305.百花と春希


◇◇◇


 店を出た後、まだ人がまばらなシャインスピリッツシティを通り、水族館へ向かう。

 普段は使わないエレベーターに乗り込む。屋上へ着き扉が開くなり春希と百花は飛び出し、両手を上げながらはしゃいだ声を重ねた。


「すーいぞーくかーん!」

「あくありうむ~っ!」


 後ろから隼人たちの少し呆れた笑い声が聞こえてくるが、気にしない。むしろ以前と同じような反応に、それだけ母のことが知れ渡る前の空気に戻っていると実感し、安堵すら覚える。

 水族館の入り口には、少なくない数の人がいた。当然、ここに来るまでの間と同様に彼らから注目を集めているが、ただそれだけだ。

 百花や愛梨と一緒ともなれば、それはもう目立つ。だが、そういうグループとして見られているようで、わざわざ声を掛けてくるような、空気の読めないもしくは図太過ぎる神経の人はいないらしい。

 木を隠すなら森の中とはよく言ったもの。これなら十分許容範囲。

 春希が久々の解放感に浸っていると、隣から百花が興奮気味に声を掛けてきた。


「ね、ね、リュウグウノツカイはどこだろ!?」


 百花は服の腕の袖を引き、うずうずした様子でキラキラした目を向けてきている。

 春希も彼女に釣られてにぱっと笑みを咲かせながら、言葉を返す。


「うーん、館内のどこかかな? 大きな魚だし、目立つところにあると思うけど」

「ん~~~~、楽しみ! リュウグウノツカイって名前からしてイケてんべ! よーし、行こうぜ!」

「あっ、わっ!」


 そう言って強引に春希の手を引く百花。

 今まさに走りださんとしたその時、ガシッと肩を掴まれ前へつんのめる。そこには眉を吊り上げた愛梨がいた。


「チケットっ、買わずにっ、入ろうとしないでくださいっ!」

「あ、そうだった」

「もぉ! はいこれ、春希さんの分も。お金は後でいいですから!」

「さすがママ、頼りになる。愛してる!」

「誰がママですか!」

「あはっ! そのネタ、まだやってたんだ」


 どこまでもマイペースな百花にツッコミを入れる愛梨。春希はチケットを受け取りつつも、いつも通りな彼女たちのやり取りにクスリと笑う。


「よし、気を取り直して行くべ!」

「おーっ!」

「こらーっ、館内で走らないーっ!」


 チケットを受け取るや否や、水族館入り口のゲートへ走り出す百花。

 手を取られたままの春希も、行儀悪いなと思いつつも共に駆け出す。こちらに向かってぷりぷりと真っ当至極なことを言う愛梨に振り返り、ごめんねとばかりに片目を瞑り、チロリと舌先を見せる。

 こうして百花と話したり遊ぶのは初めてだが、どういうわけかやけにウマが合った。

 自由奔放で横紙破り。春希の事情なんて知ったことかと振り回す。偏見もなく、あるがままの自然体の笑みは強く惹き付けられる。なるほど、彼女の人気はただその美貌だけはないのだろう。

 そんな彼女に覚える、確かな既視感。


(……はやと・・・も、こんな感じだったよね)


 なんてことはない。

 かつて月野瀬で膝を抱えていたはるき・・・を連れ出したはやとも、こんな感じだった。あの時と同じ高揚が蘇ってくるというもの。

 春希はその隼人はどうしているかと、走りながらチラリと背後を窺う。

 姫子や沙紀、一輝と共に愛梨を宥めている姿が見えた。

 そしてふいに隼人と目が合えば、ニヤリとどこか悪戯っぽい笑みを返される。これまでと同じような、一緒にはしゃごうとする春希の好きな顔だった。

 不意打ちだった。ここ最近見せていなかった顔だから、ことさらに。


「――――っ!」

「のわーっ!?」


 途端に痛いくらいに暴れ出した心臓を押さえつけ、赤くなった頬の熱を振り払うかのように、前へ前へ。今度は春希に手を引かれる形になり、躓きそうになっている百花を強引に引っ張っていく。

