217.なりたい自分
グルチャで集合場所に指定された駅は、普段よく使う都心部の駅とは違うところだった。隼人でさえ耳にしたことのある、オシャレで高級というイメージの強い街だ。
改札の位置に戸惑いつつも、何とか合流する。
「少し急ごう」
「あぁ」
「おぅ」
急ぎ足気味で大通りを歩く。
レンガ造りが特徴的などこか異国情緒あふれる街並みには、ファッションや高級アクセサリを扱う店が多く集まっており、近くのカフェからは珈琲豆を焙煎する香ばしい香りが漂う。街を行き交う人たちの格好も洗練されており、年齢層も高く感じる。
翻って今日の自分を鑑みれば、場違い感を否めない。まだそれなりに早い時間ということもあり、人の目が少ないのが幸いか。
やがて大通りから1つ角を曲がり、オシャレなビルの谷間へもぐる。
目的の美容院は、そんなとあるビルの3階にあった。
まるで小粋で高級そうな喫茶店のような店構えは、そうだと教えられなければ気付かないかもしれない。
もしかしてこういうところは一見さんお断りなのかも? そんなことを考えると隼人は少しばかり気圧されたじろぎ、思わず財布の中身を気にして挙動不審になってしまう。
一方伊織は興味津々といった様子できょろきょろと店内を窺っており、その肝の太さが少し羨ましい。
一輝はといえば慣れた様子で軽く手を上げながら店の中へ入り、気安い感じで話しかける。
「やぁ、すいません
「ははっ、一輝くんが友達を紹介したいだなんて初めてだからね。こちらも急かすような形になってごめんよ」
「そうそう、一体どんな子を連れてくるのか気になって、あーしも店長から連絡もらって飛んで来たし!」
「真琴さんまで!」
まだ開店前と思しき店内には、2人の美容師がいた。
祐亮と呼ばれた男性は父親と同世代だと思われるのに随分と
真琴呼ばれた女性の年は一回りほど上だろうか? 華やかで品があり、しかし人懐っこそうな愛嬌にも溢れている。
どちらも訪れた客に、彼らのようになりたいと思わせるほどの魅力があった。
「と、早速始めようか。時間に余裕があるわけじゃないからね。えっと……」
「祐亮さんは隼人くんを。伊織くんは彼女のこともあるから、真琴さんに」
「ほほぅ?」
真琴の目が得物を捉えたとばかりに光り、伊織がお手柔らかにと縮こまる。
そして隼人と伊織は促されるまま、シックで落ち着いた雰囲気のスタイリングチェアへ据わる。いつも行っていた安さと速さが売りの店の機能性を追尾したものとは、デザインだけでなく座り心地も段違いで、思わず緊張で身体を強張らせてしまう。
そこへ祐亮が人好きのするような笑みを浮かべ、鏡越しに話しかけてくる。
「さて、今日はどんな感じにしようか?」
「えっと……」
問われて言葉に詰まる。
今までこういうことには無頓着だったので、具体的にどうというビジョンが思い浮かばない。急な来店だったから、なおさら。
必死に頭を回転させる。ちらりと隣を見れば、伊織が真っ赤な顔で
「と、とりあえず短く」
「「……ぷっ」」
しかしひねり出した言葉は、そんなふわっとしたアレな言葉だった。
一輝と祐亮も思わず噴き出し、隼人はバツの悪い顔を作る。
しかし祐亮はすぐさま申し訳なさそうな声で言う。
「あぁ、ごめんよ。キミのことを笑ったんじゃなくて、一輝くんが予想した通りのオーダーで、それでね」
「一輝が?」
「隼人くんのことだから、まずは伸びた髪をどうこうしたいってのが先に来ると思って」
「まぁ、そうだけどさ」
なんとも見透かされたような気がして怪訝な顔で視線を移せば、一輝は肩を竦めて苦笑い。
「さて、それじゃ君はどんな風に変わりたい? うん、そうだね。この長さならどんなものにでも料理できるよ。辛口? 甘口? それともいいとこ取りの中辛?」
「僕はまろやかで最初は甘みがあるけど、あとからしっかりとした辛さがやってくるバターチキンカレーが好きだなぁ。祐亮さんは?」
「最近サラサラで風味が独特なグリーンカレーにはまってるよ。近くにタイ料理屋が出来てね。君は?」
「俺は家で作る季節の野菜を使った……って、なんでカレー!?」
隼人のツッコミにあははと笑い声が上がる。「……ったく」と呟けば、この一連のやり取りで緊張がほぐれていることに気付く。どうやら気を遣われたらしい。
そんな隼人の様子をみとめた祐亮は茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、鏡越しに隼人へ笑いかける。
「あはは、そんな感じで気軽に言ってみてよ。そうだね……君はどんな自分になりたい?」
「どんな自分、か……」
そう言って自分に問いかけ、真っ先に胸の内に現れたのは春希。それと、沙紀。
どちらも多くの人の目を集め輝く、魅力的な女の子。隼人の、幼馴染たち。
そんな彼女たちを思えば――
「――頼れる兄貴分、かな」
無意識にそんな言葉が零れ落ちる。
