172.沙紀と姫子とクラスメイト


 キーンコーンとチャイムが鳴り、昼休みを告げた。

 高校受験を控えどこかピリピリとしている教室も、この時ばかりはと緊張の糸が緩んでいく。


「んぅ、ふぅ~」


 にわかに活気付きだす教室の中、沙紀はゆっくりと伸びをしながら息を吐いた。

 騒めき出す周囲では、早速とばかりに弁当を掻き込む人たち、お昼どうしようかと集まる人たち、そして早々に教室を飛び出し散乱としたままの机が目に取れる。都会の中学校は、授業からお昼休みに切り替わるのも早い。

 沙紀はそれらの様子をのんびりと眺めながら教材を片付け、さてお昼はどうしよう、姫子は――とそこまで思案を巡らせたところで、ふと目の前に影が落とされた。


「よっ、村尾」

「え? あ、はい……?」


 顔を上げれば、クラスでも中心にいる男子の姿。にこやかに手を上げながら、ぐいっと顔を近付けてくる。

 びっくりした沙紀は、思わず仰け反り気味にピンと背筋を伸ばす。

 短く刈り上げた爽やかな髪が印象的で色々とオシャレにも気を配っている垢抜けた感じの彼は、月野瀬ではまずお目に掛かれなかったタイプで、まだあどけなさを多分に残しているものの、なかなかのイケメンだ。

 事実、小耳に挟むクラスの女子からの人気も高いのだが、生憎と沙紀は彼と今まで話したことがない。名前も咄嗟に出てこない。

 だからどうして声を掛けられたかわからず、妙に緊張して顔も強張ってしまう。


「秋祭りさ、一緒に行かない?」

「え、えーと……?」

「あ、もちろんオレだけじゃなくてさ、他にも一緒に行きたいってやつらもいるから」


 そう言って彼が後ろに視線を向ければ、一塊のグループになった男子たちの姿。

 沙紀が困惑しながらも愛想を笑いを浮かべれば、彼らのうち何人かが追加でひらりと手を振りながらやってくる。


「ほら、親交を深めるためにも一緒にどうかなって」

「これから受験で忙しくなるし、思い出作ろうよ。霧島さんも誘ってさ」

「せっかく同じクラスになったんだし、うちらもっと村尾さんのこと知りたいんだよね」

「くぅ、今から楽しみになってきた!」

「あ、あのそのぉ~……」


 そして沙紀のことを置いてけぼりとばかりに話が盛り上がっていく。

 状況に理解が追い付かない。頭が真っ白になる。

 今まで同世代の男子に囲まれるということがなかったから、なおさら。


(ひ、ひめちゃ~んっ!)


 助けを求めるように親友姫子の姿を探すも、スマホに夢中になっている。


「ざ~んねん、沙紀ちゃんには先約があるんだよね~?」

「鳥飼さん!」

「と、鳥飼っ?」「え~、マジかよ~」「オレらとも一緒じゃダメ?」


 その時すいっと穂乃香が沙紀と彼らの間に割って入ってきた。

 沙紀に向かってぱちりと片目を瞑り、そしてぎゅっと守るかのよう腕を胸に取る。

 男子たちから抗議の声が上がるも、どこ吹く風と聞き流す。

 そして彼女を筆頭に、他にも次々と女子が集まってくる。


「今からうちらでその話をすんの、はい男子たちはどっか行った」

「てわけで沙紀ちゃんは貰ってくね~」

「ほらほら霧島ちゃんも……って、おーい! 霧島ちゃーん!」

「うん? 呼んだ?」


 皆、姫子を通じて仲良くなった子たちだ。

 どうやら助け舟を出してくれたらしい。


「ま、そういうことだから。行こ、沙紀ちゃん」

「あ、はいっ」


 穂乃香は呆気に文句を言っている男子たちにひらりと手を振りながら、沙紀の手を引き教室を後にした。




◇◇◇




 連れられてやってきたのは、購買部も併設されている食堂。

 昼休み開始直後の1番のピークは過ぎているものの、それでも様々な生徒たちでごった返している。

 そして1人暮らしの沙紀のお昼はもっぱら食堂だった。

 今日は何にしようかと迷いながら、結局いつものきつねうどんに落ち着く。値段も250円と安く、好物のお揚げも大きい。沙紀のお気に入りだ。

 それぞれのお昼を用意して皆で席の一画を囲む。


「さっきの男子のアレ、あからさまな村尾ちゃん狙いだったよねー」

「ナンパみたいなもんだよ、ナンパ」

「村尾さんって今、男子の間で結構噂になってるから」

「イヤだったらちゃんと断らないとだよー?」

「あ、あはは……私の髪、ちょっと珍しい色していますから」


 そう言って沙紀はひょいと左手でおさげを掴み、眉を寄せる。

 都会の中学校では、姫子のように脱色したり染めたりしている人はいる。

 それでも生来から色素の薄い肌と髪の沙紀は、月野瀬でもそうだったように、都会ではより一層周囲から浮いてよく目立つ。転校生という、それまでの日常にいきなり飛び込んできた異物だから、なおさら。

