ。

 春希はそれを、顔に出やすいんだから、なんて思いながらくすりと笑みを零す。


 思えば少し意地悪な質問だったかもしれない。

 かぶりを振って意識を切り替え、口を開こうとして――何かが聞こえた。


「春――」

「しっ! ……何か、聞こえない?」

「……外の風の音とかでなく?」

「うん……2階?」


 小さくか細く、だけど妙に心に引っかかる声だった。

 そしてやけに胸の中の脆い部分を疼かせる。

 正直、少し不快にも感じたが、どうしてか無視できそうにもない。

 そんな情動に動かされ、音の出処を探り、2階部分へと登った。

 極限まで目を凝らし、耳を澄ませる。


「――――っ」

「聞こえた!」

「俺も聞こえた、あそこだ!」

「……え?」


 春希が侵入した時に倒し、崩れて折り重なった道具の隙間。

 暗がりになれてきた瞳がそれ・・を捉える。


「子猫……?」

「…………みぃ」


 黒、茶、白の3つの色が入り混じった毛皮の、手のひらに乗りそうなほどの、本当に小さな子猫だった。

 春希が入ってきた窓から、母猫が入ってきて産んだのだろうか?

 しかし母猫の姿はどこにも見当たらない。

 見捨てられたのか、それともエサを取りに行って不幸があったのかもわからない。

 ただ確かなのは、ぐったりとした様子で横たわったままかすかな力を振り絞り、「みぃ、みぃ」と縋るように、懸命に鳴き声を絞り出している。


「…………ぁ」


 春希が恐る恐る抱き上げた子猫は、驚くほどに冷たかった。

 まだ体温調節が出来ていないのだろうか?

 手にひらから徐々に熱が、命が消え入りそうになっていくのがわかる。わかってしまう。

 そのくせ必死に春希にしがみ付こうとくすぐる様に爪を立て、消え入りそうな鳴き声で訴えいる。


「ど、どど、ど、どうしよう、隼人、この子、生きたいって、だから、気付いてって、鳴いて、でも小さく、弱く、冷たいよ! ねぇ……ねぇ!」

「春希! 落ち着け!」

「このままじゃこの子っ! ボク、どうすれば、なにをっ……わかんない、わかんないよぉ、ひっく、小さくて、この子、なにもできないのに、誰かが、でもボクは、なにも、やだよ……やだよぉぉっ!」


 子猫と自分と重ねてしまった春希は、完全に取り乱してしまった。

 思考がぐるぐるとしたまま溢れ出す感情に追いつかず、翻弄され、泣き出してしまう。号泣だった。

 ただ、手のひらにある命をどうにかしないとという使命感にも似た想いだけが空回りしている。

 隼人が肩を揺さぶり声をかけてくれているが、どうしてか理解できない。

 頭の中は色んな思いと感情でぐちゃぐちゃで、目の前が真っ暗になっていく。


「この、バカッ!」

「っ!?」


 しかしその時、ごつんと頭に大きな衝撃を受け、我に返った。


「痛ぅーっ、この石頭!」

「え、あれ、隼人……?」

「『え、あれ、隼人』、じゃねぇ! いいからまずは深呼吸しろ、ほら吸って、吐いて、早く!」

「う、うん……すぅ、はぁ……すぅー、はぁー」


 言われるがまま呼吸を整えるうちに、視界もクリアになっていく。ひりひりする額が頭を冷やしてくれる。

 目の前には春希の頬を両手で掴み、目尻に涙を浮かべている隼人。

 どうやら頭突きをしたらしい。まったくもってはやと・・・らしい。

 だけどその眼差しは真剣な色を湛えており、有無を言わさず、そしてどうしてか安心してしまうものだった。


「春希、その子を助けるぞ」

「……うんっ!」


 そして不敵な笑みを見せる隼人・・に釣られ、春希も力強く頷く。


 全くもって根拠はない。

 しかし不思議なことに、子猫はもう助かると思ってしまったのだった。

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