23.春希の横


 昼下がりの校舎、グラウンドから聞こえる体育の声、窓から見上げれば照りつける初夏の太陽。

 気が緩み、眠気が支配する古文の授業中。隼人もついウトウトとしていた。

そんなとき不意に目の前へ、折りたたまれたメモ用紙が飛んできた。


「うん……?」


 こんなことをする相手なんて、隼人には1人しか心当たりがない。案の定、隣の席に目をやれば、悪戯っぽい目をしてにっこり微笑む春希の顔があった。

 チラチラ移動させる目線を見るに、どうやらメモの中身をすぐに読めと言いたいらしい。


『放課後ボクん家集合! ひめちゃんが来る、助けて!』


 隼人はその中身を読んで、首を傾げた。


(……何だ、これ?)


 春希の家に行くのはいい。ちょくちょくお邪魔しているし、いつものことだ。

 姫子が来るのもわかる。春希とも幼馴染と言えるし、昨夜も随分話が盛り上がっていたようだった。

 だが最後の『助けて!』の意味がわからない。


 どういうことかと春希を見れば、困った顔をして拝むように片手を上げるだけ。

 それじゃあわからんとばかりに、隼人はメモ用紙に返事を書いて、周囲に見られないよう気を付けて投げ返す。


『助けてだけじゃわからん。姫子とケンカでもしたのか?』


 隼人のメモを見た春希はすぐさま返事を書いて投げ、そして隼人もすぐに返事を書いて春希に投げる。

 昼下がりのどこか微睡むような雰囲気のある授業中、隼人と春希はそんな秘密ごとめいたやり取りを繰り返す。


『実はひめちゃんにですね、私服でスカート1枚も持ってないということがバレてしまい、物凄いお叱りを受けてしまってですね』

『それは春希らしいというか、何か都合悪いのか?』

『ひめちゃんがうちに来て、そのことで色々チェックするってことになったんだけどさ、ボクに女子力が求められるようなキャッキャした会話が出来ると思う?』

『それは……ないな。むしろバーベキューでの炭起こしの裏技の話の方が盛り上がりそう』

『でしょ――って何それ気になるんだけどバーベキューやりたい! うぅ、あれは田舎の広いところじゃないと出来ないからなぁ』

『あぁ、炭を立てて円筒状にしてな、空気が行き渡りやすくするんだ』

『へぇ~! あ、そのお肉ってやっぱり今でも猪とか鹿ばかり?』

『畑荒らし用に設置した罠に掛かった奴次第だが、猪が多いな。他にはアナグマ――』


 当初の話題はどこへやら、どんどん話はズレていくものの、何故か盛り上がってしまう。隼人と春希にとって、こんなとりとめのない話がとても楽しく思えるものである。

 しかし盛り上がってしまう一方、周囲の目への警戒も薄くなってしまっていた。


「二階堂、さっきから霧島がどうかしたのか?」

「っ!」

「っ⁉」


 そんな教師の声で2人は我に返り、思わず肩をビクリとさせる。

 周囲を見れば、どうやら他のクラスメイトからも随分注目を集めていたようだった。その中の数人には隼人と春希の間に、何かしらが有りそうと気づいていた節もある。嫌が応にも興味を引く。

 2人は顔を見合わせるも一瞬、春希は本当に申し訳そうな顔を作り、手を挙げた。


「あの、先生。先ほどから霧島くんが妙にそわそわしっぱなしで……その、お手洗いに行きたそうにしているんじゃないかと思いまして……」

「なんだ霧島、行きたいなら早く言え。さっさとトイレに行ってきなさい。あと、ちゃんと授業の前に行っておけよ」

「んなっ⁉」


 ドッと、教室中に笑いが広がっていく。男子の一部からは「どんだけ我慢してるんだ」「恥ずかしいやつ」といった忍び笑いも聞こえてくる。

 二階堂春希は清楚可憐、文武両道で人気がある優等生だ。彼女の言葉を疑う者はいない。


(こいつ、俺を言い訳のダシに使ったな!)


