125.二階堂、春希
「あぁこのくそっ、春希のやつっ!」
隼人はガシャガシャと力任せに自転車を漕ぎながら、あぜ道を走らせていた。
都会と違って舗装されていない彼岸花の植えられた剥き出しの道は、ガタガタと車体もよく揺れる。
そして道幅が狭いくせに無駄に奥行きがあり、一歩間違えれば水路や田んぼに落ちそうになる。
「っ!? と、あぶねっ!」
その時ふいに、田んぼの方から茶色く細長い小動物が飛び出してきて、急ブレーキをかける。土煙を上げながら横なぎになりつつ自転車を停める。イタチだった。
イタチもびっくりしたのか一瞬その場で立ちすくみ目が合うも一瞬、そのまま山の方へと逃げ去って行く。
月野瀬ではよくある光景だ。
しかし隼人はその様子を、どこか遠いことのようにただただ眺めていた。
「……そうだった、ここは田舎だっけか」
そしてため息を1つ。
バツの悪い顔でがりがりと頭を掻き、自嘲めいた笑いを零しながら体勢を戻す。
隼人が向かっていた先は、月野瀬の野菜出荷組合に併設されている購買部である。
野菜類は豊富に置かれているものの肉や魚といった生鮮食品に関しては、週に3回やってくる移動式スーパー頼みだった。
今日はやって来ない曜日であり、いつでも好きな時に好きなものが買える都会とは違う。
ふと、周囲を見渡してみる。
コンクリートでなく木々が繫茂する山に囲まれ、平地部分では隙間を縫うように電信柱が列をなしている。
整然とした住宅の代わりに田畑が広がっており、あちらこちらからは車や人でなく虫や動物の息遣いが聞こえてくる。
それはつい2か月ほど前までは、毎日見ていた光景だ。
だというのに見慣れぬ何かに思えてしまい、歯車のズレのようなものを感じてしまう。
どうやらこの短い時間で、随分と感覚が変わってしまったらしい。
その象徴ともいえる春希の顔が脳裏にチラつき、そして胸に手を当てる。
「…………」
そして隼人は難しい表情を作り、とある場所へと進行方向を変えた。
◇◇◇
山の手の方の道を登っていけば、月野瀬でも年代を感じさせる蔵が特徴的な、やたら大きくそして古めかしい日本家屋がある。その存在感が示す通り、かつてはこの一帯の庄屋をつとめた豪農の家でもあった。
しかしその威容とは裏腹にあちらこちらが傷んでおり、割れている窓ガラスも見える。庭も雑草で荒れ放題であり、人の住んでいる気配はない。事実ここは5年前から無人になっていた。人の住まない家屋は朽ちるのが早い。
「そういや
かつてのことを思い出す。
自然を相手に野山や川を駆け巡っただけでなく、部屋でテレビゲームをしたり姫子を交えて人形やブロック、絵を描いたりして遊んだりもした。
しかしそれらは全て、霧島家で行われたものである。
当時は疑問に何て思いもしなかった。『はるきの家へ行ってみたい』だなんて言えば、『ひめちゃんがいるはやとの家のほうがいい』と返ってくるのみ。それもそうかと納得していた。
とある山の一画に視線を移す。
そこだけ中途半端に木々が切り拓かれ、他の山と色が違う様は、まるで半紙に墨をこぼしたように目立っている。
「『いわとはしらの戦場』、か……」
その場所には大きな岩が転がっていたり、一面にコンクリートが打たれ神殿のように整然と朽ちかけた柱が並ぶ広場がある。夏場はよく水鉄砲を使って遊んだ記憶があった。
なんてことはない。かつてバブル期に開発しようとして中断された跡である。大方、ホテルなりゴルフ場なりが建てられようとしたのだろう。
それを主導したのが、春希の祖父母だったらしい。
二階堂の家は隼人が産まれるずっと以前にすっかり落ちぶれてしまっており、村人との交流もさほど無かった。
どうやら開発誘致を巡って、当時月野瀬内で色々とトラブルがあったという話だが、よくわからない。
そして5年前、とうとう借金返済に首が回らなくなり土地家屋が差し押さえられ、夜逃げ同然で姿を消した。
「二階堂、春希……」
敢えてその名前を口に出してみる。
隼人の眉間に皺が寄る。
かつては子供だから何も知らなかった。
ただ、はるきと遊べればそれだけでよかった。
それに記憶の中のはるきは、いつだって笑顔だ。
しかし隼人にとって春希がどういう存在であれ、目の前の荒れ果てた家の孫娘であるということは変わらない。
一体、月野瀬の皆からはどういう目で見られているのだろうか?
それが分からない春希ではないだろう。また、隼人の家でなく沙紀の家に泊まることにした理由もわからない。
行きがけの電車の中でのことを思い出す。
沙紀ちゃんと会えるのは楽しみだけど、月野瀬は何も遊ぶところが無いとぼやく姫子に対し、川で釣りや沢遊び、山でカブトやクワガタがどうこう、皆で集まってバーベキューをやりたいだとか、嬉々として語っていた。
再会してからずっと見せてきた、幼い頃と変わらない、どこか悪戯っぽい笑顔で。
その、いつもこちらもつられて笑顔にさせる明るい顔の裏で、一体どれだけのものを抱えているのだろうか?
ふと初めて出会った時の、膝を抱えていたはるきを思い出す。
それが1人っ子だからねと言って暗い家に吸い込まれた時の寂しげな顔、良い子で待ってるのにと愚痴を零した時の震えた肩、そして先日のプールで叫んだ『っるさい、だまれ、あっちいけ』という何かを堪えた声と重なってしまう。
きっと、今だって……
「あぁ、くそ、わかんねぇってんの……」
色々考えていると、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
そのくせ先ほど気まずくなって外に出てきたというのに、今は顔を見たくなってしまっている。そんな自分が滑稽だった。
「ったく、春希は――」
胸のモヤモヤしたものを吐き出した言葉は、その時ザァーッと山から吹き下ろされた風にさらわれ流されていく。
そして隼人はくしゃりと胸に当てた手でシャツの皺を作り、踵を返した。
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