152.もしボクが


 今度は顔を上げた春希が、少し怒っているかのような表情を見せる沙紀に、目をぱちくりとさせる番だった。

 そして沙紀はぎゅっと春希の両手を包むかのように握りしめ、眉を吊り上げたまま、諭すように言葉を紡ぐ。


「自分で何でもしようと抱え込まないでください。この子の里親は、ちゃんと私たち・・・が探します。それとも、私たちはそんなに頼りないですか?」

「そ、そんなこと! でも、頼っ……」

「源じいさんは『うちは既に羊がいっぱいいるし、今更猫が増えたところでな』と言っていますし、兼八さんの奥さんも色んな人に声をかけてくれています。うちのお父さんなんてその気になって、猫の飼い方を検索してました。この子の心配はもう何もありません」

「で、でも、あのっ……」

「それでも気になるんでしたら、このことは"貸し〟にしておいて、今度私が困った時やわがままを言った時に助けてください。……ね?」

「…………ぁ」


 そう言って沙紀が小指を差し出せば、春希はそれをまじまじと見つめた後、おずおずと絡めてくる。

 沙紀がにこりと微笑めば、春希もはにかみ返す。

 そして春希は、はぁぁ、と何やら様々な様々な思いの詰まったため息を吐く。


「沙紀ちゃんってさ、隼人の言う通りほんと良い子・・・だよね」

「え?」


 ふいに想い人からのそんな評価を春希の口から言われれば、ドキリと胸が跳ねてしまう。

 そして春希はきゅっと絡んだままの小指に力を込め、まっすぐに沙紀の瞳を見つめた。


「だからね、ボクは沙紀ちゃんのことが好き」

「っ!? え、えとその、私も春希さんのこと、好き、です、よ……?」

「こんなに綺麗で可愛くて優しい良い子で……ボクがもし男の子だったとしたら、沙紀ちゃんのこと好きになってたと思うんだ」

「あ、あの……あうぅ……」

「そしてきっと――」


 混じり気のない春希の澄み渡る言葉が、沙紀の胸へとストンと落ちていく。

 ましてや春希のような美少女から賞賛の声を浴びせられれば、ドキリと胸が騒めき落ち着かなくなる。


 沙紀が顔を赤くして俯き頭から湯気をだしていると、ふふっと春希の笑みが零れ――そして空気が一変した。それはもう肌で感じるほど、はっきりと。


「『――村尾さん』」

「…………ぇ?」


 沙紀は大きく目を見開く。

 瞳に映るのは艶のある長い髪、細い線の身体に滑らかな白い肌。そしてくっきりとした目鼻立ちの、清楚可憐な美少女。

 発せられた言葉も凛とした鈴を振るような可愛らしい声だ。そのはず、だ。


 だというのに――に見える。見えてしまう。


 沙紀が混乱していると、春希はフッと優し気に微笑み、小指の絡んでいない方の手で、そっと頬を撫でた。

 ゾクリと、背筋が震えた。

 身体が緊張からか硬くなり、ビクリと肩を震わせるも、春希はそんな沙紀を愛しげな眼差しで見つめる。小指だけでなく、他の指も艶めかしく絡めてくる。


「『村尾さんって綺麗だな』」

「え、あ……っ」


 春希の台詞よって、一瞬にして頭が沸騰する。

 意識が、思考が刈り取られ、その隙を狙ったかのように春希が顔を寄せてくれば、反射的に逃れようと仰け反り後ろ手を付いてしまう。

 そんな沙紀を見て、春希が怪し気にくすりと笑う。


「『可愛いな』」

「は――」


 ――るき、と言葉を繋げないのに、どうしてもその名前が出てこない。

 重なるのは――の姿。

 胸が痛いくらいに騒がしい。

 意識が朦朧とする。

 先ほどと同じ台詞だというのに、とても同じ意味には受け取れない。


「『村尾さん、さっきも言ったけど、好きだよ』」

「あ……っ!」


 春希がそう言って肩を撫でたあと、浴衣の襟から手を侵入させ鎖骨を撫でる。

 すると、沙紀の口から自分でも信じられないような甘い声が飛び出した。

 大きく丸く見開いた瞳には、ちろりとピンクの舌先で唇を舌なめずりする春希の姿。

 その貌はどこか淫蕩に塗れ、しかし色気も含んだ肉食獣じみている。


 そんな――になった春希に顔を寄せられ耳元に息を吹きかけられば、僅かに残った理性や疑問も吹き飛ばされてしまい、そのまま床に押し倒されてしまう。


「ほんと、可愛い」

「……っ」


 少しだけ変わった声色に息を呑む。

 春希が馬乗りになり、片手は指を絡ませたまま畳に縫い付けられている。

 視線が絡むも一瞬、沙紀は羞恥から目を逸らしてしまう。


 身体がとても熱い。

 喘ぐように息を吐く。

 きっと今、とてもだらしない顔をしている自覚があった。


 妙に昂った耳にはゴクリ、と美味しそうなものを前に唾を呑み込む音が聞こえてくる。

 そして春希から顎に指を添えられれば、ごく自然に目を瞑り、唇を差し出し――


『~~~~♪』

「「っ!?」」


 その時、ふいに沙紀のスマホが通話を告げた。

 正気に戻った2人は慌てて弾かれるように距離を取る。


「す、すすすすスマホ鳴ってるよ、沙紀ちゃん」

「え、あ、はい、そうですね!」


 一瞬にして気まずくなった空気を誤魔化すように、お互い敢えて大きな声を出す。

 完全に春希が作り出す空気に呑み込まれてしまっていた。

 ドキドキと早鐘を打つ胸を抑えながらスマホの画面を確認する。姫子からだ。


「もしもし、姫ちゃん?」

『――けて、助けて、どうしようさきちゃん、おにぃちゃんがっ! 倒れて、そのまま目がっ! う、うぅぅぁっ』

「ひ、姫ちゃんっ!?」


 やけに切羽つまった声だった。

 姫子の嗚咽らしきものも聞こえてくる。

 先ほどまでの熱はどこへやら、沙紀の思考はどこまでも冷えていく。


 どうやら隼人に何かあったのだろうか。

 ふいにチラつくかつての光景。

 スマホを握る手に力が込められる。

 深呼吸を1つ、まずは落ち着いて状況を把握しなければ。


「姫ちゃん、あのね――」


 なるべく冷静を努めて尋ねるもしかし、ふいにスマホを持つ手ごと春希に取られた。


「ひめちゃん今どこ!? 家!?」

『え……あ、はるちゃん……うん。おうち』

「わかった、今から行くから待ってて!」

『はるちゃん!?』「は、春希さん!?」


 春希はそれだけ姫子に確認するや否や、台風の中飛び出して行く。

 沙紀はそのお思い切りの良さに、しばし唖然とするのだった。

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