181.……何やってんだろ


 バイトが終わった。

 サッカー部とは種類の違う疲労感と達成感が、一輝の身を包む。

 店の裏口から外へと出てぐぐーっと伸びをすれば、夕陽が随分と長く影を引き伸ばす。

 西空に目を向けると、散り散りになったいわし雲が赤く染められている。


 元から忙しいと覚悟していたバイトも、終わってみればあっさりとしたものだった。


「はぁ、おつかれ一輝。何とか乗り切れたな」

「お役に立てて何より、手伝った甲斐があったかな?」

「助かったよ。ったく、こんな日に限って姫子が来るんだからなぁ、もぅ」

「……あはは」


 姫子のことで愚痴る隼人の言葉に、胸が僅かに騒めく。

 姫子と顔を合わせたのは夏休みの初め、プール以来1ヶ月ぶりだった。

 美味しそうにかき氷を頬張る顔。

 友人たちと楽しそうにおしゃべりする姿。

 そして他の客と違い、自分を映していない瞳。

 知らず、疼き始めた胸を押さえる。

 すると隼人が気遣わし気な表情で顔を覗き込んできていることに気付く。


「大丈夫か?」

「……えっと、何が?」

「いや、バイトの時の接客モードの顔のままだからさ」

「っ! あ、あぁうん、凝り固まっちゃったのかも」


 咄嗟に飛び出た言い訳に、おぃおぃと苦笑いを零す隼人。

 それに曖昧な笑みを無理矢理作って返す。

 あの時、姫子の顔を見て、慌ててこの仮面笑顔を貼り付けた自覚はある。

 変なことを言っていなかっただろうか?

 悪い印象を持たれていなかっただろうか?

 ちゃんと適切な距離感を演じられていただろうか?

 そんなことばかりが気にかかる。


「一輝は電車か。じゃあ俺、こっちだから。早く帰って夕飯作らないと」

「大変だね。じゃあまた明日、学校で」

「おぅ!」


 そう言って急いでいたのだろう、小走りで駆ける隼人の背中があっという間に商店街の喧騒に呑み込まれていく。

 夕方の駅前はあくせくと行き交う人々で溢れている。

 そんな中、一輝は宛てもなくふらふらと歩く。

 目的なんてない。

 ただ、すぐ帰る気にはなれなかった。

 胸では燻ぶった何かが渦巻いている。

 しかしここは、あまり大きな商店街ではない。

 ほどなくして街の終わりが見えてきた。

 目の前には大きな幹線道路が一直線に伸びており、今度は人の代わりに多くの自動車が行き交っている。

 そこへ足を踏み入れた瞬間、ザァッと強い風が吹きつけた。


「っ!」


 風に巻き上げられた落ち葉が顔に叩きつけられ、思わず目を瞑り足を止める。


「……何やってんだろ」


 顔に貼り付いた落ち葉を剥がし、ため息と共にそんな言葉を吐き出す。

 最近やけに姫子のことが、友人の妹のことが気に掛かっていた。

 今もプールの時に見せた少し寂し気な表情が、瞼の裏に焼き付いている。

 そしてふとした瞬間に心が掻き乱されることも多い。

 だけど彼女とどうなりたい、どうしたいかというものがない。

 まったくもって、自分で自分がわからなかった。

 それに心の奥底に引っかかっているものもある。


『裏切者……っ!』


 初めて誰かから叩きつけられた明確な悪意。

 颯爽と手のひらを返し離れていく周囲。

 笑顔の裏に隠れていた打算と欲望。

 あの時感じた――は、もう2度と味わいたくない。


「ばいばい、またなーっ!」

「明日はおまえんちでゲームたいかいな!」

「おぅ、まけねーぞ!」

「帰ってとっくんすっかー!」


 その時、小学生たちのグループが屈託のない笑顔を会話をしながら目の前を通り過ぎて行く。

 裏表のない彼らを眩しそうに眺め姿が見えなくなると、フッと自嘲気味なため息が零れた。


 いつまでもここに突っ立っていても仕方がない。

 よしっとばかりに気合を入れるために頬を叩くのと、「あの……」と遠慮気味に声を掛けられるのは同時だった。


「海童さん、ですよね……?」

「っ!? 三岳、さん……?」


 振り向いた先には編み込んだ髪の毛が可愛らしい制服姿の女の子――みなもがいた。

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