308.業界人
出口を抜けて明るく開けた広場に辿り着けば、そこでは姫子と一輝、愛梨の3人が既に待っていた。どこかむず痒い空気を醸しており、愛梨が恥ずかしそうに頬を染めている。
何かあったのだろうか? 不思議そうな顔を見合わす隼人と沙紀。とはいえ、愛梨の気持ちとこの様子を鑑みるに、わざわざ何かあったかを訊ねるのも野暮だろう。
するとどこか一仕事を終えたような顔の姫子が、機嫌良さそうに話しかけてきた。
「あれ、おにぃと沙紀ちゃんだけ? はるちゃんと百花さんとは別行動?」
「さすがにあのテンションの2人と一緒はちょっとというか……」
「一般人の私たちが、有名人に交じるのには気が引けるといいますか……」
「あー、それもそっか」
身内である隼人たちでさえそうだったのだ。きっとあの後も目立ちはしたものの、誰かに絡まれることもなかったことだろう。
ほどなくしてそれを裏付けるかのように、ほくほく笑顔の春希と百花が現れた。
「いっや~、楽しかった! ちゃんと海で泳ぐサメって初めて見たかも! ボクが見ていた映画だと花畑やスーパーマーケット、竜巻とか思いもよらないところを泳いでたし!」
「うちはイカにびっくりした! 足はめっちゃ広げて泳ぐと思ったら、纏めてダーツのようになってて! あれ獲物に突き刺さるんじゃね!?」
続けて興奮気味に喋る百花も、肌をつやつやさせている。
どうやら百花も存分に堪能したらしい。心のどこかにこちらの都合に巻き込んだという負い目があったが、満足してくれたのならこちらとしても嬉しいというもの。
そして沙紀や姫子も釣られて、「思った以上に楽しかった!」「季節ごとにかわる特設展示をまた見に来たいかも!」など水族館での感想を話す。
興奮の熱はまだ冷めやらない。
本日の水族館に行くという目的は果たしたものの、まだお昼を少し過ぎたばかり。遊ぶにはまだまだこれからといった時間帯。
さてこれからどうするのか。そのことを考えていると、一輝が話しかけてくる。
「隼人くん、これからどうするんだい?」
「今日のことは姫子に丸投げしていたから、さっぱり。姫子、次はどういう予定だ?」
「ん~、いくつか考えてる。時間的にはお昼だけど、お腹はまだ空いてないよね?」
「あぁ、朝けっこうがっつり食べたし――」
「ちょっといいかな?」
「――ええっと?」
その時、不意に会話に入ってくる者がいた。
長い髪にパーマをかけて無精髭、一見だらしないように見えてしかし、カジュアルなジャケットをオシャレに着こなす、なんともちぐはぐな壮年の男性。なんとも普段、隼人が接する大人たちとは明らかに纏っている空気が違う。
彼の言動が読めず、困惑しつつも春希を守るように一歩前に出る隼人と一輝。
緊張感が高まっていく中、百花がやけに軽い感じで声を上げた。
「あっれー、もじゃさんじゃん、どったのー?」
「姉さん、知り合い?」
一輝の問いかけに、百花でなく愛梨が少し硬い声色でポツリと答える。
「……長久さん。私たちが仕事している、とある雑誌専属のカメラマン」
「「「――っ」」」
カメラマン。その言葉で一気に皆の顔に緊張が走る。
表情を強張らせる隼人たちを前に長久と呼ばれた男性は、参ったとばかりに眉を寄せ両手を上げ、しかし目は獲物を狙うかのような鋭さのまま口を開く。
「SNSでたまたま君たちを見かけてさ。あぁ、特にイメチェンした愛梨くんが街中や水族館で日常にさりげなく溶け込みつつも、しかし無骨な都会で咲くような素朴な花のような美しさに目を惹き付けられ、インスピレーションを受けてね!」
「は、はぁ……それはどうも」
「しかも例の噂の彼女と一緒じゃないか!」
「っ!」
「見た瞬間、ピンときた!
そう言ってどこか陶然としつつ、興奮気味に喋る長久。長久はSNSに上げられた百花たちと一緒にいる春希を見て、ここまでやってきたらしい。どうやらカメラマンの本能に突き動かされたようだ。
周囲からSNSに撮られるというのは、ある程度想定の範囲内だ。ここ最近もそうだったし、愛梨や百花もいる以上、避けられないことだろう。
しかしこれほどまでの僅かな時間でこの現場までやってきて、接触を図ろうとする業界人がやってくるというのは、あまりに予想外。愛梨も渋い顔をしており言葉がなく、企画した姫子に至っては顔に動揺を隠せず、青褪めさせている。
「で、どうかな? ちょっと話でも」
「長久さん!」
「あぁ、失礼。私はこういうものなんだ。どうしても君を撮ってみたくなって!」
「えっと、そのぅ……」「おいちょっとあんた!」
長久を必死に窘めようとする愛梨。隼人も咄嗟に春希を背中に隠すが、まるで意に介さない。彼の瞳には春希以外誰も写さず、隼人のことなど無視するかのようにまっすぐに春希に向けて名刺を差し出している。
異常ともいえる光景だ。
それだけ彼はカメラマンの本能というべきものに突き動かされて、やってきたらしい。
それだけ春希が、田倉真央の娘は、彼の様な人種にとって無視できない存在なのだろうか。
キュッと唇を強く結び、長久を睨みつける隼人。だがまるで相手をされておらず、無力さを助長するのみ。
しかしその時、百花がまるで不機嫌さを隠そうとしない声を上げた。
「うわ、もじゃさんうざっ! 空気読めなさすぎっ!」
「っ、MOMOくん……?」
「あのさー、うちら今日オフなわけ。友達と遊びに来てるの。帰ってくんない? それとも、もじゃさんとこの雑誌ってプライベートにまで干渉するん? ならもういいや。今度の仕事キャンセルで。それじゃ行こ、はるぴにあいりん」
「えっ、わ……っ」「ちょ、MOMOくん!? 待っ――」
そう言って春希の手を取り、身を翻す百花。長久のことなんて完全に無視だ。
百花のあまりにも我が道を行く言動に呆気に取られ、その場で固まってしまう面々。
「行くよーあいりーん、一輝ー」
「ちょ、ちょっと待って下さいももっち先輩! 仕事をキャンセルってどういう――」
「えー、だってうちらが誰と遊ぶ時とかに絡まれるのイヤじゃん」
「それはそうですけど、だからと言って!」
「てか最近仕事多すぎてさ、ちょっと減らしたかったってのもあるんだよね」
「っ!? あ、わ、その、いったん口を閉じてくださいっ!」
「えー?」
突然の出来事だった。この間にもマイペースに喋り、この場を離れていく百花。
その言葉にみるみる青褪めていく長久に、一輝が苦笑しつつも話しかける。
「すみません、姉が勝手なことを言いだして」
「っ、君は……?」
「海童一輝、MOMOの弟です。姉は昔からあぁというか……僕の方からも話をしておきますので、この場はお引き取りを」
「し、しかし彼女に抜けられると――」
「先ほどのことは後ほど、僕の方から連絡入れますので。大丈夫、悪いようにはしません」
「あ、あぁ……お願いするよ」
「はい」
そう言ってこちらに目配せをする一輝。
隼人と沙紀はホッと強張った肩を緩める姫子と安堵の貌を見合わせ、皆の後を追いかけた。
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