182.怖い
手には何か荷物を抱えている。どこかの用事の帰りなのだろうか?
「こんなところで何をなさっているんですか?」
「ええっと、その……」
みなもはこてんと小首を傾げて尋ねてくる。
しかし予想もしなかった出会いに口籠ってしまう。
そもそも何もしていない。一輝自身が知りたいくらいだ。
少しばかり気まずい空気が流れる。
何かを話さないと思って周囲に視線を巡らせてみるも、みなもの背後には幹線道路が広がっているのみ。
そんな一輝の顔を、どこか気遣わし気な様子で覗き込んでくる。その瞳は今にも『大丈夫ですか?』と言いたげな色を湛えていた。
みなもは世話焼きな気質のある少女だ。
――隼人のように。
だから一輝は慌てて悟られぬよう笑顔の仮面を貼り付け、言い訳を紡ぐ。
「ええっと、隼人くんたちのバイトのヘルプでちょっとね。ほら、この間話を聞いてもらった御菓子司しろ、あそこで。ここ、あまりよく知らない街だから、他に何があるのか気になって」
「…………」
「知らない街を散策するって楽しいよね。初めて見るお店があったり、チェーン店でも地元と比べると色々特徴があって違っていたりして。そうそう、僕の住んでいるところは再開発エリアだから、古い建物は軒並み撤去されてて、だからしろみたいな――」
「例の応援したい人と、何かあったんですか?」
「――――っ!」
みなもの鋭い言葉にピシリと笑顔に仮面にヒビが入り、そして呆気なく剥がれ落ちた。視線は彷徨い、口元は引き攣っている。
劇的な変化だったのだろう。
言葉を投げたみなも本人も、そんな一輝の反応が意外だったのか、面食らいあわあわしだす。
何とも言えない気まずさを含んだ空気が流れる。
「……ご、ごめんなさいっ」
「え?」
「わ、私また勘違いというか早とちりというか……その、ご迷惑をおかけ――」
「ま、待ってくれ!」
自分でも不適切なことを言ってしまったのかと思ったみなもは、慌てて申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。その顔は自嘲気味にくしゃりと歪んでいる。
みなもはただただ一輝のことを慮っていた。
打算もなく、様子のおかしかった一輝のことを心配して。
だというのに自分を良く見せようと取り繕った結果が、この彼女の顔だ。
ズキリと胸が情けなさで痛む。
そして一輝はバチンと勢いよく自分の頬を引っ叩。みなもの肩がビクリと跳ねた。
「か、海童さん!?」
「痛~っ」
「あ、あわわ、ほっぺたすごく赤くなって……っ!」
「あははっ、ちょっと顔の筋肉をほぐしたくてね。それより三岳さん、少し話を聞いてもらいたいんだ」
一輝は慌てるみなもを、ジッと精一杯の誠意をもって真剣に見つめる。
すると視線を受け止めたみなもはハッと息を呑み、そしてこくりと小さく頷いた。
◇◇◇
空の群青色の部分が刻々と濃さを深めている。
みなもと一緒に隼人が去っていったのと同じ方角へと向かって歩く。どうやら彼女の家もそちらの方らしい。
「……」
「……」
2人の間に会話はなかった。
ただただみなもの家に向かって住宅街を歩く。
時折チラリとこちらを窺うみなもの視線を感じる。
しかし一輝は夕陽で紅葉色に染まった困った顔を浮かべるのみ。
話を聞いてもらいたい。
だけど、どう話していいかわからない。
みなももそれが分かっているのだろう、辛抱強く待ってくれている。
こんな状況と自分自身がもどかしい。
するとその時くすりと笑い声が聞こえてきた。
「三岳さん?」
「あ、いえ、すごく表情がころころと変わっていまして……そんな、学校では見せたことのない顔をさせる相手の方って、どんな子なのかなぁって」
「……普通の女の子、だと思う。けど他の子とはちょっと違うというか、よく笑う天真爛漫で面白い子だけど、すごく寂しそうな顔を見てしまって……」
「それが妙に気になってしまった、と」
「だけど、踏み込んで聞こうにも、何とも言えない距離感の間柄で……」
「だから仲良く、友達になりたいんですね?」
「っ!」
思い返せば1番脳裏に焼き付いているのは、プールの時に見せた『好きな人がいたんです』と言った時の顔。
後悔、寂寥、諦観――いつも見せていた無邪気な笑顔に裏に隠されていたものがふとした瞬間に零れ落ちてしまったもの。
一体誰が彼女にあんな顔をさせたというのか。
驚き、疑問、怒り――胸に感じた様々な思いに定義を当て嵌めてみても、そのいずれにも合いはしない。
何もかも今までに感じたものではなかった。
胸を押さえ、ふぅとため息と共に思ったままの言葉を零す。
