何やってんだよ!

55.姫子の兄


 昼休み。授業という退屈な束縛から解放される時。

 それは姫子の通う中学でも同じで、食堂に急ぐ者、教室で仲の良いグループで集まり弁当を広げる者、はたまた他の教室や部室に出掛ける者など、その行動は様々である。


 姫子も多くの人と同様、この時間が大好きだった。


 特にお弁当なのが良かった。

 小・中学校が同じ校舎だった月野瀬では給食だったが、こちらでは学食か弁当を用意しなければならない。

 給食でなくお弁当――そこが姫子的に、少しだけ大人になったような気になるところであり、大好きな部分なのである。

 姫子は結構、単純なのだった。


「うぇ……」


 しかし姫子は弁当を開けた瞬間、顔をしかめて変な声を出す。

 一体どうしたことかと、友人の鳥飼穂乃香が覗き込んでみれば、そこにはオムライスを中心に彩りとばかりにミニトマトとブロッコリーが添えられている、ごく普通の弁当があるばかり。


「どうしたの、姫子ちゃん? おいしそうなお弁当じゃん」

「あたしトマト苦手なんだよね」

「なんだ、たまたま苦手なものが入っていただけか」

「たまたまじゃないよ、これはきっとおにぃの報復だね。昨日作ってくれた夕飯がね、酷い絵面だってあたしが文句言っちゃってさぁ」

「へぇー……って、ちょっと待って。ウソ、このお弁当って、もしかしてお兄さんが作ったの?!」

「うん、そうだよ、いつも作ってくれるのは良いんだけどさ…………って、あーその、一口食べる?」

「是非に!」


 姫子は鳥飼穂乃香からの興味と興奮からの圧に負けて、彼女の弁当箱の蓋に一口分差し出した。

 鳥飼穂乃香はそれをじっくりねめつけながら「ほぉ」やら「へぇ」と声を上げて観察する。

 そこまで興味津々に見分されると、さすがの姫子も自分で作ったわけでないにもかかわらず、何だか恥ずかしくなってきてしまう。


「いただきます……んっ、これは! 豆腐?! いやオカラ?! キノコもたっぷりでチキンライスというより和風な味付けで……あーもう、おいしい! 姫子ちゃんのお兄さんって料理上手くない、てか凄くない?!」

「えぇぇ、料理出来るって言っても、基本的に飲み会のつまみが基本なんだよ? それに朝起こすときは乱暴だし、勝手にあたしの部屋掃除することもあるし、良いもんじゃないなーあれは」

