83.負けたくない


 時を同じくして月野瀬でもにわか雨が降っていた。

 たとえ一過性のものだとしても勢いの強い雨足は大いに大地を削り飛ばし、畑では泥の跳ね返りや崩れる畝うねが出てくる事だろう。


『でさー、さっきもおにぃがいきなり外へ飛び出して行っちゃって……って、沙紀ちゃん?』

「え、あ、聞いてるよ~。うんうん、聞いてはいるけど……」


 山の中腹にある神社、その住居部の一室。屋根を叩く雨音が響く中、沙紀は机に広げられた教材の上にタブレットを置き、スマホを片手に親友である姫子と通話をしていた。

 しかしその顔は、にわか雨どころか台風が来て畑がダメになったかのような農家の人の様に愕然としている。


(ど、どどどど、どういうことなのぉ~?!)


 沙紀の意識は通話先の親友姫子ではなく、タブレットの方に送られてきた画像の方に釘付けになっていた。


 そこにはマイク片手にどこか切羽詰まったようないっぱいいっぱいの表情の隼人を中央にして、その隣には揶揄い混じりの表情でちょっかいを掛ける可愛らしさに全振りした格好の春希と、笑いを堪えながら馴れ馴れしくも隼人の肩に手を置く、目を引く端正な顔立ちの――恋する乙女である沙紀をしてため息を零してしまうほどの男子がいる。

 彼らの前の机に映っている豪華で甘そうな食べかけのハニートーストが、いかにその場が盛り上がっているのかを物語っていた。


 ファイル名は『♪本日のカラオケ♪』。


 画像を見れば正にその通りなのだが、沙紀の頭の中では様々なことがぐるぐると高速で渦巻いている。


(なななな何でカラオケなのぉ~、姫子ちゃんと映画に行ったんじゃなかったのぉ~っ?! それにあわわわ春希さん可愛っ、んんんっ、男の子狙いのあざとい格好だし、となりの男の人……あれこの目、って、誰なのぉ~っ?!)


 てっきり兄妹で仲睦まじく映画館へ探検・・に行って来たものばかりと微笑ましく思っていた沙紀にとって、この画像は寝耳に水だった。

 思考だけでなく胸も高速で早鐘を打っており、早とちりはいけないと冷静を心掛けるべくコホンと1つ咳払い、そして親友姫子話しかける問い質す


「えぇっと姫ちゃん? 今日は映画見に行って来たんだよね~?」

『そう! 映画、はるちゃんのお勧めでアニメだったんだけど、これがものすっっっごくよくってさ!』

「へ、へぇ、春希さんのお勧め……え? ど、どういう……あ、あのその春希さんだけど、今日はなんか随分普段のイメージと違ってたというか~、男の子受けを狙ってそうな~?」

『あーそれ、はるちゃんもやり過ぎなくらいあざといよね~、本人も驚かせるために狙ってやったって言ってたし。しかもね、ギャップも狙って物凄いえっちな下着にしてるの!』

「え、えっちな?!」

『そうそう、上だけチラ見せしてたけど、黒のレースの際どいやつでさぁ、そりゃもうおにぃなんか凄い慌てちゃってたよ』

「お、お兄さんにも見せたの!?」

『あはは、驚かす為だけにそこまで気合入れるかって話だよねー』


 沙紀は思わず涙目で「うぅぅ」と唸り声を上げながら、自分の下着を確認してしまう。

 身に着けているのは月野瀬の里を下りた街の量販店で買って来た、リーズナブルだけが売りの色気もへったくれもないものだ。

 つい画像の春希を恨めしくねめつける。隣に映る思い人隼人の表情がどこか迷惑そうにしているのが幸いか。


『沙紀ちゃん?』

「んんっ、な、何でもないよぉ~。ええっとね、その、この男の人は誰なのかなぁって……あ、もしかして姫ちゃんのか、彼氏だったりするのかなぁ?」


 唸って黙り込む沙紀を訝し気に思った姫子が声を掛ければ、それを誤魔化す様に話題をもう1つ気になっていた方向へと差し向ける。

 沙紀から見ても姫子は、一部これからに期待な部分はさておき非常に整った容姿をしている少女だ。少しばかり抜けている所や鈍感な所、それと人見知りする部分があるものの、一度懐に入れた相手には屈託なく懐き、愛される性格をしている。

