24.孤独のリビング


 隼人は1人、姫子に連れられていった春希の家へと向かっていた。


「あちぃ……」


 アスファルトからは陽炎が立ち上り、時折吹く風は清涼さの欠片も無い、生ぬるいものである。

 隼人はどこか気分がモヤモヤしているのは、この不快な気候のせいなのか、それとも幼稚なやきもちめいたものなのかは、判断つかないでいた。

 ただ、緩慢かんまんに足を動かす。まるで答えを出すのを躊躇ためらっているかのようだった。


 それでも、やがて歩いているうちに春希の家に到着する。

 隼人も何度か訪れている、住宅街に在る特段言うべきことの無い普通の家だ。その筈だ。


 いつものようにインターホンを押そうとして、先日この家へ暗闇に吸い込まれるかのように帰っていった春希を思い出してしまい――どうしてか躊躇ってしまい、手が止まってしまった。


「……ああ、くそっ、暑ぃな!」


 隼人はその手でガシガシと色んなものを誤魔化すように頭を掻きむしり、その勢いでインターホンを押した。

 ピンポンとチャイムが鳴り響く。

 そして静寂も一瞬、ドタドタと騒がしい音と共に勢いよく扉が開け放たれた。


「ほら隼人、隼人が来たから! ね⁉」

「おにぃ、はるちゃんを捕まえて!」

「な、何だ⁉」


 玄関から弾丸のように飛び出してきた春希を、隼人は姫子に言われるがまま、抱きしめるような形で捕まえてしまった。


「くっ、隼人の裏切者ッ!」

「よ、よくわからんが暴れるな、落ち着け春希」


 隼人は色んな意味で困惑してしまっていた。

 春希と姫子がどういう状況なのかもさっぱりだし、昔と違って腕にすっぽり収まってしまう小さな身体だとか、掴んだ腕の柔らかさやその熱、そして暴れる際に当たってしまう春希の胸やふとももの感触もあって、色々戸惑ってしまう。


「ふふっ、おにぃはそのまま、はるちゃんを連行してきて」

「あ、あぁ……」

「くっ、殺せっ!」


 姫子には逆らわない方が良いと思わせる、妙な迫力があった。ガックリと項垂うなだれている春希とは対称的だ。有無を言わさず連れ戻される。

 しかし、くっころとか言っているあたり、余裕があるように見えた。これもじゃれ合いの一種なのだろう。


「うっ……」


 最近通い慣れつつある部屋に足を踏み入れようとした隼人は、思わず一歩後ずさってしまった。

 机の上に所狭しと並べられたファッション雑誌に、姫子の部屋で見覚えのあるコスメ用品が広げられている様は、男子は寄るなと言わんばかりのザ・女子といったオシャレめいた空間である。

