307.〝今だけ〟
◇◇◇
「ったく、何やってんだか」
先ほどからテンション高く奇妙なポーズを決めている春希と百花に、隼人は呆れたため息を吐きつつも目を細める。
ここ最近のことを思うと今存分に羽を伸ばしている春希は、面映ゆくも喜ばしく頬が緩む。しかしその一方、じくりと苦い痛みが胸に滲む。今までならきっと、春希のすぐ傍で一緒になって悪ふざけをするのは隼人の役目だった。
どうして傍で見ているだけだなんて明白。単にとても目立っているのだ。
若者に絶大な支持を誇る人気モデルと、噂の渦中の人である田倉真央の隠し子。周囲の注目を集めないはずがない。今だってちょっかいを出されていないものの、耳をすませば周囲からの彼女たちに対するひそひそ声が聞こえてくる。
それに見目麗しい少女2人が仲良さそうな様子は非常に絵になり、まるで舞台での出来事じみていた。
隼人もまた、そんな彼女たちの間に割って入ることに気が引けている。そこに一抹の悔しさと意気地の無さに眉を寄せていると、隣から「ぁ」と困惑交じりの声が上がった。
「沙紀さん?」
どうしたことかと名前を呼べば、沙紀は困った顔をつくりつつ、指先と視線をある場所へと向けて躊躇いがちに口を開く。
「えっと姫ちゃんたち、春希さんたちとは全然違う方向へ行っちゃって……」
「あ、ほんとだ」
よくよく見てみると姫子が一輝と愛梨の背中を押し、春希たちが向かう先とは違うところへ移動している。それと同時に、スマホがグルチャの通知を告げた。
『出口で待ち合わせね』
簡素に姫子から、それだけ。
隼人は隣で同じくグルチャを確認した沙紀を顔を見合わせる。
「これって、姫子たちは別行動するってことか?」
「そう、みたいですね」
姫子が愛梨の恋路を応援しているのは知っている。きっとそのお節介をしているのだろう。一輝と愛梨の関係を思い、複雑そうに眉を寄せる隼人。
とはいえ、わざわざ集合場所まで示しているのだ。ここで姫子の方へ追いかけていくというのも野暮だろう。
やれやれとばかりにため息を吐けば、ふいに沙紀からくいっと袖を引っ張られた。
「さ、珊瑚って実は動物らしいですよっ」
「へ? 珊瑚礁とか宝石として扱われたりする、あの珊瑚!?」
「はいっ、私も今までずっと植物か何かだと思ってましたけど、昨日調べてびっくりしました! あちらの方の展示で生態とかのパネルとかやってるみたいですよ。気になりませんか?」
「あぁ、気になる気になる!」
珊瑚が実は動物。声を弾ませる沙紀から興味深い珊瑚の話を聞き、むくむくと好奇心が湧き起こる。
するとその時、手のひらが少しひんやりと指で絡めとられた。
「み、見に行きましょうっ」
「えっ、……ぁ」
顔を耳をまで真っ赤にしながら提案してくる沙紀。
突然手を繋がれ頭が一瞬真っ白になった隼人は、驚きと戸惑いを隠せない。
手のひらに感じる沙紀の手は自分と違って小さくて柔らかく、女の子の手だった。
そのことを意識するとたちまち文化祭での彼女の言葉と感触が蘇り、鼓動が早くなる。
気恥ずかしそうにはにかむ沙紀は、すごく可愛い。胸が騒めいていく。
「こ、これははぐれないためでして、その、今だけ……っ」
「そ、そうだな、はぐれないために、今だけなら、うん」
この年頃の男女ともなればよほどのことがない限り、手なんて繋がない。
稚拙な言い訳だとはわかっている。だけど〝今だけ〟という言葉は隼人にとっても免罪符になり、珊瑚展へとの手を引く沙紀の力には逆らえない。
その時、チラリと春希の姿が視界に入った。
春希は何のてらいもなく楽しそうに百花とタコのモノマネをしている。あちらは大丈夫だろう。だけどどうしてか胸にチクリと小さな痛みが走り、わずかに眉を歪める。そしてそれを置き去りにするかのように、この場を離れた。
◇
珊瑚展のコーナーは、いくつもの小さな水槽に様々な種類の珊瑚と、珊瑚と共生する生き物たちが展示されていた。
パネルには興味を引く説明や豆知識がポップなイラスト共に書かれている。
「珊瑚ってクラゲやイソギンチャクの仲間なのか。そう言われると動物なイメージができるかも」
「宝石珊瑚に造礁珊瑚、浅いところと深いところに住むもの、一口に珊瑚といっても、色んな種類がいるんですね」
「あぁ、でも珊瑚が島を作ることがあると言われても、ちょっと想像つかない……え、沖縄の宮古島って珊瑚で出来てるのか!?」
「わ、そう聞かされると俄然、宮古島が気になってきますね!」
心だけじゃなく話す言葉も弾ませる隼人と沙紀。
珊瑚展だけでなく、他のものも一緒に見ていく。
すぐ近くの南国の珊瑚礁を模した大きな水槽で、色とりどりの熱帯魚がゆらゆらと泳ぐ様は、まるで宝石箱が煌めくように見え、瞳を輝かす。
他にもひらひらと漂うクラゲの可愛らしさに頬を緩ませ、1つの大きな生き物のように渦を描くイワシの群れに息を呑む。
そして水中ではお腹を上にしながらマイペースに流されているシャチを見て、一緒になって肩を揺らす。
「水族館って、どれもすごいですね!」
「こんなことなら、もっと早く来ればよかった」
「ふふっ」
お互い海とは縁遠かったから、驚き感心し、興味を引かれるところも似通っている。
そんな沙紀と巡る水族館は、とても楽しい。きっと、相性もいいのだろう。
春希と、同じように。
ずっと月野瀬ですぐ近くにいたというのに、そんなことも知らなかった。
――もっと早く沙紀とこんな風に遊ぶようになっていたら……
そこまで考えたところで小さく|頭(かぶり)を振って、打ち消す。
そんな仮定に、意味はない。
目の前には出口への案内が見えてきた。
「…………」
「…………」
〝今だけ〟の短い時間はもう終わり。
隼人と沙紀はどちらからともなく、しかし名残惜しそうに手を離した。
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