 もしやと思って誤魔化す様に口にしたもののそういう可能性も否定できず、引っ越して直ぐなのにまさかとか、親友にそんな相手が出来るのが喜ばしい反面ちょっと寂しいとか感じてしまう。


『あはは、違うよー。どちらかと言えばあたしじゃなくておにぃの彼氏って言ったほうがいいかも?』

「んんんん~っ!? ど、どどどど、どういうことなのぉ~っ!?」


 だから姫子からの予想外の返答には叫ばずにいられなかった。


『それがさ、この海童さん、イケメンだけどその分逆恨みも買ってたみたいでさ、それをおにぃが――』

「うん……うん…………」


 姫子は呆れた色を滲ませつつも、今日ファミレスであったことを語ってくれた。

 絡まれた時の事、それに隼人がどうしたかという事に、その後一輝から隼人と面と向かって友達になりたいと言った事。


『――そんでね、おにぃったら『お前のそういうところが苦手なんだ』、なーんて言いながら『行くぞ、一輝』ってしれ~っと呼び方変えてやんの。ほんと、素直じゃないよね』

「そっかぁ、そうなんだぁ……」


 姫子が語る話は正しく沙紀の知る思い焦がれる隼人そのものの姿だった。どこか誇らしくすら感じてしまう。

 それと同時にどこか画像で彼にひっかかっていた既視感めいたものの正体を知る。


(きっとこの人も私と同じなんだ……)


 おそらく自分と同じく、ふとした隼人の言葉に救われたのだろう。

 そう思うとこのイケメンに親近感が湧くと共に、少しだけ『お、男の人同士だから好きとかそういうのはないよね?!』と不埒なことを考え、首を振って腐った妄想を叩きだす。

 それにしても、と思う。


「ずるいなぁ……」


 ふと心の中で渦巻いていた思いが口から零れてしまった。

 再びタブレットの方へと視線を落とす。そこに映るのは楽しそうな空気の中にいる、自分の知らない親友の兄隼人の姿。


 焦りは禁物だとはわかっている。

 既に両親からは来年の進学先について都会での一人暮らしの許可も下りているし、親友から話を聞く限りすぐに彼らがどうこうなるものではないとも思う。

 それでも、自分のいない時間を重ねられていくのかと思うと、置いて行かれていくんじゃないかという焦燥感に身を焦がす。


『あ、ごめん……なんかあたしだけ遊んではしゃいじゃってて……』

「うぅん、そういうのじゃ……ただね、ちょっとうらやましいなぁって……」

『沙紀ちゃん……』


 ふと視線をタブレットからずらせば、先日から何度もメッセージの下書きを書き連ねては修正を入れているノートが目に入る。


(…………ぁ)


 なんだかそのノートがのけ者になっているかのようだった。

 あれから結局一度も隼人と連絡が取れていない。このノートのように何も出来ず、このまま埋もれてしまうんじゃと錯覚すれば、ふつふつとこのままじゃダメだという気持ちが溢れてきた。

 タブレットの画面に視線を戻せば、姫子が言う所のあざとくも可愛らしい姿の春希。

 それはまるで隼人を揶揄っているがしかし、沙紀には挑発されているかのようにも見えた。


(春希さんには、負けたくない……っ)


 焦燥感に焦れていた沙紀の心に闘志が点ともる。

 気合を入れた沙紀は、ヨシとばかりに自分の頬を思いっきり引っ叩く。


「ぁ痛ーっ!?」

『さ、沙紀ちゃん?!』


 強くたたき過ぎて赤くなった頬をさすりながら、沙紀は勇気を振り絞って姫子に提案した。


「あのね、姫ちゃん! 月野瀬のみんな・・・でグループチャット作らない?」

『グルチャ?』

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