297.そんな自分が
放課後になるなり、沙紀と姫子は浮き立った穂乃香たちに急かされる形で御菓子司しろを目指す。
夕方ともなればかなり冷え込むようになり、沙紀は手をこすり合わせながら受験本番前に風邪を引いてはいられないなと、早めにコートを出すことを考える。
街路樹は木の葉を散らし、すっかり丸裸になって寂しそうな姿を晒している傍ら、女子中学生たちはきゃいきゃいとお喋りに花を咲かす。
「勉強すると、やけにお腹空くよね」
「確か脳を使うと、結構カロリー消費するんだっけ」
「勉強でダイエットにならないかなぁ」
「猛勉強すればあるいは」
「あはは、その糖分補給に甘いものがいいって聞くね」
「和菓子ってカロリーや脂質が低いから、最適かも!」
和気藹々、勉強の鬱憤を晴らすかのように他愛のない話で盛り上がる。
するとふいに穂乃香があることに気付き、少し弾んだ声を上げた。
「あ、御菓子司しろといえば、今日って二階堂先輩いるかな?」
春希の話題が飛び出し、ドキリと胸を跳ねさせる沙紀。
他の女子たちも「会いたいなー」「一緒にカラオケ行ったけど、超凄かった!」「そりゃ、動画がバズるはずだよ」「田倉真央の娘ってのも納得!」とにわかに騒ぎ出す。
御菓子司しろで春希がバイトをしているのは、穂乃香たちもよく知っている。
そして春希の歌う姿が動画が拡散され、騒ぎになっていることも。
文化祭の翌日、教室でも大騒ぎだった。現場に居合わせていた沙紀や姫子は、クラスメイトたちから質問攻めにされたものだ。
穂乃香たちと春希は何度か交流を重ね、顔見知りといえる。色々気になるところはあるだろう。
しかし、今の春希を取り巻く状況は非常に繊細だ。それに本人自身も、そのことでかなり気を揉んでいる。
そのことをどう伝えようかと思い巡らせていると、ふいに姫子が窘めるように言った。
「今日バイトだって言ってたから、いると思うよ。けど変に騒いでバイト先に迷惑かかるとはるちゃんも困るだろうから、ほどほどにね?」
「うっ、それもそうだね」
「サインとか欲しかったのに」
「それは気が早いよ、本人的には芸能界に行く気はないみたいなこと言ってたし」
「じゃあもしデビューするようなことがあったら、霧島ちゃんから頼んでね!」
「私の分も!」
「あはは、その時になったらね」
沙紀はジッと姫子の顔を見る。ここでもそうだ。今までの姫子なら、穂乃香たちと一緒に春希の芸能界入りについてはしゃいでいたかもしれない。
だけど姫子は目を細め、穂乃香たちの言葉を受け流し、宥めるように答えている。
ここ最近、姫子はしばしばこれまでの彼女らしからぬ顔を見せるようになった。
穂乃香らクラスの友人たちからは受験本番を前にしてしっかりしてきたからとか、落ち着いてきただとか思われるようだが、沙紀の目にはやけに大人びて見え、胸を騒めかせてしまう。
(姫ちゃん……)
姫子の変化の理由は明白、春希が最後に唄った歌を聞いてしまったからだろう。
あの日、後夜祭からの帰り道。
感情を削ぎ落とした顔で呆然として、魂の抜けたような姿が強く目に焼き付いている。
あの時の春希の姿は強烈だった。誰もが圧倒されていた。
一際異彩を放つ歌唱力、ステージで燦然と輝く存在感、聴くもの全ての胸を打ち震わせるほどの切なく狂おしいまでの想い、それを伝える表現力。
その想いが誰に向けてのものなのか、姫子も正しく受け取ったのだろう。
鮮烈なまでの恋心。
身を焦がしかねない、燃え盛る様な熱い想い。
直接話してもらったことはない。
それに今朝の様子だって今まで通りを装っていた。
だけどもはや疑いようもなく、春希は隼人のことが好きなのだ。
自分と同じように。
もしかしたら自分以上かも――そんなことを考えてしまうほどの歌だった。ズキリと心臓が張り裂けそうなほど早鐘を打ち、痛みだす。
ふと思い返す。
文化祭の時、隼人は春希のことを再開するまで男子だと思っていたと言っていた。
だけど、春希は?
隼人のことだ、かつての春希を知らず救っていたのだろう。
もし春希が、その時に抱いてしまった想いをずっと育てていたとしたら――
(――どうして?)
胸の中はぐちゃぐちゃだ。
春希は沙紀に様々な変わる切っ掛けをくれた。手を差し伸べてくれた。
それだけでなく、たくさんの楽しい経験や色んな思い出も積み重ねてきている。
きっと春希が居なければ、今こうして
もはや沙紀にとって春希は大切で掛け替えのない、大好きな友達だ。
だというのに、何故――
「――ちゃん、さきちゃん?」
「っ! え、えーと、どうしたの姫ちゃん?」
「いや、呼んでも答えないし、どうしたのかなーって思って」
ふと気付けば、目の前には心配そうに顔を覗き込む姫子。
いつの間にか思考の渦に呑み込まれていたようだ。皆からも少し遅れてしまっている。
「ん~、なんでも。何食べようかな~って、考え込んじゃってたみたいで」
「食いしん坊さんだ」
「姫ちゃんに言われたくないよぅ」
「あはっ、それもそうかも」
咄嗟に言い訳を紡ぐ沙紀。親友とのなんともちぐはぐなやり取り。
そして互いに何かを取り繕うようにクスリと笑い、穂乃香たちを追いかける。
ふぅ、と息を吐く。
あぁ、現在春希を取り巻く状況は複雑だ。
だけどそのおかげで他のことを考える余裕がない。様々な決着が引き延ばされている。
そのことに少し安堵してしまっており――沙紀はそんな自分が嫌いになりそうだった。
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