「なん、だと……料理上手でお弁当を作ってくれるだけじゃなくて、朝起こしてくれたり部屋も掃除してくれて世話も焼いてくれる、だと……」

「ほ、穂乃香ちゃん……っ?」


 姫子としては、普段の兄への文句を言ったつもりだった。

 しかし何の琴線に触れたのか、鳥飼穂乃香はくわっと目を見開いて、ぐぐっと前のめりになって姫子の手を掴む。

 そして、その琴線に触れたのは何も彼女だけではなかったようだった。


「霧島さん、そのお兄さんの話をもっと詳しく」

「お兄さんってどんな人かな? 背は高い? 学校はどこ? 写真とかある、ていうか肝心なとこだけど彼女はいる?!」

「霧島ちゃんの実兄の顔で、料理が出来て世話焼き……これはポイントが高い……」

「ちょっと、今度の休みにでも紹介してくれないかな?!」

「え、えーと……」


 姫子は困惑していた。姫子にとって兄の隼人は、口うるさくお節介で、デリカシーに欠けたところのある存在だ。

 食事に関しては感謝しているけれど、伸びるに任せた乱雑な髪の毛や、麦わら帽子で都心部に出掛けようとするアレなファッションセンスの持ち主でもある。

 だから、どうして友人たちが兄に興味を持つのか分からない。


 しかし、鳥飼穂乃香たち級友にとっては違う。

 そもそも姫子は残念なところはあれど、彼女たちからの目からみても美少女なのである。そんな彼女と同じ血を分けた兄への期待値が小さいわけがない。


「そ、そんな良いものじゃないよ? 1個しか離れていないのにエラソーにするし、着てるのも色々ダサいから彼女なんて居たこともないし、出来る気配もないしさ」

「うんうん。姫子ちゃん、そんなこと言わずに!」

「今度一緒に遊びにつれて来てよ」

「カラオケとかで良いからさ!」

「えー、おにぃは……って、カラオケ?! カラオケってその、集会場とかバスとかで歌う奴じゃなくて、カラオケボックスとかの個室でやる、あのカラオケ屋さん?!」

「「「…………」」」


 今度は姫子が前のめりになる番だった。

 ド田舎の月野瀬にはカラオケの店なんてものは無い。あっても年寄りの社交場に古い型が設置されている程度で、最新の曲なんてものは期待出来ない。

 だから級友と一緒にカラオケに行くなんてものには、憧れに近いものがあった。


 そんな目をキラキラとさせている姫子を見る鳥飼穂乃香や友人たちの瞳は、ひどく優しい。


「うんうん、今日は帰りにカラオケに行こうか」

「駅前のでいいよね? クーポンあるし」

「よーし、おねーさんたちが姫子ちゃんの分は奢っちゃうぞー!」

「え? え? え?」


 姫子の戸惑いを余所に、盛り上がる友人たち。

 どうやら本日の放課後の予定が決定した瞬間だった。




◇◇◇




 夏の夕暮れはひどくゆっくりだ。

 放課後女子4人でたっぷり1時間半歌いつくしたが、まだまだ陽が沈むには時間がありそうである。


 帰る方向が違う皆と別れた姫子は、トボトボと力ない様子で駅前の商店街を歩いていた。


「……はぁ」


 先程のカラオケを思い出すと、大きなため息が漏れる。


(みんな、上手かったなぁ……)


 それだけじゃなく友人たちは皆、慣れた様子でテンション高く盛り上がっていた。

 特に鳥飼穂乃香は特別に上手く、また、周囲を盛り上げるのに一助を買っていた。


 翻って、今日がカラオケ初体験の姫子はと言えば、タッチパネルでまごついてあわあわしていただけでなく、マイクを持てばハウリングを出してしまい、歌唱法もよくわからないので歌うというよりボソボソと呟く始末である。


 そんな姫子の姿を友人たちは揶揄からかうでなく微笑ましく――姫子主観ではニヤニヤした感じで見つめられていたのであった。

 さすがの姫子も、少し落ち込んでしまうのも無理はない。


(こ、今度までには、おにぃやはるちゃんを誘って練習しとかないと!)


 立ち直りの早い姫子は、そう決心して気合を入れていると、見知った顔に遭遇した。


「ひ、ひめちゃんっ!?」

「あれ、はる……ちゃん……?」


 それは学校帰りの春希であった。

 偶然にも鉢合わせたので声を掛けようとするも、どこか必死な様子の春希と、その後ろからにょきっと現れた少女の集団にたちまち囲まれてしまう。びっくりしてしまった姫子の語尾は、どんどんと小さくなってしまう。


「あ、この娘、例の二階堂さんの幼馴染の!」

「ほっほぅ、この娘が霧島君の!」

「1つ下の中3だっけ? その制服、あーしの後輩だー」

「あ、結構背もあるねー、モデルさんみたい。なるほど、このレベルの美少女なら男子に紹介するのを躊躇うのもわかる」

「えと、あの、いや、その……は、はるちゃん?!」

「あは、あはははは……」


 いきなり年上の女子たちに包囲され、逃げ場も無く不躾にちょっかいを出されれば、どうしていいかわからなくなる。

 ただでさえ、姫子は初対面の相手には人見知りするきらいがあった。

 助けを求めるように春希を見てみるも、春希自身が笑って誤魔化して助けて欲しそうな顔をしていて頼りにならない。


(は、はるちゃん~っ!)


 春希と姫子は、互いに困った顔を見合わせながら途方に暮れる。

 周囲の女子たちは、獲物を見つけた肉食獣の目をしているのだった。

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