106.どこだっけかな?


 隼人は春希と姫子が出掛けてすぐ、家事に取り掛かった。

 リビングにキッチンの掃除にゴミの分別、そして洗濯物。

 やることの項目は多いものの普段からこまめにこなしていることもあって、さほど時間を掛けずに終わり部屋へと戻る。クーラーが効いていて涼しい。

 窓の方へと目をやれば、真夏の太陽が燦々と輝いていた。いい天気だ。だが外は今日も暑そうだった。


 春希と姫子は――と考えたところでかぶりを振ってベッドに寝転んだ。


「水着を買いに、ねぇ……」


 今日は春希、姫子、伊佐美恵麻の3人で水着を選びに行くようだった。

 先日姫子がプールに付いていくと言い出して、あれよあれよとそういう流れになった。らしい。女子たちの間の話なのでよくはわからない。

 もちろん隼人が一緒に行くことは最初から想定されておらず、1人どこか疎外感を覚えたのも事実だった。


 ごろりと寝返りをうつ。

 すると、机の隣に置かれているスポーツバッグが目に入る。春希の私服が入れられたものだ。さもそこにあるのが当然といった様子で存在しており、そして脳裏に春希が思い浮かび――眉間に皺が寄った。


「女の子……なんだよな、あいつ」


 困ったような、しかし確認するかのような声が漏れる。

 撫でると絹のように滑らかで触り心地の良い長い髪、触れると柔らかくどこか甘い香りのする白い肌、隼人にだけ気を許した眼差し。そしてかつては決して見せることのなかった、恥じらいの表情。


 ここ最近、ふとしたきっかけに感じてしまう春希との違いだ。それがどうにも胸を騒がせて仕方がない。

 その感情をどうしていいか持て余し、振り回されている。


「あーくそっ! …………うん?」


 それも存外悪くないと感じてしまう自分に呆れて毒づいた時、机の上のスマホが通知を告げた。


『よぅ、隼人。今何してる? 暇だよな? オレも今日は恵麻にフラれてるからさ、隼人も暇だろ?』

「伊織……俺は別にいつも春希と一緒ってわけじゃ」

『別に誰も二階堂が、とは一言も言ってねーぞ』

「…………チッ」


 してやられた感じだった。思わず抗議の意味を込めて舌打ちすれば、スマホの向こうから『あはは』と揶揄からかいの笑い声が聞こえてくる。だから続く言葉は少々不貞腐ふてくされた色になった。


「で、なんだよ」

『いやさ、昼メシでも一緒に行かねーってお誘い』

「昼メシか……」


 あまり乗り気ではなかった。プールでの出費も控えているし、料理が出来る隼人はなるべく自分で作って食費を押さえたい。

 さてどうやって断ろうかと思案を巡らせていたが、続く伊織からの言葉にすぐさま飛びつかざるを得なかった。


『焼肉食べ放題60分888円』

「んなっ!?」

『部位は限られるけど牛肉にごはんにキムチ、カレーとアイスクリームも食べ放題だ』

「千円札でおつりが来るというのにっ!?」


 正確には牛肉と食べ放題と888円というところに飛びつかざるを得なかった。

 隼人も食欲旺盛な男子高校生だ。例に漏れず、肉には目がない。

 また、月野瀬において肉を存分に食べる焼肉やバーベキューと言えばもっぱら罠に掛かった猪か鹿だった。あとたまに穴熊。


 それに外食と言えば近くの割高な道の駅のイートインコーナーを思い浮かべる隼人にとって、焼肉・食べ放題・888円という3連コンボは心を傾けるのに十分な破壊力を秘めていた。口の中は既に肉の味を連想してしまっている。


『待ち合わせの場所と時間だが――』

「あ、あぁ……」


 既に声は上ずりそわそわしている隼人は、スマホの向こうで伊織がくつくつと愉快気に喉を鳴らしているのも気にならない。


『しかしまぁ、一輝の言った通りの反応だったな』


 だが浮き立っていた心は、その名前を聞くなりムッと眉をひそめてしまう。

 別に嫌いと言うわけではないが、得意でもない。少しだけ思うところもある。


「一輝が? どういうことだよ」

『姫子ちゃんの兄の隼人なら、そう言えば絶対釣れるってさ。あ、一輝も部活が終わってから合流するってさ。じゃあな!』

「おい、姫子の兄だからってどういう……切れた……ったく……」


 なんとも言えない気持ちになった。

 頭には普段ぐうたらしているダラしない姫子の姿と、捉えどころのないにこにこ笑顔を浮かべる一輝が思い浮かび――かぶりを振って2人を意識の外へと追い出した。


 机の上の時計を見れば10時過ぎ。まだまだ時間には余裕がある。

 そして視線を少し滑らせると春希の――幼馴染の贔屓目ひいきめを抜きにしても可愛いと判断せざるを得ない女の子の、スポーツバッグ。


 前髪をひと房掴み、眉を寄せる。


「…………ワックス、どこだっけかな」


 隼人は憮然ぶぜんとした顔で、先日姫子に髪を弄られたことを思い出しながら、洗面所に向かうのだった。

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