248.聞いてもらえますか?
夜もすっかり更けた頃。
それでも多くの車が行き交う幹線道路から住宅街へと入り、その喧騒が静かになるあたりに、沙紀のマンションがある。
単身者向けにしては広い間取り、都会の悪意を跳ねのける堅牢なセキュリティ。
その最近物が増えてきたリビングで、寝間着姿の沙紀と春希はせっせと家具を移動させていた。
「沙紀ちゃん、せーのでテーブル動かすよ。せー、のっ!」
「んっ、しょ……っ!」
「ふぅ、とりあえずこんなもんかな?」
「そうですね、なんとかスペースは確保できたかと思います」
「あとは布団を運んでくるとして……沙紀ちゃんのと予備で2組、1人はソファーで毛布かな? さすがにボクん
春希が割と真剣なトーンで呟けば、沙紀はあははと曖昧に笑う。
そこへみなもが廊下からすまなさそうに顔を出す。風呂上りのしっとりと濡れた髪に、沙紀に借りた浴衣姿。
「お風呂、いただきました。寝巻までお借りしちゃって……」
「いえ、ある意味フリーサイズの浴衣しかお貸しできるものがないといいますか!」
「うんうん、ボクや沙紀ちゃんの手持ちのじゃちょっとねーっ!」
沙紀と春希は浴衣の上からでもよくわかるみなもの豊かな膨らみに目をやり、自分のモノと比べ、互いに神妙な顔で頷き合う。
規格外と言えた。羨望も嫉妬も起こらず、何を食べたらああなるのだろう? それとも体質? そんな興味の方が先に立ち、思わず思案にふける。
みなもはそんな急に無言になった2人に少しばかり困った顔をしていると、布団を敷くためのスペースが空けられているのを見て「ぁ」と小さな声を上げた。
「す、すいません! 私ったら何もお手伝いせずに」
「いいのいいの、みなもちゃんは今日色々あったし、ね?」
「そうですよぅ。あ、昨日田舎で採れた秋冬番茶が送られてきたんです。淹れてきますね!」
そう言ってポンと両手を合わせた沙紀は、キッチンに駆け込みお湯を沸かす。
先日皆と買い揃えた茶器を取りだす足取りは軽く、鼻歌交じり。
不謹慎かな、と思いつつも少しばかりこの状況に心が弾んでいるのも事実だった。
みなも本人が明るい調子なのと、春希や隼人たちも一緒になって問題を考えてくれているというのも心強くて。
沙紀がお茶を持ってリビングに戻れば、既に布団が運び込まれており、置き場がない。テーブルも先ほど端っこに寄せたばかり。
そういえばそうだった。自分の迂闊を恥じ、手元のお盆に視線を落としてどうしたものかと眉を寄せれば、今度は春希がポンと両手を合わせた。
「沙紀ちゃんの部屋で深夜のお茶会としゃれこもっか」
その提案に、沙紀とみなもはわぁ、と声を上げた。
沙紀の部屋に移り、折り畳み式の小さなテーブルにお茶を置き、囲む。
お茶うけに何かあったかなと思案していると、春希がにししと悪戯っぽい笑みと共に鞄からいくつかお菓子を取りだす。
「わ、これって?」
「さっき家から着替えとか持ってくるついでにね。お茶会にはお菓子が必要でしょ?」
「ふふ、そうですね……ってホルモン味のグミ!? 生ハムメロン味の飴に、酢豚味のポテチ……」
しかし沙紀はそのパッケージを見て、目を瞬かせる。
どれも味が想像できない。
一体どこで見つけてきたのやら。
隣のみなももどこか困った顔。
そう言えば隼人が、春希は時々明らかに外れや地雷だと分かっていても、好奇心から突撃する癖があるとぼやいていたことを思い返す。
なるほど、これかと苦笑いする沙紀。
その春希はといえば、そわそわと落ち着かない様子。
さてどうしたものかと眉を寄せていると、みなもがひょいっとグミを手に取った。
「これ、『グミの触感でホルモンをリアルに再現、病みつき間違いなし!』ですって」
「気になるよね、それ!? まぁボク、ホルモン食べたことないから比べられないけど」
「じゃあ今度、食べに行ってみるのもいいかもですね」
「そうだね! あ、そういや夏に隼人たちが焼肉食べ放題に行ってさー――」
「あ、その話姫ちゃんも――」
「家のホットプレートで焼くと煙が――」
春希が持ってきたお菓子は、確かに微妙なものばかりだった。
しかしホルモンってこんな風にクニクニした触感なのだとか、飴なの肉の味がして味覚がバグるとか、酢豚の味の最限度が高すぎて何を食べているのか混乱するだとか、話のネタになってとても盛り上がる。
一度付いたお喋りの火は、食べ終わっても続いていく。
ここにいない霧島兄妹、文化祭準備でのあれやこれ、1人暮らしの失敗あるある、エトセトラ。
流れる空気はすっかり友達同士のそれ。