 あぁ、何をしているんだか。でも仕方がない。隼人を前に、今までと同じでいられようか。あの時とは、色々変わってしまっている。

 そのことにズキリと胸が痛み――しかし目の前に広がる光景に、思わず足を止めてしまった。


「「……わぁ!」」


 感嘆の声を重ねる春希と百花。

 薄暗い廊下の先、目の前一面に広がるのは、海色に輝く神秘的な光景。

 巨大な水槽の中のあちこちで大小さまざまな魚がゆらゆらと泳ぎ、水面の近くで揺蕩う海亀、底の方ではジッとして動かない鮫や活発な動きを見せる大きなカニたち。

 それは一つの絵画じみた芸術作品のようで、まるでおとぎ話に出てくる世界だった。こんな光景が実際に海の底にあるかもしれないということが、にわかに信じられない。

 圧巻だった。思わず言葉も忘れ、見入ってしまうほどに。

 春希や百花たちだけでなくここを訪れている全ての人たちが、目の前で織りなす一時たりとも同じ姿を見せない光景に釘付けになっている。

 するとその時、目の前に大きなエイが泳いできて、そのお腹を見せてきた。


「――ゎ」


 思わず驚きの声を上げる春希。一方、隣からは喜色で弾んだ声が上がった。


「やばっ、めっかわ! てか完全に人の顔じゃん! エイってお腹に人住んでんの!?」


 百花はそう言ってこちらに振り返り、左右の頬を指先でぴょこぴょこ突きながらニコリと微笑む。どうやらエイのモノマネをしているらしい。


「ね、似てる?」

「エイのお腹の目に見える部分って、あれ実は鼻ですよ」

「え、マジで!? つまりこの子を真似ようとしたら――」

「って、仮にもモデルが鼻の穴を見せようとすな!」

「てへっ」


 突然の行動に思わずツッコむ春希。しかし百花は気にした風もなく、今度はジッと目の前のカニを見やる。今度はそっちに興味が向かったようだ。

 春希たちが両手を広げたよりも全長がある、大きなカニだ。近くの案内板にはタラバガニと、見慣れた名前が書かれている。

 タラバガニはこちらにお腹を見せるようにしてハサミを振り上げながらちょこまかと動いており、それを見た百花がポツリと呟く。


「おー、ダンスを踊ってるみたい。うちらも踊ろうぜ、はるぴ!」

「えっ、ちょっ!?」


 両手でチェキを作りながら、目の前のカニに対抗するかのように動く百花。春希も彼女の勢いに釣られてそれに倣う。


「うわ、向こうもめっちゃこっちに向かって手を広げてくるし! 一緒に踊って楽しくなってくれてんのかな!?」

「いやそれ威嚇。縄張り争いのファイティングポーズ」

「てことはうちら、めっちゃカニに喧嘩売られてる!?」

「最初に売ったのこっちですがね!」

「あはっ、そういやそうだ!」


 たはーっとおでこを叩く百花。春希はそれを見て可笑しそうに肩を揺らす。

 なんともバカらしいことをしている自覚はあった。だけど思いの外に楽しくて、百花への軽口やツッコミもどんどん遠慮のないものへとなっていく。

 すると今度は、百花は両手でCの字を作り、言う。


「うーん、おいCシーそ~」

「食欲!?」

「いやだってタラバガニおいしいし」

「確かにそうだけど、今日は食べるんじゃなくて見に来てる方だから!」

「でも口の中はもんじゃって気分なんだよね」

「脈絡っ!」


 自由過ぎる百花に、思わず裏手でツッコむ春希。

 すると百花は叩かれた胸をさすりながらまじまじと春希を見つめ、そしてガッと春希の両肩を掴んできた。


「う~ん、やはりあいりんとは違った鋭さのいいツッコミ。はるぴ、やっぱりうちらと一緒にてっぺん取ろうぜ!」

「てっぺんってどこの!?」

「唄って踊れて笑いも取れるグループってよくね? いや絶対イケんべ!」

「あ、あはは、どうだろうね。そもそもボク、芸能界には……」

「でも桜島さんに誘われてるっしょ?」

「っ、それは……」


 桜島。その名前を聞いて思わず息を呑み瞠目し、言葉を詰まらせる。

 百花や愛梨のマネージャーやプロデューサーをしている桜島清司は、春希の腹違いの兄と名乗った。母の反応を見るに、真実なのだろう。

 このことはまだ誰にも、隼人にさえ言っていない。

 それに彼に、に対し、どういう風に接すればいいのか図りかねているのも事実。

 兄という言葉を聞き、まず思い浮かべるのは隼人だ。姫子の兄をしている隼人の姿は、これまで散々間近で見てきている。

 裏表、それと忌憚と遠慮のない言葉をぶつけ合い、我がままを言われ、時には喧嘩をし、または甘えられ、嫌われ、でもそんな妹を受け止めて結局最後には仲直り。そんな、なんだかんだと頼りに出来る相手。

 翻り、桜島清司は春希にとってどうだろう。

 あの日、後夜祭の最後にぶつけられた賞賛、憎悪、羨望といった相反する複雑な感情が入り混じった言葉と瞳は、忘れられそうにない。アレは果たしてに向けられる類のものなのだろうか?

 わからない。

 ただ自分の生まれが特異なのはわかっている。

 彼にとって春希は、父の浮気相手だか愛人の娘だ。世間一般的に、家族関係にひびを入れかねない、好ましくない相手だろう。

 しかしそれでも彼は春希の続柄を承知で、自ら事務所に誘ってきた。

 その才能は見逃せないと。

 正直、春希は自分の才能がどういうものかあまり理解していない。こんなもの、周囲にいい顔をするをするためだけの処世術だ。評価されるようなものじゃない。

 だけど、世間からの評価が違うのもわかっている。文化祭の時は、客観的に見ても盛り上がっていただろう。それこそ、この騒ぎに繋がるほどに。

 春希に芸能界に入る気はない。だけど、それが許されるかどうかはわからない。現に、彼や母からの連絡は何もない。

 まるで自分の意思とは無関係なところで、物事が動き、流されていく感覚。そう、ひどく覚えのあることだ。今までと同じように。

 くしゃりと顔を歪める春希。

 春希が口籠っていると、ふいに百花がはたと思い出したかのような声で呟いた。


「そういや桜島さん、今新しい子のプロデュースで忙しいって言ってたっけ」

「新しい子の、プロデュース?」

「なんかコネ絡みのどうこうって」

「……へぇ」


 新しい子の売り出し。一瞬自分の事かと思い身構えるものの、どうやら違うようだ。

 何か忙しいことでごたついているのだろうか? 春希が複雑な表情を作っていると、百花はにぱっと人好きのする笑みを浮かべて言う。


「もしはるぴがうちの事務所に入るなら、大かんげー。一緒に楽しく仕事できそうだし!」

「っ、じゃあその時はよろしくお願いしますね」

「一緒にてっぺん目指そうぜ!」

「お笑い以外で!」

「えーっ!?」


 春希のツッコミに、拗ねたような顔を見せる百花。

 不思議なことに、百花に言われて悪い気はしなかった。彼女の人柄もあるだろう。

 それに百花たちと一緒なら、今日のようにかつてのような平穏を取り戻せる――そう考えると思うと悪くないように思え、春希もにぱっと笑顔を返した。


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