151.春希さんは、バカです


 ザザザァと大きな音を立てながら、暴風雨が雨戸を叩く。

 月野瀬の山も、まるで狂宴のように台風を唄い踊っている。

 空は黒く厚い雲に覆われ、まだ夕方にも早い時間だというにもかかわらず、世界に黒い影を落とす。


 沙紀の部屋は既に灯りがともされていた。

 そこの一画では子猫が段ボールの中で毛布にくるまれて、すぅすぅと規則正しい寝息を立てている。

 見るものすべての顔を綻ばす、とても穏やかで、可愛らしい姿だ。


「…………」


 だというのに、春希は硬い顔で子猫を眺めていた。

 そこへカタンと引き戸が開き、沙紀が顔を出す。


 沙紀は子猫の寝顔を見てふにゃりと相好を崩し、春希の隣に腰を降ろして話しかけた。


「よく眠っていますね。ええっと、低血糖と脱水症状、でしたっけ?」

「うん、ずっと飲まず食わずだったみたい。だから温かくして猫ミルクを上げれば大丈夫だって。思ったよりも丈夫で強い子だって」

「そっかぁ。良かったですね、にゃんちゃん……ふふっ」


 そう言って沙紀が寝ている子猫の耳に、人差し指で恐る恐る触れる。

 すると子猫はむず痒そうにピクリと耳を動かせば、沙紀は「わぁ!」と瞳を輝かせた。


 小さな命だ。

 沙紀は目尻を蕩けさせ、心の底から助かってよかったと安堵する。

 つい先ほどまでのことを思い返す。

 きっかけは隼人からの通話。


『村尾さん、弱っていて、猫が、小さくて、ええっとなんとか、その、今すぐに、助けてくれ!』


 そんな冷静を装おうとした声色での、支離滅裂な言葉。

 思わず『あのその落ち着いてください!?』と突っ込んだのを覚えている。

 どうやらそれほど混乱していたようで、それでもいつものように"兄〟らしくあろうとする姿を微笑ましくも思ったものだ。


 そして、ぐったりした様子の子猫を目にした時の、背筋が凍り付くような感覚は忘れられそうにない。

 直感的にこのまま何もしないでいると、手の届かないところへ消えて行ってしまうという恐怖。

 2か月前、目の前から隼人が居なくなってしまった時に感じたものと同種のもの。

 だから沙紀も必死になって、色んな人を頼った。

 それから衰弱した子猫を助けようと、様々な人を巻き込んでの大騒ぎ。

 通りがかった源じいさんには山向こうの隣町にまで車を出してもらったり、子猫に必要なものを買いに行かなきゃと兼八さんが軽トラですぐさま突撃したり、居なくなった人たちに代わって畑の台風対策をしなきゃと隼人が畑に走り出したり。

 そして先日羊の出産でもお世話になった、月野瀬でも顔なじみの獣医さんに『猫を見るのは随分と久しぶりだよ』と言われながらも、なんとか処置をしてくれて命を紡げた。


 それは沙紀が自ら手を伸ばし、掴みとった結果でもあった。

 だから目の前の子猫を見れば、少しだけ自分を誇らしくも思う。


「沙紀ちゃん、ごめん……」

「ふぇ?」


 沙紀が目を細めていると、いきなり春希に謝られた。

 どうしたことかと春希の横顔を覗き込めば、暗い影を落としながら子猫を眺めている。

 沙紀の視線の気付いた春希は、無理矢理笑顔を作りながら力なく呟く。


「その、ボクのわがままで色んな人巻き込んじゃってさ、しかもボク自身は何もせずオロオロしてただけで、皆にしてもらっただけというか……ご迷惑おかけしました」


 春希は深々と頭を下げた。

 肩は小さく縮こまっており、肩も少し震えている。

 まるで怒られるのを恐れている子供のように見えて――そしてふいに、月明かりに照らされた向日葵に囲まれ膝を抱える幼いはるき・・・を見た。

 望んでも手が届かず、されど諦めきれない姿が、重なる。


 だから沙紀は、反射的に春希をギュッと頭から抱きしめていた。


「迷惑なんかじゃないです」

「さ、沙紀ちゃん!?」

「助けたいから助けたんです。私も姫ちゃんも、お兄さんも、心太も、源じいさんも、兼八さんも、獣医さんも。きっと、めぇめぇもたちも……春希さんはただの切っ掛けです」

「そう、なのかな……?」

「誰か厭な顔をしていた人がいましたか? 子猫が消えてもいいなんて思った人がいましたか? 無事が分かった時、喜ばない人がいましたか?」

「う、うぅん、皆よかったって……」


 沙紀は想いよ伝われとばかりに、抱きしめた春希の頭を優しく撫でた。

 春希は一瞬びくりと肩を震わせるが、まるで警戒を解いた猫の様に力を抜き、身を委ねる。

 しばらくの間そうしていると、やがて顔を埋めたままの春希が、ぎゅっと沙紀の服の裾を掴んだ。


「でも考えちゃうんだ……うちじゃお母さんに見つかったらと思うと飼えないし、隼人んはマンションでペット無理だし! 自分勝手に助けたいから助けて、ボクのわがままで、でもこんな無責任で! ボクはッ、本当ッ、最低だッ!」


 春希は自分を責めるかのように叫ぶ。

 その声色には様々なやり場のない感情が渦巻いているのがわかる。

 沙紀はそんな春希を見て目をぱちくりとさせ――眉を寄せた。

 そしてコツンと春希に春希にげんこつを落とす。


「えいっ!」

「っ!?」

「春希さんは、バカです」

「沙紀、ちゃん……?」

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