 自覚もある。物珍しさも手伝っているのだろう。


「ところで実際のところはどうなの?」

「秋祭り。約束とかしてるの?」

「やっぱ霧島ちゃんのお兄さんとも一緒に?」

「えぇっとそれは姫ちゃんと……って、姫ちゃんさっきから何してるの?」

「ん~? これなんだけどさー」


 秋祭りについては、今朝約束を交わしたばかり。

 そのもう1人の当事者である姫子はといえば、コンビニで調達した新発売のミックスフルーツサンドを片手に、教室からずっとスマホと睨めっこ。

 さすがに話の水を向けられれば、スマホの画面を眉を寄せつつ見せてきた。

 映し出されているの様々な種類の浴衣。

 色とりどりで華やかで、思わず大きく目を見開いた。

 そんな中、男性用の浴衣があることにも気付く。

 穂乃香たちも疑問に想い、声を上げる。


「あれ? 霧島ちゃん、男性用のも見てるの?」

「うん、おにぃのもあらかじめ見ておこうかなぁって」

「あはは、相変わらず兄妹仲良いのねぇ」

「うぇ~、そんなんじゃなくて、単に変な恰好で隣を歩かれたくないだけだし」

「ていうか姫子ちゃん、沙紀ちゃんやお兄さんと一緒に秋祭り行くんだ?」

「うん、あとはるちゃんもね。あ、穂乃香ちゃんたちも一緒にくる?」


 姫子の言葉で神妙な空気になる。

 穂乃香たちは顔を互いに見合わせ、そして沙紀の顔を見て曖昧に笑う。


「わ、私たちはいいかなぁ、お邪魔虫になりそうだし……ね?」

「あ、二階堂先輩も行くんだ……」

「そういや霧島ちゃんの小さい頃からの知り合いだっけ」

「これは強敵だなぁ」

「横に並ぶとなるとねぇ」

「うんうん……」

「ゆ、有名なんですね、春希さん」


 去年卒業した二階堂春希の名は、姫子たちの学年でも有名らしい。

 穂乃香たちも少々声をかけづらそうな反応をしている。


 ふと、春希の姿を思い浮かべた。

 沙紀の目から見ても、ついため息が零れてしまうほどの清楚可憐な女の子。きっと浴衣もものすごく似合うに違いない。


 翻って、自分はどうだろうか?

 当日春希の隣で歩く姿を想像すると、途端に胸に弱気が過ぎる。

 その時、姫子が不思議そうな声を上げた。


「うん? はるちゃんと一緒で気後れとかする?」

「え、だってひめちゃんほら、浴衣だし、春希さんいかにも大和撫子~って感じだし」


 沙紀がそんな理由を上げれば、穂乃香たちもうんうんと同意するかのように頷く。

 しかし姫子は眉を寄せつつ首を傾げるのみ。

 そしてう~ん、とあごに指を当てながら言う。


「それって比べたりするようなものなのかな?」

「姫ちゃん?」

「だってはるちゃんははるちゃんなだけだし、あたしや沙紀ちゃんと比べるのって、たい焼きでいえば餡子とカスタード、チョコとかと比べるみたいなもんでしょ? 意味無いよ」

「……ぁ」

「ほらほら例えばさ、沙紀ちゃんにはこういう原色系で鮮やかな柄とか色とか良さそうじゃない?」

「え、ええっと……?」

「いっそこういう甘々系ロリータとかもありかなぁ? となると髪型も……」

「ちょ、ちょっとこれは派手過ぎるかなぁ?」

「それからほら、このページ見て! シティに行った時さ、このクロワッサンたい焼き食べてみたいんだよね! 皮がサクッとしていて、あっさりだって!」


 そしてたい焼きについて力説し出す姫子。

 沙紀は目をぱちくりさせながらも、ストンと胸に落ちるものがあった。


 春希と沙紀は、別人だ。

 見た目のベクトルや属性も違う。比べるものじゃない。

 同じ土俵に立たなくてもいい。

 そもそも生まれた年も、髪の色も違うのだから。


「うん、でもそうだね……私も今回ちょっとばかり冒険してみるのもいいかなぁ」


 今までと違った景色を見るために、少しの勇気を振り絞って一歩を踏み出す。

 そんな些細なことが、世界が変わる切っ掛けになることを知ったのだから。


「じゃ、週末シティに行った時、このダブル生クリームカスタードと抹茶クリーム餡、半分こしようよ!」

「姫ちゃん、その話まだ続けるの!?」


 そして花より団子の姫子。

 ツッコミを入れる沙紀を、穂乃香たちは温かく見守りつつもひそひそと円陣を組み黄色い声援を上げるのだった。

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