「……そうなのかもしれない。けど、自分でもよくわからないんだ。女の子相手だと色々あったから……」
「怖いんですか?」
「え……?」
しかしみなもからは思いもしなかった言葉が返ってくる。
思わず足が止まり、どうして? と彼女の顔を覗き込む。
するとみなもは2、3度瞬きさせた後、神妙な顔を作った。
「とても不安そうな顔をしています。誰かに深く1歩踏み込む……それはとても怖いことなのはわかります。私もよく話すようになって、友達になりたいと思って、なかなか切っ掛けが掴めなくて尻込みしたことがありました。その、間違っていたらすいません」
「……ぁ」
何かがストンと胸に落ちた。思わず今の自分の顔を撫でてみる。
怖い、不安、恐れている。
まったくもってその通りだ。
きっと
思えば疑心暗鬼から慎重になり過ぎて、それこそ滑稽な姿を晒していたことだろう。
一輝にとって友達は、特別だ。
せっかく上手く回っている現状が変わってしまうことがたまらなく怖い。
かつてそれまでの平穏が、一瞬で瓦解してしまったことがあったから、なおさら。
ここで初めて、臆病になっていることに気付く。
そして一輝は観念したとばかりに軽く頭を振った。
「……いや、三岳さんの言う通りだ。僕は怖いんだ、また1人ぼっちになるのが……臆病なんだよ。前に1度、大きな失敗もしているし……」
そんな心の脆い部分を曝け出す。少し遅れて、自分への呆れたため息も零れてくる。
しかしみなもはそんな一輝を笑うでもなく、慰めるでもなく、ただその瞳を揺らしたかと思えば、淡々と唇を震わせた。
「1人はイヤ、ですよね」
「……三岳さん?」
「私もある日突然1人にされました。だから……」
自嘲気味に薄っすらと笑うその顔は、まるで鏡映しかのよう。
ドキリと胸が跳ねる。
決して自分だけが特別じゃない。
一輝は大きく目を見開き、胸に当てた手でシャツに皺を作り、そして思わずみなもの手を取った。
「そ、そのっ、僕の、ええっと、練習に付き合ってくれないかな!?」
「れ、練習……?」
「そ、そう、練習、友達になるための! 三岳さんが、イヤ、ではなければだけど……」
衝動的な行動だった。
言葉もどこか言い訳じみたものだ。
なにより自分で自分に驚いている。
それはみなもも同じのようで、ぐるぐると目を回す。
ハーフアップに纏めた髪がぴょこぴょこ跳ねる。
しかしやがて言葉の意味を呑み込んだみなもは、おっかなびっくりしつつもこくりと頷いた。
「は、はい、私でよけれ――」
「わんっ! わんわんわんっ、わふっ!」
「っ! 三岳さんっ!?」
「こらー、れんとー……って、あら、あらあらあらあらみなもちゃん!?」
「きゃっ……って、れんとに奄美さん!?」
その時みなもに向かって勢いよく駆けてくる大型犬がいた。ラフコリーのれんとだ。飼い主である老齢の女性も引っ張られている。
一輝は反射的にみなもを庇うように前へと出るが、そこでれんとは急停止。ちょこんと礼儀正しくお座りし、「わんっ!」と背後にいるみなもに向けてご挨拶。
「大丈夫ですよ海童さん。この子――れんとはやんちゃだけど優しくていい子ですから」
「わふっ!」
みなもが苦笑しつつれんとの前へと出て頭を撫でてあげれば、嬉しそうな声を上げる。
れんとは一輝の目から見ても、みなもによく懐いていた。
「ごめんなさいね、れんとったらまた、みなもちゃんの姿をみて走り出しちゃって」
「ふふ、大丈夫ですよ。いつものことですし……ね、れんと?」
「わんっ!」
「ったく、この子ったら……それにしてもみなもちゃん、随分とカッコいい男の子と仲がいいのね? 最近髪型も変えたし、もしかして……あら、あらあらあらあら!?」
「ふぇっ!?」「っ!?」
あらあらと囃し立てる声で、ようやく手を取ったままだということに気付く。慌てて距離を取る。
「か、海童さんとはそういうのじゃ!」「三岳さんとはそういうんでなくっ!」
「あらあらうふふふふ、邪魔しちゃ悪いから私は退散するわね。行くわよ、れんと」
「わんっ!」
そして何を勘違いしたのか、彼女は含み笑いをしたまま去っていく。今日に限って空気を読んだのか、れんとも聞き分けがいい。
後に残された一輝とみなもはお互い顔を気恥ずかしさと羞恥で真っ赤に染めたまま、ポツリと呟いた。
「あ、あのその、その子とも上手くいくといいですねっ」
「あ、あぁうん、頑張るよ」
「……くすっ」
「……ははっ」
そして何とも言えない笑い声を重ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます