6-5

247.なら、うちに


 太陽が西の彼方へと落ちていく。

 街並みが赤く染まる中、近付く夜の気配に追い立てられるかのように帰宅した隼人と春希は、飛び込んできた光景に目を丸くして顔を見合わせた。


「あら、おかえりなさい!」

「お、お母さん、これ焦げてない!?」

「火が強いのね。弱めればいいのよ。それくらい焦げてるうちに入らないわ」

「次、レシピだと事前に作った合わせ調味料ってあるけど、どこぉっ!?」

「そこよそこ、目の前」

「これっていつ入れればいいの!?」

「適当よ、適当」

「だからその適当って!?」


 どういうわけか、姫子が母・真由美と共に夕飯を作っていた。

 食べる専門で、ぐうたらで、インスタントでさえめんどくさがって放っておけば出来合いの弁当を好む、あの姫子が。

 今までロクに調理をしたことがなかったので、当然その手つきは危なっかしい。

 だけどその顔は真剣で、そして確かな母への信頼と甘えが見て取れた。

 どうやら姫子はいつもの調子を取り戻したらしい。

 それはそれで喜ばしいことなのだが、一体何があったのか気になるのも確か。

 事情を知っていそうな沙紀の姿を探し、そしてソファーで恥ずかしそうに縮こまる彼女を見つけ、目をぱちくりとさせた。


「沙紀、さん……?」

「あ、あはは……」


 こちらもどうしたわけか、やけにシックな感じのフリフリヒラヒラしたドレス姿。

 いつぞや見た春希のそれとは違うデザインだ。犯人の新作だろうか?

 それを見た春希はフッと何かを察したような優しい笑みを浮かべ、沙紀も曖昧な笑みを返す。

 隼人はキッチンの母へと視線をやり、「はぁ」と呆れたため息を1つ。ガリガリと頭を掻く。


「母さんがすまん。嫌ならはっきり断ってくれても」

「いえまぁ、こういうのも新鮮といいますか。その、姫ちゃんみたいに強引――勢いがあって押し切られたといいますか……」

「ったく……それより姫子のアレは?」

「私もよくは……そもそも帰ってきた時は私1人だったんです。これを着させられているうちに帰宅した姫ちゃんが『今日は一緒にごはんを作りたい!』と言い出しまして」

「それは……本当、一体何があったんだ?」

「さぁ……?」


 隼人が眉を寄せると沙紀も困ったような、けれどこれでよかったとホッとした笑みを浮かべクスリと笑った。

 そして沙紀は見慣れぬ顔があることに気付き、こてんと首を傾げる。


「あら、そちらの方は……」


 すると沙紀はその人物のある部分を見て、目をスッと細めた。


「ご友人ですか? 初めまして、村尾沙紀です。お兄さんのことは小さい頃からよく知っている、えぇ幼馴染と言ってもいいでしょう」

「え、えぇっと……」

「それにしても随分と可愛らしく小柄だけど大きい方ですね? お兄さんが女の人を家に連れ込むなんて珍しいというか意外というか、胸ですか? やはり大きさですか?」

「ぴゃっ!?」「沙紀さん……?」「さ、沙紀ちゃん!?」


 沙紀は剣呑な瞳でみなもの豊かな部分を見ては、自分の胸部に手を当て「私もそこそこあるもん」と言って唇を尖らせる。

 ぎゅっと胸を抱くみなも、いきなりのことに困惑する隼人と春希。

 4人の間に流れるよくわからない空気。

 それにどうしたものかと手をこまねいていると、真由美の歓喜の声が上がった。


「あら、みなもちゃんじゃない! いらっしゃい、よく来たわね!」

「お、お久しぶりですっ」

「っ! ……おばさま、お知り合いなんですか?」


 2人が知り合いだということに気付いた沙紀が、一瞬ビクリと眉を上げて問いかければ、真由美はケラケラと機嫌よく笑いながら答える。


「入院中仲良くしてた方のお孫さんなのよ。ちょくちょくお見舞いにきてて、それで」

「そうだったんですね」

「また会えて嬉しいわぁ。今日はどうしたの? 三岳さん元気? あら、それ……」

「……ぁ」


 そしてみなもが抱えている小包み、その表紙に書かれたDNA鑑定の文字を見て口を噤む。真由美の視線を追った沙紀も事情を察したのか、ハッと息を呑んでオロオロと狼狽える。

 空気が戸惑いと困惑に彩られた気まずいものへと塗り替えられていく。

 隼人と春希もしまったとばかりに顔を強張らせる。

 みなもの事情はおいそれと広めていいものじゃない。

 迂闊と言えばそれまでなのだが、それでも隼人は何か言葉がないかと必死に探す。

 すると顔を上げたみなもは、キッと強い意志が宿った眼差しで周囲を見回し、しかし硬い声色で皆に告げた。


「あの、私の話を聞いてもらえませんか?」



 テーブルを囲みながら、みなもは自らのことを簡潔に語る。

 托卵子かもしれないこと。

 真相を知る母が事故で行方不明になっていること。

 そしてつい先ほど、不仲な両親のもとを離れ祖父の家に身を寄せていたところへ父がやってきて、DNA検査を迫られたこと。

 どれもが根の深い問題で、これと言った答えがあるわけじゃない。言えようはずもない。部外者である皆には、ことさらに。

 必然、リビングの空気は沈痛なものとなっていく。

 そんな中、真由美は感極まったのか、瞳を潤ませながら、やや強引にぎゅっと小柄なみなもを抱きしめた。


「その、上手く言えないけど。私にとってみなもちゃんはみなもちゃんよ。おじいちゃん想いで、ちょっぴり早とちりなところはあるけれど、優しい子だってちゃあんと知ってるから」

「……ぁ」

「居場所がないならいくらでもうちに居ればいいわ。そんなことくらいしかできないけれど」

「でも、あまり迷惑は……」

「迷惑なんていくらでもかけてちょうだい! でも、心配だけはさせないで。ね?」

「っ! ありがとう、ございます……っ」


 真由美の言葉は、皆の心を代弁するかのようなものだった。

 ここにいるのは、確かにみなもにとって他人だ。だけど、ここに彼女の存在を否定する者はいない。

 ここに居て、いいのだと。

 それは正しくみなもに通じ、張り詰めていた空気が緩む。みなもの頬にスッと一筋の涙が流れる。

 そんな真由美とみなもを見て表情を緩めた春希が、あぁやはりと言ったように呟いた。


「おばさんってさ、ホント隼人とひめちゃんのお母さんだよね」

「いきなりなんだそりゃ?」

「おばさん、いつかの隼人と同じこと言ってるよ」

「うぅん?」

「あ、何かわかります。言うことやること、姫ちゃんやお兄さんとそっくりで」

「沙紀さんまで」


 春希と沙紀が顔を見合わせくすくすと笑い合えば、隼人は今一つわからないと眉間に皺を刻む。そんな隼人を見てますます笑みを深める幼馴染女子2人。

 するとその時、真由美が何か名案を思い付いたとばかりに明るい声を上げた。


「あ、そうだ! 何ならいっそうちの子になっちゃう? 隼人なんてどうかしら?」

「ふぇっ!?」「母さん!?」「おばさん!?」「おばさまっ!?」


 4つの素っ頓狂な声が重なる。

 真由美はにやにやと楽しそうな、しかし意地の悪い笑みを浮かべ息子を揶揄う。


「あらー、みなもちゃんじゃ不服? こんなに可愛くて良い子、中々いないわよ?」

「いや、そういう話じゃなく」

「あ、そうか。隼人にははるきちゃんがいるもんねー?」

「春希は違ぇっ!」「み゛ゃっ!?」「っ!!??!?!?」


 今度は春希へと揶揄いの矛先が向け、ケラケラと笑う。

 額を押さえる隼人に、驚きの声を上げる春希。みなもは動揺からしきりに隼人と春希、真由美の顔を交互に見やる。なお必死に片手を上げてここにいるとアピールする沙紀には気付かない。

 そんな混沌な空気の中、やけに冷静な姫子の声が響く。


「今の三岳さんをうちに泊めるのに賛成なだけどさ、それって大丈夫なの? 同級生の男子の家に泊まるって、世間体的に結構大きい話だよね?」

「あ、それは……」


 確かに姫子の言う通りだった。

 それに不義の子と言われているみなもが、付き合っても居ない同級生の男子の家に泊まる――内実はどうであれ、醜聞になるのは想像に難くない。一体みなもの父がどう思うことか。

 それならばどうすればという空気の中、春希が名乗りを上げた。


「じゃあボクんにおいでよ。どうせ使ってない部屋は余ってるしさ」

「え、いいんですか?」

「でも春希、大丈夫なのか? その、釘を刺されたばっかじゃ……?」

「へーきへーき。どうせ滅多にうちに帰ってこないし、それに友達を家に泊めるだけだし外聞的にも問題ないよ」

「けど……」

「もぅ、心配性だなぁ、隼人は」


 なんてことない風に春希は笑う。

 とはいうものの、隼人は何となく危うい感じがした。

 みなももそうだけど、傷付いているのは春希も同じだ。

 ボロボロになっている2人が、支え合うことができるだろうか?

 しかし、だからこそ何かしていないとという気持ちは、痛いほどよくわかって。

 けれど何も言えず、顔を顰めるばかり。

 こんな時だからこそ何かしたいのに、性別の違いというのが壁になる。

 そんな歯痒そうな顔を見た沙紀は、ぎゅっと結んだ手を胸に当てながら、おそるおそると。しかしよく通る大きな声を上げた。


「なら、うちに泊まりませんか? 1人暮らしですし。みなもさんも、春希さんも一緒に」

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