やがて湯呑も空になり、時計の針が随分進んでいることに気付いた。
「あ、そろそろいい時間だね」
春希がそう呟けば、誰からともなくテーブルを片付け始める。
リビングではソファーと布団が2つ川の字になって並べられており、春希は「特等席もーらいっ♪」と言ってすかさずソファーへと飛び込む。
そんな春希らしい行動に、沙紀はみなもと顔を見合わせ苦笑い。
だがそれは、みなもを布団で寝かせるための彼女なりの気遣いなのだろう。
そんなことを考えながら灯りを消そうとしていると、みなもが端に寄せてあるテーブルの上のあるものに気が付いた。
「あらノートパソコン。珍しいですね」
「え、そうですか?」
「スマホがあれば、ネットとか色々事足りちゃいますし」
「んー、ボクんちにあるパソコンも実質ゲーム機みたいになってるね」
「そうですね、確かにあのノートパソコンもゲーム専用かも」
「うんうん、ボクが貸してるえっちなゲーム用だね」
「ぴゃっ!?」「は、春希さん!?」
いきなり暴露に涙目で抗議の声を上げる沙紀。
チロリと舌先を見せて受け流す春希。
「でも沙紀ちゃん、話が面白かったからはまちゃってるでしょ?」
「そ、それはまぁ……」
「えっちな表現だからこそ描ける話だもんね」
「確かに最初は偏見がありましたけど、実際そういうシーンがあるからこその盛り上がりがありますね」
「だから沙紀ちゃんはそんな話が好きなえっちな子だと」
「はい! って、違います!」
「ふふっ」
「も、もぉ、みなもさんも笑わないでくださいよぅ!」
「あは、あははははっ」
「みなもさん?」「みなもちゃん?」
そして突然、みなもは可笑しくてたまらないとばかりに笑いだす。
いきなりのことで呆気に取られ、顔を見合わせる沙紀と春希。
やがてひとしきり笑い終え、目元の涙を拭ったみなもは、スッと目を細めて向き直る。
「急にごめんなさい。でも何だか不思議で、おかしくて。つい放課後までこの世の終わりみたいな気持ちだったのに、こうして笑っちゃって。笑えるんだって。沙紀さんとは今日初めて会ったというのに、泊めてもらっちゃって」
そう言って、みなもは笑う。
自嘲気味に、少し困った顔で。
しんみりとした空気が流れる。
そんな中、春希がふと胸の内を零した。
「みなもちゃんの気持ち、ちょっとわかるかも。ボクもそうだった」
「……え?」
「こんな生まれだからさ、どこ行っても大人たちに疎まれちゃって。だからこの世のすべてを呪ってた。けど、誰かさんが強引に色々遊びに連れ出してさ、気付いたら笑うようになってたんだよね」
「春希さん……」
そう言って、春希も笑う。
自らの胸に手を当て、そこに仕舞っている大切な宝物を自慢するかのように。少し照れ臭そうにして。
どれだけその誰かさんのことが彼女にとって大きな存在かが伝わってきて、きゅっと沙紀の心を締め付ける。
「わ、私もっ」
思わず声を上げてしまったのは、対抗心からか。
沙紀はかつて自身の世界が変わった切っ掛けを語る。
「私も、巫女舞を何のためにするのかわからなくて、辛くて、苦しくて、どうしようもなくて……でもっ! そんな私にたった一言、『綺麗でカッコいい』と言ってくれたから、どういう風に向き合えばいいかわかって、その……」
言って、後悔する。語尾はどんどん小さくなっていく。
みなもや春希の凄絶なそれと比べ、自分の問題のいかに取るに足らないことか。
真実、客観的に見てそうなのかもしれない。
だけど、それでも。
その言葉で沙紀が救われたのも真実だった。
あの時胸に生まれた憧憬、想い、彼に惹かれた理由。
それが言葉となって口から飛び出した。
「私もお兄さんみたいに、誰かに笑顔を作れるような人になりたい」
胸を張って隣に立つために、という言葉は呑み込んで。
沙紀の言葉を受けて目を丸くする春希とみなも。
2人はジッと見つめてくる。
大それたことを言ってしまっただろうか?
羞恥から頬が熱くなっている自覚はある。
しかし沙紀の偽らざる本音だ。
だから沙紀は2人の目を見据え、しどろもどろになりつつも胸にある彼女たちへの想いを形作った。
「だからその、まだまだ力不足かもしれないけど、頼ってくれたら嬉しい、です」
沙紀がそう言えば、春希とみなもは互いに顔を見合わせくすりと笑みを零す。
そしてみなもは沙紀と春希の顔を見て、遠慮がちに、しかしはっきりとした言葉を綴った。
「私の話、聞いてもらえますか?」
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