50.が、がんばる!


 街灯にカブトムシが群がり、アオバズクとカエルの合唱が聞こえる月野瀬の夜は、民家からも明かりが消えるのも早い。

 ただ、山の手中腹にある神社に居を構える村瀬家の一室は、部屋主が今年受験を控えているということもあって、今夜も遅い時間だというのに灯されている。

 部屋の主――村尾沙紀は、ただでさえ色素が薄くて色白の顔をいっそ蒼白とさせながらも、難問を前に唸り声を上げていた。


「うぅぅ~」


 ただし彼女の目の前にあるのは教科書でなくスマホであり、また机の上でなくベッドの上で悶えるように足をバタバタ動かしていた。

 寝返りを打って仰向けになると、寝間着代わりに着ている浴衣の裾がはだけ、2つに結われた色素の薄い亜麻色の髪がハラリと広がる。


「どうしてこんなに可愛げのない文になっちゃうんだろう……」


 そんなことを思いながら、先ほどのことを思い出す。


『なんかさー、おにぃが沙紀ちゃんの連絡先知りたがってるんだけど、どうさー? 一応アドレスだけ教えとくから、嫌ならスルーしちゃって』


 と、送られてきたのが3時間ほど前。

 本音を言えば、沙紀にとってこれは渡りに船だった。

 今まで姫子とのやり取りで彼女の兄――隼人がスマホを買ったということは知っていたのだが、世間話の1つとして流されてしまい、今更聞けないという状況になっていたからだ。


 その後、慌ててメッセージを送るも返事が来るのに小一時間かかって、事務的過ぎたかなぁとやきもきし、また、焦らされるように来た返事にも、せっかく姫子という共通の話題を持つ相手への相談だというのに、素っ気ない対応で会話が途切れてしまった。

 思えば昔からそうだった。隼人を前にすると、沙紀は何を言って良いか分からなくなって、素っ気ない態度を取ってしまう。それは面と向かわないスマホ越しでも同じことを繰り返してしまい、ほとほと自分に嫌気が差す。


(どうして私は……)


