306.一輝と愛梨と姫子の変化


◇◇◇


「「チンアナゴ~♪」」


 一輝の目の前で両手を上げて、くねくね奇妙な踊りを見せる姉と春希。チンアナゴのモノマネをしているらしい。先ほどもエイやカニのモノマネをしていた。

 どうやら2人共、存分に水族館を満喫しているようだ。見ている方もその無邪気なはしゃぎっぷりに、自然と口元も緩む。

 それは愛梨も同じのようで、最初こそは百花を窘めていたものの、今は微笑ましそうに目を細めている。それに春希がちょくちょく入れるツッコミが程よいストッパーになっており、羽目を外し過ぎることもないだろう。

 ふとその時、愛梨と目が合った。愛梨は目を瞬かせた後、照れ臭そうにはにかむ。そして少し眉を寄せ、むず痒そうに口を開く。


「ももっち先輩と春希さん、すっかり意気投合しちゃってるね」

「うん、姉さんもかなり二階堂さんのこと気に入っちゃってるみたい。二階堂さんにとって、今日のことがいい息抜きになりそうでよかったよ」

「ふふっ、春希さんの件、撮影現場の方でもすごく騒ぎになってたからね。連日そのことばっかだったし」

「そうなの?」

「そりゃ、あの田倉真央の娘ってだけでも大概なのに、あの歌唱力とパフォーマンス! おかげで私のイメチェンが全然話題にならないくらい」


 そう言って愛梨は少し残念そうな顔をして、拗ねたように唇を尖らせる。

 なんとも反応に困り、曖昧な笑みを浮かべる一輝。

 モデルとして若い女性を中心に人気を博している愛梨は、文化祭を機に大きな変貌を果たした。

 ――一輝に、振り向いてもらうために。

 大胆なことをしたと思う。だが、それだけ本気だったのだ。

 だけどその気持ちには応えられない。

 はっきりとそのことを告げたにもかかわらず、それでも愛梨は諦める気配がなく、今もすぐ傍に居る。


「……愛梨は変わったね。芯が強くなったというか、見た目も以前より愛梨らしさが出て魅力的になったし。その格好もスタッフの受けが良かったって、姉さんから聞いたよ」

「まぁね。賭けに勝った感じ。どう、カノジョにしたくなった?」

「あはは、それはごめんなさい」

「そっか、残念」


 そんな軽口を叩き、にかっと気持ちのいい笑みを見せる愛梨。不覚にもドキリと胸が跳ねてしまう。

 愛梨は変わった。強くなった。

 その強さに羨望や憧れにも似たものを抱くと共に自分と比べてしまい、胸の内には焦燥感が顔を出す。

 胸中は複雑だった。スッと目を細める。

 すると、そこへ背中から声を掛けられた。


「柚朱さんも一緒に来られたらよかったんですけどねー」


 姫子だった。

 想い人にいきなり話しかけられ胸が騒めき出すも、咄嗟に被り慣れた兄の友人・・・・の仮面に笑み貼り付ける。

 愛梨は少し憮然とした様子で言う。


「柚朱、家の用事があるって言ってたっけ。結構愚痴られたよ」

「家のことならしょうがないですねー。それよりあっちにペンギンいるんですって! 空飛ぶペンギンって触れ込み、気になりません? 見に行きましょうよ」

「っ、それじゃあ、姉さんたちに声を掛けて――」

「あっちは楽しそうにしているし、あとはるちゃんにも待ち合わせ場所もメッセージで送っていますから、大丈夫ですよ。ねっ?」


 そう言って愛梨に目配せする姫子。明確に姫子の意図を汲み取った愛梨は、彼女らしからぬ大胆さで強引に腕を絡めてくる。


「そういうことなら、一輝くんっ」

「ちょっ、愛梨っ」

「ほらほら、一輝さんっ」


 姫子はそんな一輝と愛梨の背中をぐいぐいと押す。

 どうやら愛梨のお節介をしているらしい。まるで自分が異性として意識されていないことに、ズキリと胸が痛む。

 努めて困ったような表情を作り2人に向けると、ふいに姫子はふわりと微笑み、優しく諭すように言う。


「一輝さん、あいりんこれでも勇気を出してのことですから、それを受け止めて上げるくらいの男気を見せてくださいよ」

「え?」

「ちょ、ちょっと姫子ちゃんっ」


 姫子に促される形でよくよく愛梨を見てみれば、耳まで赤くした顔に、緊張で随分と身体をガチガチに強張らせている。どうやら大胆な行動は、彼女なりに無理しての行動らしい。

 一輝がまじまじと顔を見ていると、愛梨は「な、何さっ」と言って、ぷいっと拗ねたように顔を逸らし、それを見た姫子がクスリと笑う。


「まぁまぁ、あいりん。あたしも付いて行ってあげるから。ペンギンも楽しみだし」

「うぅ……」


 そう言って愛梨をあやす姫子は随分大人びて見え、一輝の胸が掻き乱される。

 あの日、文化祭を機に変わったのは何も春希を取り巻く環境や愛梨だけではない。

 姫子も明確に変わった。

 まるで今までどこか背伸びしていた女の子が、大人への階段を一足飛びに駆け上がっていったかのよう。

 歳相応以上の落ち着きと、さりとて失われていない彼女の無邪気さも相変わらず同居しており、そのギャップからますます彼女の魅力に磨きがかかっている。

 きっと受験が終わり状況が落ち着けば、周囲は彼女のことを放っておかないに違いない。

 胸の中を奇妙な苛立ちと焦りが浸食し、じくりと痛みを奏でる。


「一輝さん?」

「あ、あぁ……」


 声を掛けられ、どんな顔で返事をしたかわからない。

 皆が変わっていく中、一輝も変わっていっている。

 より、憶病になっているという形で。


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