249.やっぱりそれでも


 みなもの言葉を受け、沙紀はごくりと喉を鳴らし顔を強張らせる。

 自分で言い出したことだ。否やはない。

 しかし話が話なので、緊張するなという方が難しい。

 沙紀がまごついていると、春希が少し躊躇いがちに口を開く。


「ね、電気消してさ、布団の中で話さない?」

「え?」「春希さん?」


 いきなりの提案に、沙紀とみなももどういうことかと顔を見合わせ首を傾げる。

 その春希はといえば、少し気恥ずかしそうな顔で視線を逸らし、呟く。


「ボクさ、隼人にお母さんのこと打ち明けた時って、電話越しだったんだよね。スラリと言えたのって、多分自分の顔も相手の顔も互いに見えなかったからだと思う。だから……」


 沙紀はその言葉でハッと気付く。

 みなもの事情はとても重いものだ。話を聞いて顔に出ない自信がない。

 それを見た彼女はどう思うのか?

 決して、同情されたくて話すわけじゃないだろう。

 そこまで気が回らなかった沙紀は、自らを恥じるように少し俯き加減で灯りを消し、ソファーの春希とみなもを挟む形で布団を被る。


「……」「……」「……」


 しばし互いの息遣いのみがリビングに響く。

 窓からは月野瀬とは違う、少しぼんやりとした月と星灯かり。それから時折通り過ぎる自動車の音。

 やがてどう話そうかと言葉を探していたみなもは、とつとつと自分の胸のうちを整理するかのように語りだす。


「うちは地方の一軒家で、週末はよく買い物に映画、夏休みや春休みなんかでは動物園や遊園地、旅行にも連れて行ってもらってました。私もよく我儘を言ってお母さんを困らせて、でもお父さんがまぁまぁと言って窘めて。そんなどこにでもよくある、仲の良い家族だったと思います。そして、こんな日々がずっと続いていくんだと思ってました」


 その言葉を受けて、沙紀も自らの幼少期のことに思いを馳せる。

 脳裏に浮かぶのは巫女舞を仕込まれる日々の合間を縫って、よく山の麓にあるショッピングモール、長期休みに車で旅行や温泉に連れて行ってもらってはしゃいだ記憶。

 きっとみなもの家もそんなどこにでもある、ありふれたものがあったのだろう。


「それが崩れたのは突然でした。ある日、血相を変えて帰宅したお父さんがお母さんに詰め寄って言い立てて……あれだけ仲が良かったのに喧嘩ばかりするようになっちゃって、私も本当の娘じゃないかもって言われて、それが悲しくて辛くて、でも自分じゃどうしようもなくて……話し合いが終わる前に、お母さんは船の事故に巻き込まれて行方が……」

「……っ」「っ」


 沙紀は言葉を失う。

 まさか母が失踪しているとは思いもよらなかった。

 それだけじゃなく、その後彼女の父のやり場のない感情がみなもに向かってしまったことは、想像に難くない。

 大切な日常が、ある日突然壊れてしまう辛さは知っている、つもりだ。だからこそ後悔はしまいと一歩を踏み出し、今ここにいる。

 けど、それでも。

 大好きな人に手のひらを返されたかのように、悪意を向けられたことはない。

 それはいかほどの苦しみか。

 もし隼人に嫌われたら――ちらりと想像しただけでも、ぶるりと背筋が凍りそうな恐怖を覚える。

 あぁ。

 一体、彼女はどれだけの傷を心に負ったのだろう?

 もどかしい沈黙が暗いリビングを支配する。

 何か言葉を掛けなければと探すが、見つからない。

 思いだけが空回り。

 沙紀はまだ、そうした人生の経験値が圧倒的に足りず、自らの非力を厭う。

 春希もまた、何度かごろりと寝返りを打つばかりで、どう言葉を投げていいのかわからないようだった。

 時折マンションの傍を通り過ぎる車の音を何度か聞いた頃。

 みなもはポツリと胸の内を零す。


「……どうして、こうなったんだろ」


 そんな、嗚咽交じりの涙声。

 きっと、無意識だったのだろう。

 溜め込んでいた感情が、思わず心の堤防から溢れてしまったもの。

 しかしそれはいかにみなもがぎりぎりな状態だと如実にあらわしていて。

 だから沙紀は決壊させまいばかりに、咄嗟に言葉を紡いだ。


「みなもさんはそれだけ、お父さんやお母さんのことが大好きなんですね」

「…………ぁ」


 呆気に取られたようなみなもの声が漏れた。

 そんな考えなしに、ただただ思ったことを言っただけ。自分でも浅慮だったかと眉を寄せる。

 何度も言えない空気が流れる。

 だけどみなもはスンッと鼻をすすり、そしてしっかりとした声色で自らの胸の内を確かめるようにして呟いた。


「そうですね。私、やっぱりそれでもお父さんのことが、好き」

「……っ」


 まるで歌うかのような囁き声。

 しかしまるで宣言の様にも聞こえるそれは、強く胸の深いところを打ち、感嘆を漏らさせる。

 まだ、どうすればいいかわからないけれど。

 沙紀は彼女のその気持ちが伝わればいいなと、強く願うのだった。

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