 はぁ、と力なく吐いたため息が、虚しく部屋へと溶けていく。


 ~~~~♪


「っ!」


 そして再びスマホが鳴る。

 もしやと思って飛びつくも、相手は親友の姫子からだった。


『おにぃに連絡したんだ? 参考になって助かったって言ってたけど、何話したの?』

『ん~、ダイエットメニューのことだよ~。検索の仕方とか話しただけって感じだけど……』

『あー、なる、それね。てか聞いてよ! おにぃったらさ、ダイエットメニューにしてって言って作ったのがこれなんだよ?!』

『……あ、あははは』


 姫子から送られてきたのは、冷ややっこに枝豆、もろきゅうに鳥皮ポン酢と言った、まさに夏の飲み会のつまみとも言える料理だった。この時期、氏子たちの会合と称した宴会でよく見るラインナップである。

 なるほど、これは姫子も文句を言うだろうし、困った隼人が誰かに相談するのも頷けた。それが自分だったと思うと嬉しく思うと共に、もう少しちゃんと答えられたらという後悔も募る。

 そして、とある違和感にも気付いた。


『なんだか量が多いね?』

『うん? はるちゃん含めて3人分だから、こんなもんじゃない?』


「……え」


 思わずリアルで変な声が出た。


『さすがのはるちゃんも文句言ってたよー。いつもは美味しそうになんでもばくばく食べるのにさ』


「い、いつもっ?!」


 それは初めて知る情報だった。


『い、いつもって、まるで春希さんが毎日姫ちゃんちに食べに来てるみたいだけど~?』

『そーだよ? 言ってなかったっけ? 一人暮らし状態でさ、それなら一緒にって感じで』

『へ、へぇ……』


 沙紀の心臓は、これほどなく波打っていた。

 なんとか平静を保って返事をしていたものの、心中穏やかでいられない。


(ま、毎日一緒にご飯食べて、その上一人暮らしだなんて、聞いてないよ~っ?!)


 沙紀は、春希と自分との物理的な距離の差を明確に意識してしまい、焦りに似た何かが胸に広がっていくのを感じる。


 幸いにして、未だ姫子から色気のある話を聞いたことはない。

 しかし春希は見せてもらった画像からも、同性の目から見ても感嘆の声が出てしまうほどの美少女だというのもわかっている。

 これならふとした何かのきっかけで、隼人がコロリと落ちても仕方ないと思えるほどに。


(バカ、わたしのバカ~っ!)


 だから、先ほどみたいな素っ気ない態度を取っている場合ではないのだ。

 せっかくこちらからアプローチできる手段が出来たのだから、尻込みしている場合ではないのである。


「よ、よし!」


 ベッドの上で正座をし、スマホを片手にノートを取り出し向き直る。

 調べるのは手間暇がさほどかからず、見栄えも良いダイエットメニュー。

 幸運なことに、姫子の好みはある程度わかるので、きっと隼人の為になるはずだ。


(は、春希さんに女子力では負けないんだから~っ!)



 …………


 ……


 結局、沙紀は数時間かけて吟味した10種類のレシピと画像をまとめ、隼人に送る。なかなかの力作と言える。

 しばらくは正座したままスマホを眺めるも、沈黙したまま。それもそうだ。すでに日付はとうに代わっており、平日の学生なら眠っている時間だった。

 しかし沙紀は、それらを見直しながら首を傾げる。


(これも素っ気ないというか、事務的だよね……)


 簡潔でまとまってる力作とはいえ、裏を返せば必要最小限のレシピが書かれただけである。

 とてもじゃないが、これから話が盛り上がるとは思えないし、精々お礼の返事がくるだけだろう。

 最悪これで話が途切れて、その後話す切っ掛けを見失うかもしれない――それではダメだ。


(これだと今までと一緒だよね、春希さんに取られちゃう……っ)


 現状、妹の友達とだけしか見られていないのは分かっている。

 そう、自ら動いてアプローチをしなければダメなのだ。


「よ、よぉしっ!」


 前の方で結んでいる兵児帯を解けば、パサリと浴衣が落ちる。代わりに着なれた白衣と緋袴を取り出し、千早を羽織って挿頭かざし前天冠まえてんがんといった髪飾りも付けて化粧も施していく。

 鏡を見てみれば、妖精や精霊とも形容できる幽玄的な美しさの少女が映っている。沙紀としても、非日常的な衣装もあって、納得の出来栄えだ。


(お兄さん、祭りの舞いとか好きだって言ってたし、衣装も褒めてくれたことあったよね)


 だが常識的に考えて、とてもじゃないが真夜中にメイクアップするものではない。

 これは調べもので疲れた事もあって、夜更かし特有のナチュラルハイによる奇行とも言える。

 テンションの高くなってしまった沙紀は、ポーズや笑顔を作ってパシャパシャと自撮りに夢中になり、夜が更けていった。




◇◇◇




 明朝。寝起き特有の倦怠感の中。

 沙紀は昨夜の自撮りのことを、あまつさえ隼人に1枚送信してしまったことを思い出して、ベッドの中でもんどりうって悶えていた。


(ど、ど、どどどどうしてあんなことしちゃったのぉ~っ?!)


 完全に、いわゆる真夜中のラブレター症候群というやつである。

 冷静さを取り戻す前に送ってしまったのは、通信機器が発達した文明の業とも言うべきか。


 ~~~~♪


 そしてスマホが鳴る。差出人は自撮りを送った相手である。

 見たいような、見たくないような……ぐるぐる思考が空回り、そしていっそ殺せと止めを刺されたいようなテンションになって画面を開く。


『ありがと、姫子も喜ぶよ。それとよく似合ってる、可愛いな』


 何てことの無い文章だろう。もしかしたら社交辞令かもしれない。


「似合ってる……可愛い……うぇへへへへへへへ……」


 だけど沙紀にとって、今までの悩みや葛藤を全て吹き飛ばす言葉でもあった。


「沙紀ー、もう朝よー、起きなさーい」

「うぇへへへーい!!!」

「さ、沙紀ー?!」


 沙紀は割と単純でお手軽なところがある少女だった。

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