それがなりたいものなのかと、自分でもビックリだった。
確かに沙紀は1つ年下で、早生まれの春希もそうかもしれないが、しかしなんともアレな恥ずかしい言葉だろう。
失言と気付いた時には、鏡の中でみるみる赤くなる自分を眺める羽目になっていた。
「へぇ、やっぱり隼人くんは良いお兄ちゃんなんだね」
「一輝……?」
しかしその言葉をどう捉えたのか、一輝は茶化す素振りも見せず、ただ眩しそうに目を細める。
そして祐亮もうんうんと納得したかのように頷く。
「なるほどね。じゃあちょっと大人な感じを意識しようか。よし、任せて!」
「は、はぁ」
言うや否や祐亮はハサミを入れていく。
その動きに迷いとよどみはなく、ハラハラと切られた髪が舞う。素人目にも確かな技術が感じられた。思わず言葉もなく見入ってしまう。
隼人がカットされていく様を興味深く眺めていると、ふいに隣の席から「きゃーっ!?」と黄色い声が上がった。
祐亮も思わず手を止め、そちら方へと目を向ける。
「え、マジ? 一輝くんの女装!? なにそれ今の時点でしんどいほど滾ってくるし! いつ!? 文化祭!? 行く、行くから。店長その日休みますから! 他にも可愛い男の娘いる? それでしか取れない栄養素があるし、救える命があるんですよ! あ、友達も連れてっていい!?」
「一輝のやつ、クラスの女子や姉さんとかにも化粧教えてもらってるくらいガチらしくって」
「あはは、だから真琴さんに僕に似合う髪型とか聞きたくて」
「ふぉぉぉぉぉぉっ! ウィッグ! 買うの! 着いて行きたい! 店長――」
「真琴ちゃん、仕事しようね」
「ですよねー」
真琴ががっくりと肩を落とせば、皆の笑い声が上がる。
しかし真琴の手が止まらないのはさすがはプロというべきか。その後も一輝の女装について伊織と共に話に花を咲かす。
そして祐亮はふいに目を細め、感慨深そうな声で言った。
「一輝くん、変わったね」
「……俺は出会ったときからこうでしたけど」
「君たちという友達ができたからだろうね。よく笑うようになったし、最近は特に何かを吹っ切れたというか……うぅん何ていうのだろう?」
「それは……」
祐亮の言葉にこそばゆさを感じつつ、よく人を見ているんだな、と思う。
「好きな子が、出来たとか?」
「……へ?」
しかし続く予想外の言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
思考がぐるぐる空回る。
一輝が? 誰と?
隣で伊織と真琴と談笑している一輝を見てみるも、いつも通り爽やかでさらりとした笑みを浮かべている。その表情や言動に特に違いは感じられない。眉を寄せる。
「相手はどんな子かなぁ……知ってる?」
「……さぁ、勘違いじゃないですか?」
「そうかもね。でもこの仕事をしていると、恋が人を変えるところを何度も見てきてるからさ」
「はぁ……」
祐亮の声には実感がこもっていた。
それだけ、多くの変化した人を見てきたのだろう。
しかし隼人には今一つよくわからないものだった。
やがて色んなことを考えているうちにカットが終わる。
「はい、これでどう?」
「……え?」
祐亮の声で我に返った隼人は、少しばかり間の抜けた声を漏らす。
髪は短く刈り揃えられ、どこか自然な流れがあり、前とさほど変わらないはずなのにどこか爽やかで少しだけ大人っぽい印象を受ける。
自分が自分でないようだった。
どこか気恥ずかしさを覚えるが、しかし先ほど胸に浮かべた2人の顔を思い返し、胸を張る。
「ありがとうございました」
「どういたしまして。あ、また来てね?」
◇
美容院から出た隼人は、財布の中身を覗きながら渋面を作っていた。
「……バイト、増やそうかな」
「うちは大歓迎だぞ。しかし髪型1つでここまで印象って変わるんだな」
「それは確かに」
そう言って伊織は少し気取ったポーズを取った。いつもと同じふざけた軽い調子だが、いつもと違い垢抜けたせいか妙に決まって見える。
これから通うと決意をさせるほど、彼らの技術は優れていた。
心なしか周囲から視線を集めているを感じる。
すると途端に自分の着ている格好が気になってきた。今日は普段と同じ、適当に引っ掴んできたものだ。
パーカーを掴みつつ眉を寄せていると、一輝がポンッと手を叩く。
「ついでだから、服も身に行くかい?」
「いいのか?」
「お、いいね! 浴衣の時の見立てもよかったしな!」
そうして話の流れが決まった時、ぐぅと大きな腹の音が2つ響く。
バツの悪い顔をする隼人と伊織。
伊織が気恥ずかしそうに言葉を漏らす。
「急に出てきたから朝飯食ってなくてさ」
「はは、買い物の前に少し早いけどお昼にしようか」
「あー……、安くて量の多いところで頼む」
そんな隼人の言葉に、2人は声を上げて笑った。
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