 隼人が羞恥で顔を赤く染めながら春希を見れば、片眼をつむってチロリとピンクの舌先を見せた。


「(ごめんね、隼人)」

「(くっ、貸しだからな!)」


 このトイレを我慢していましたという流れに異を唱える事も出来ず、隼人はまるで周囲にはギリギリまでトイレを我慢していたとも言える、真っ赤な顔をしながらお手洗いへと向かうのだった。




◇◇◇




 終業を告げるチャイムが鳴った。

 それを合図に校舎全体が騒めき始め、各教室から喧騒けんそうを取り戻していく。

 退屈な授業から解放された誰もが放課後の予定を口に上げ、目当ての人には声を掛ける。


「あの、ごめんなさい。私、今日は友達・・と約束がありまして」


 それは、どこででも聞けるような断り文句だった。

 だというのに、それを口にしたのが二階堂春希というだけで、周囲を騒然とさせていた。


「二階堂さんが友達と約束……誰だ?」

「誰かとつるむイメージないのに……」

「あれだろ、今朝言っていた幼馴染じゃないのか?」


 そんな声があちらこちらから聞こえてくる。


(人気者は大変だな)


 隼人はそんな風に囁き合う彼らを目端に捉えながら席を立つ。春希とは別で家に向かう心づもりである。

 ただの転校生と人気者の美少女、本来は席が隣以上の接点はなく、これがごく普通の流れのはずだ。

 そう思って昇降口までやってくれば、別の意味で注目を集めている声が聞こえてきた。


「誰あの子、あの制服って近くの中学のだよね?」

「結構可愛くない⁉ あーし同中おなちゅうだけど、あれだけの娘だったらぜってー覚えてるはずなんですけど」

「って、何で中学生がここに……まさか彼氏待ちか⁉」

「あのレベルの子が迎えにくるって……相手はどんな奴だ、顔を見てやる!」


 隼人も何事かと思って見てみれば、よく見知った相手だった。妹だった。姫子だった。

 田舎の月野瀬ではまずお目にかかれない人数の好奇の目に晒され、半ば泣きそうになりながら、所在なさげにキョロキョロとしている。


(姫子、そういやあいつ注目される事とか考えてなかったな……)


 隼人は妹の残念な姿をみとめ、こめかみを押さえてため息を吐く。

 不安になっている誰かを待っているその様子は、隼人にとっては挙動不審の妹以外の何物でもないが、周囲にとっては不安になりながらも健気に待ち人が来ないかとそわそわしている姿に見えるようで、概ね好印象のようである。


 そんな怯えているかのようだった小動物は、目当ての人物を見つけるや否や、まるで飼い主を見つけた子犬が全力で尻尾をふるような勢いで駆け寄った。


「は、はるちゃん!」

「ひめちゃん⁉」


 春希に駆け寄った姫子は、春希の事情など知った事かと強引に腕を取り、早く行こうと急かす。

 姫子にとって一刻も早くこの場を立ち去りたいだけなのだが、周囲からは、あの二階堂春希と親し気に腕を引っ張る女の子になってしまう。


 また姫子は、高校にまで来るのだからと、制服姿なりに髪やメイクなど非常に気合を入れていた。それこそ、2人並んでも遜色ないほどで、「誰、あの子? レベル高くない?」「同じクラスの奴がいうにも再会した幼馴染だとか」と言った声が聞こえてきて、ますます周囲の関心を買って居心地悪そうにするのだった。


「……」


 隼人はそんな2人の背を周囲の囁き声と共に見送り、少し遅れて春希の家へと足を向ける。どうしたわけか、胸が騒がしい。

 その顔は、どこか釈然としない色に彩られている。

 まだまだ高い位置で主張をしている初夏の太陽を、巻き雲が覆っていった。

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