 なるほど、春希が逃げ出すのも無理はない。


 そして見せしめにするかのように、ベッドの上に地味かつ味気ないダサいシャツや短パン、ズボンなどが並べられ、隼人は思わず春希の顔を見てしまった。


「おにぃ、あのオシャレと色気から程遠い私服、どう思う?」

「……俺から見てもキツイな」

「隼人っ⁉」


 春希は信じられないとばかりに、裏切者を見るかのように隼人に視線を移すが、その隼人に切ない生き物を見るような目で返される。今度は春希がたじろぐ番だった。

 そして隼人と姫子は2人して、春希の壊滅的センスの私服を検分しだす。


「はるちゃん、これは全体的に黒い、もさい、地味と三拍子揃ってる上にくたびれてるのも多いし、このシャツとかサイズ合ってないんじゃない?」

「これあれだな、汚れてもいい服というか、ガキの頃着ていたのを彷彿(ほうふつ)とさせるものばかりだな」

「先日のアレは奇跡の賜物だったんだね……」

「そうだな、奇跡だな……」

「うぅ……」


 幼馴染の兄妹2人にダメ出しされた春希は、涙目になって項垂(うなだ)れてしまった。「え、そんなにダメ?」という、か細い鳴き声さえ発してしまう。

 しかし、そんな春希を見つめる姫子の目は、酷く優しい。


「大丈夫だよ、はるちゃん。たとえ昔のままの壊滅的センスな私服で一緒に歩きたくなんかないと思っていても、はるちゃんは、はるちゃんだから。見捨てないから」

「ボ、ボクってそこまでなの⁉」

「ひ、姫子?」


 そして姫子は爽やかな笑みを浮かべたかと思うと、ニンマリとほくそ笑み、そっと春希に耳打ちする。

 最初突然のことに驚きビクッと身構えていた春希であったが、どんどんと真剣な顔に変わっていき、そしていつも隼人に見せている悪戯っぽい笑みを浮かべた。


(一体何を吹き込んで……なんか洗脳しているみたいだな)


 隼人は呆れた顔で、先ほどまでとは打って変わって悪だくみをしているかのような少女2人を見守る。

 時々チラチラと隼人を見るところなど、幼い頃に何度か見たような光景だ。


「――て、わけ。どう? 興味出てこない?」

「はい、先生!」

「よろしい、では――」


 ピシーっと右手を挙げた春希に、満足気に頷く姫子。

 そんな姫子を中心に、雑誌を教科書代わりにして、ファッション講座が繰り広げられて行く。

 正直なところ隼人にはよくわからなかったし、春希も今一つな反応である。それでも知ったことかとばかりに姫子の講演は続いて行く。


(ああ、これ、子供の時のママゴトと一緒だな)


 幼い頃、時々そんな我儘を言った姫子に振り回されることもあった。その時と変わらぬ光景だと思うと、隼人はくつくつと喉の奥で笑いを堪えてしまう。

 姫子の独壇場は続いて行き、隼人は時折向けられる意見にコクコクと頷くだけのマシーンとなり、春希は目を回して頭から煙を出す装置となる。

 だけど皆、顔を見合わせれば笑顔だった。


「――以上よ。あー喋り過ぎて喉が渇いちゃった」

「そういやボク、何も出してないね。紅茶でいい?」


 そう言うなり春希は立ち上がり、階下のキッチンへと向かう。

 隼人はふぅ、と大きなため息を吐いて、大きな伸びをする。姫子はそんな兄に、咎める様な目を向けた。


「おにぃ、はるちゃんは確かにはるちゃんだけど、あれでも女の子でもあるんだよ?」

「あれでもって、酷い言い草だな」

「ほら、お手伝いに行ってあげなよ」

「あー」


 気の無い返事をしつつも、隼人は立ち上がった。

 姫子に言われて、先ほどの腕などに感じた春希の感触を思い出してしまったからだ。その顔を、妹に見られたくないというのもある。

 なんだか複雑な思いが胸に渦巻いており、それを誤魔化すように、階段から降りながらボリボリと頭を掻く。


 思えば春希の部屋以外に入った事は無かったが、それでもキッチンの場所はすぐにでもわかった。扉が少し開いて明かりが漏れていれば、一目瞭然いちもくりょうぜんというものである。


「春希、持ち運ぶの手伝うよ」

「…………ぁ」


 どこか間の抜けた春希の声が漏れる。隼人の目にその奥にあるものが飛び込んでくる。


 そこは、キッチンからリビングが見渡せる、よくあるLDKの形であった。

 だがよくある形とは裏腹に、そのリビングは異質な雰囲気を隠せないでいた。


 散乱しているチラシの束にいくつもの紙袋、まだ明るいというのに締め切られた雨戸、やたらと整頓されているにもかわらず埃を被った家具類。

 明らかに長い間、誰かが使った痕跡の無いリビングだった。


 視線をキッチンの方に戻せば、大量の弁当容器と冷凍食品の包装が詰められたゴミ袋。

 それは今の彼女の状況を、雄弁に物語っていた。


「……春、希」

「あ、あはは……」


 隼人の口からなんとも形容しがたい言葉が漏れる。

 だというのに春希はただ、困った笑みを浮かべるだけだった。

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