262.投げかける約束
バイトを終えて店を出れば、東の空では朧げに星が瞬き始め、夜を滲ませていた。
ほどなくして西空を淡く染めている茜色も、闇へと溶けていくことだろう。
疲労を振り払うかのようにぐぐーっと大きな伸びをした隼人は、隣で「ふぅ」と大きなため息を吐くみなもに、苦笑と共に労いの言葉を掛ける。
「おつかれさま、みなもさん」
「なんとか乗り切れた、って感じです……」
「あはは。って、一輝も助かったよ。でも、クラスの方はよかったのか?」
「そっちはなんとかね。こっちの人手が足りない時の忙しさは殺人的だし……でもみなもさんが来てたのは意外だったよ」
「ついていくのに精一杯で、お役に立てたかどうか……」
「いやいや、全然そんなこと! すっごく助かったよ。ミスだって無かったし、春希だって初日は床に食器ぶちまける大ポカやらかしてるしさ」
「え、そうなんです!?」
「へぇ、それは僕も初耳だ」
「ってそれ、俺が言ったってことは内緒にしていてくれよ?」
そう言って隼人が肩を竦めれば、一輝とみなもがくすくすと笑う。
ひとしきり笑い終えた後、一輝は空の様子とスマホの画面を目にし、少し心配そうな声色でみなもに訊ねた。
「みなもさん、随分暗くなってきたし家まで送ろうか?」
一輝らしい気遣いの言葉に、しかしみなもでなく隼人が「あー……」と、なんともいえない返事の声を漏らす。
今のみなもを取り巻く状況は複雑だ。相手がたとえ一輝だとしても、おいそれと話せるものじゃない。
どう答えたものかと言葉を探していると、みなもはくすりとこちらに向かって苦笑を1つ。そして気恥ずかしそうに口を開く。
「一輝さんにもお父さんとのこと、話していますよ」
「っ、そうなんだ」
少しばかり意外と思うと共に、今の一輝ならばと納得するものもあった。隼人たち同様、みなもの変調に気付き話しかけたのだろう。一輝と目が合い互いに苦笑を零す。
みなもも、一輝へと向き直る。
「その、お父さんとの現場に隼人さんたちも居合わせて色々あって、今は村尾さんのところにお世話になってるんです」
「それは……相変わらず隼人くんたちらしいね」
「俺たちらしいってなんだよ」
「ちょっと強引でお節介なところでしょうか?」
「みなもさんっ!?」
隼人が思わずツッコミを返せば、あははと明るい声が上がった。
その反応に憮然とした顔を作っていると、一輝がまぁまぁと宥めつつも、しかしはてと疑問を零す。
「けどその村尾さん、さっき愛梨や姫子ちゃんたちと慌てて店を出てどっかへ行ったよね?」
「あぁ、姫子に『おにぃ、今日は夕飯遅くなる!』って言われて、それでお客さんから思いっきり生温かい視線を向けられる羽目になったな」
「ふふっ、でも丁度いいかもしれません。私の家に寄らせてもらえませんか? えっと昨日、急なことだったので荷物とかその、色々……」
みなもは少し恐れを滲ませた言葉を零す。最後は消え入りそうな声になっていた。
一輝と目が合い頷き合う。昨日の今日のこと、また父と遭遇するかもしれない。
「もちろん! 一輝もいいだろ?」
「あぁ、喜んでお供させてもらうよ」
◇
秋の冷たい風を受けながら思ったよりも薄暗くなった道を、小柄なみなもを守るように挟んで歩く。
見えない何かが圧し掛かり、心なしか重い足取りのみなもは、それを振り払うかのように努めて明るい声を意識して言葉を紡ぐ。
「父はくしゃみが大きな人でした。ご飯の時とかテレビを見ている時とか急にしては顰蹙を買って、いびきもうるさいし、お風呂上りは裸でうろちょろ……でも急に仕事の電話がかかってくると顔つきや声が一変しちゃって、普段からそんな風に毅然とした方がいいのに……」
そんなありふれた、ともすれば自分の家でも覚えがあるような父の話に、隼人と一輝は「あぁ」とか「へぇ」といった相槌を打つ。
みなもにしてはやけに饒舌だった。
けどそれが如実に、決して父を悪く思っていないという想いが滲み出ており、胸がきゅっと締め付けられる。
「買い物に出掛けた時……いつもお昼は決まって……」
公園を抜け、住宅街の奥へと足を踏み入り家が近付くにつれ、みなもの声から力が抜けていき、ついには無言になる。
ぎゅっとみなもの胸の前で握りしめられた拳に籠もった想いは、いかほどのものか。
「……ぁ」
「……っ」
やがてみなもの家が見えてくる道へと差し掛かった時、ふいに足を止めた。隼人と一輝もそれに倣う。
理由は一目瞭然。
目の前にいるのは、まるで待ち構えていたかのように佇むみなもの父、航平。
その顔は相変わらず鉄のように固く、感情が読めない。
隼人と一輝はみなもを庇うかのように、一歩前に出た。
「……」
「……」
「……っ」「……」
出会う可能性を考慮していなかったわけじゃない。それはみなももそうだろう。もしかしたら出会えるかもと思っていた節もある。
それでもやはり突然のことだった。咄嗟に言葉が出て来ないようだ。
互いの視線が絡まり、重い沈黙が圧し掛かる。
隼人も歯痒さからぎゅっと拳を握りしめ、ちらりとみなもの様子を窺う。
みなもは視線を彷徨わせながらも、必死に言葉を探している様だった。
その瞳に宿るは強い意志と恐れの色。
隼人としても言いたいことがあるが、それを見れば口を噤むしかない。
出来ることはそう、友達として全力でみなもの決意を尊重し、支えることのみ。
もどかしいにらみ合いのような時間が刻まれる。
「……………………ごめん」
「……ぁ」
やがてそれは航平の哀切、後悔、あるいは感懐の込められた言葉で終わりを告げる。簡素だが彼の心境がよくわかる、複雑な声色をしていた。
航平はまるで合わせる顔がないとばかりに、それだけを告げてみなもの脇を通り過ぎていく。
みなもは目を大きく見開き瞳を揺らし、唖然と父の後ろ姿を見送ろうとして――
(……あ)
その時ふいに、隼人は何故か
胸に湧き起こるのはどうしようもない別れを前にした時の苦々しい感情。
これは、いけない。
認めてはならない。
きっとこのまま別れると決定的なものがダメになってしまう気がして。
だから隼人は咄嗟に鋭い声と共にみなもの背を押した。
「みなもさん」
それを引き金に、みなもは弾かれたように顔を上げる。
「っ、お父さんっ!」
「っ!」
反射的にみなもの口から飛び出した声に、足を止める航平。
しばし引き延ばされた僅かばかりの猶予。
そのことがよくわかっているみなもは、この貴重な機会を無駄にすまいと手を伸ばし、咄嗟に胸の内を言葉に変えた。
「文化祭っ……待って、ます……」
それはまた会いたいという約束を、精一杯投げかけたもの。
航平もそのことがわからないわけじゃないだろう。僅かにその瞳を揺らす。
みなもにとって気が遠くなるような一瞬の逡巡。
「…………あぁ」
隼人と一輝が固唾を呑んで見守る中、航平はそんな曖昧な返事を残し歩みを再開する。
やがてその後ろ姿が見えなくなった頃、みなもは気抜けしたような声色でポツリと呟いた。
「……すごく、怖かったです」
そう言うみなもの肩と足は震えており、掛ける言葉が見つからない。
だけどみなもは振り返り、精一杯の笑みを作って見せた。
「それと、ありがとうございました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます