195.機転
その頃、春希は驚きと困惑の最中にあった。
渦巻く熱気、肌をひりつかせる騒然とした空気の仲、興奮に彩られた視線が突き刺さる。
『『――笑って答えず~♪』』
どういうわけか春希は今、急遽こしらえられた仮設ステージのようなところで、流行りのアイドルグループソングを唄うハメになっていた。
周囲を取り囲む人々も、この突発的なイベントを好意的に受け止め盛り上がっている。
つまり、非常によく目立っていた。一体どれだけの人が集まっているのだろうか?
彼らの中にはスマホを掲げ、動画や写真を撮っている姿も見て取れる。
注目されることにはある程度慣れているとはいえ、これはあまりに予想外。
それだけ隣で唄っている
MOMO――ファッション誌に目を通し始めた春希でも知っている、今をときめく人気モデルの1人。
華やかで整った顔立ち、春希よりも2回りほど高いスラリとした背丈に、メリハリの付いたプロポーション。
歌唱力自体は特筆すべき点はないものの唄っている姿はなるほど、身体全体を使って楽しそうに場を盛り上げており、惹きつけられるのも納得の存在感だ。
だからこそ、そんな彼女と一緒に唄っているこの状況が、殊更わけがわからない。
これも全てあの男――いつぞやの病院で出会い、佐藤愛梨のイベントでも出会った
春希はにこやかな笑顔の仮面を貼り付けつつ、器用にも舞台袖にいる彼を恨みがましく睨みつける。
するとその視線に気付いた彼は、サラリと受け流しニコリと微笑む。春希の頬が僅かに引き攣る。まったく、喰えない相手だ。
『『――千夜の夢~♪』』
とはいうものの、この状況を作り出した彼の手際は見事なものだった。
先ほどのことを思い返す。
お忍びでやってきたのか、ひょんなことで正体がバレたMOMO。
当然周囲は騒然とし、暴動一歩手前になりかけたところで彼が現れ、サプライズイベントと称しあっという間に場を整えた。
周囲の店のスタッフも、騒ぎになったら困るところへ宣伝になると言われれば、協力的になろうというもの。
歌というのも理にかなっている。
突然のことなのだ。トーク内容などあるはずもない。
ノリノリで唄うMOMOは――まぁ半ばカラオケ気分なのかもしれないが。
春希がその場に居合わせたのは偶然だった。
しかしファン交流の一環として強引にマイクを握らされたのは、偶然ではないだろう。
――田倉真央。
かつて彼は春希を前にして、その名前を呟いた。
恐らく春希と田倉真央の関係を知っているのだろう。でなければ、色々と説明がつかない。
彼と田倉真央の関係は分からない。だけどきっと、春希の知らない何かを知っているのだろう。
正直なところ、気にならないと言えばウソになる。
それよりもこの彼にしてやられているという、この状況が気に入らなかった。
どうせ大方ここで春希を目立たせ、芸能界に引っ張り込む足がかりにでもする腹づもりなのだろう。
芸能界に於いて
『『――天使の誘惑~♪』』
敢えて下手を演じ、無様な姿を晒すことも考えた。
しかしここまで盛り上がっている場を白けさせるのも、MOMOに悪い。彼女は無関係だ。やられっぱなしというの癇に障る。それにもしみっともない姿を見せようものなら、隼人に後で何と言われるだろうか? 沙紀に何と思われるだろうか?
だから春希は、全力でMOMOが目立つように立ち回ることにした。
MOMOの歌声が際立つようキーを落とし、ハモらせる。
振り付けや立ち位置もMOMOが常に目立つよう立ち回る。
脇役、黒子、縁の下の力持ち。
個性を殺し、それを徹底的に
『『――時の旅人~♪』』
やがて歌が終わる。
そしてワァッと湧き起こる大歓声。
賞賛は全てMOMOへと向けられていた。
チラリと彼の方へ視線を向ければ、目を大きく見開いている。目論見が外れたのだろう、春希はしてやったりとほくそ笑む。
春希はこの結果に満足気な笑みを浮かべ、そしてMOMOに向かってぺこりと頭を下げ、そして緊張した声を作り礼を述べた。
「あ、ありがとうございました! その、MOMOさんと唄えてうれしかったです!」
周囲からは「いいなー!」「次は私が!」といった羨ましそうな声が聞こえてくる。
後はこの場を去ればいい。
上気させた顔を上げ、くるりと身を翻した時のことだった。
「待って!」
「え?」
「キミ、すごくない!? チョーやりやすかったんだけど!?」
どういうわけか興奮気味のMOMOが手を掴む。
そしてジロジロと顔を眺めまわす。
「よく見たらキミすっごく可愛くね? もっと前に出ても……てか今度一緒に仕事してみない!? いいよね、桜島さん!」
「ちょっ、え、アレ、アレ……!?」
そう言ってMOMOが舞台袖に控えていた件の彼へと視線を投げかければ、彼――桜島もニコリと満面の笑みを浮かべ両手で頭上に丸を描く。
すると周囲がにわかに騒めき出し、「え、どういうこと!?」「スカウト!?」「あの子傾向違くね?」「一周回ってあり?」といった声がささやかれる。
背筋にヒヤリと嫌な汗が流れた。
まるで外堀から埋められていくかのような感覚。
どうにかしなければ。
だが思考が上手く働いてくれない。
そしてふいにチラリと脳裏に過ぎる
手が震えそうになるのを自覚する。
「何言ってるんですか、ももっち先輩!」
するとその時、大きな声が舞台に向かって振り下ろされ、騒めく空気を切り裂いた。
必然周囲の注目も声の主に集まる。
声の主の少女は威風堂々と言った様子で一歩踏み出し、芝居がかった様子で勢いよく身に着けていた帽子と眼鏡を取り外せば、ワァッと一際大きな歓声があがった。
「あ! やほーあいりん」
「やほー、じゃなくて!」
現れたのは佐藤愛梨。
MOMOに匹敵する人気モデル。
周囲の注目も彼女へと移っていく。
「まったく、ももっち先輩はいつも思い付きで何かやらかすから! ほら、この子だってびっくりして固まっちゃってるし!」
「えー? よくない?」
「えー、じゃなくて、よくないです!」
「じゃあよくなくなくない?」
「よくなくなくなぶっ!」
「あ、あいりん噛んだ」
「もぉ~~~~っ!」
2人のコントじみたやり取りに笑いが起こる。
どうやら先ほどのMOMOの誘いも、そういう演出だったという流れになっていく。
「春希っ」
「っ!」
その時、小さくも鋭く名前を呼ぶ声を耳が捉え、我に返った。
声の出どころ、愛梨が現れた近くには隼人たち全員の姿。こっちに戻って来いとばかりに小さく手招きしている。
春希は慌てて
「あ、ありがとうございました」
「ご協力ありがとうございました~」
「今度また一緒にやろうねー」
「だからもう、ももっち先輩!」
「あいりんのいぢわる」
「いぢわる、じゃなくて!」
笑いの起こる中、舞台を後にする。
去り際に愛梨が片目を瞑り、まるでゴメンねと言っているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます