173.あやふやな夜の下、それでも彼女は移ろいゆく
晩夏、あるいは初秋ともなれば、陽が暮れるのも随分と早くなった。
道行く人も太陽に急かされるようにして家へと吸い込まれていく。
夏休み前よりも早くなった霧島家での夕食後。
食器の洗い物をする隼人をよそに春希、姫子、沙紀の3人は、リビングでノートパソコンを囲みながら浴衣をどうするかの話題で盛り上がっていた。
「え!? 沙紀ちゃんこういう派手なのにするの!?」
「姫ちゃんだけじゃなく、クラスメイトの子たちからもおススメされて……」
「ほらさ、沙紀ちゃんって案外こういうのも似合うと思うんだよねー」
春希は素っ頓狂な声を上げ、目をぱちくりとさせた。
沙紀がモニターに指差したのは、原色で派手な柄の、花魁か!? とツッコんでしまうようなものもある浴衣たち。帯だって大きく華美で、中には丈がミニスカートのようになっているものもある。ブランドを確認してみれば、春希でも名前を知っているギャル系のところ。
確かにこういう格好も似合うかもしれない。
だけれども、正直なところ驚きを隠せなかった。
沙紀はどちらかといえば大人しく、活発な性格ではない。
こういうものを好むタイプからは遠いところにいるだろう。
現に本人も「クラスの子たちは、面白半分興味本位でだと思うけど」とはにかんでいる。
「けどせっかくの機会だし、こういう冒険をしてみるのもありかなぁって。違う自分になれそうだし、ね」
「それそれ! あたしも沙紀ちゃんを見倣って、今までと違う方向性で攻めてみようかなーっ!」
「……そっか」
沙紀はにっこりと、しかし確かな意志が込められた声色で思いを告げた。
ドキリと春希の胸が跳ねる。
周囲に流され合わせるだけの自分と違い、自らにしっかりとした芯を持っている――それが沙紀という少女なのだ。
「あ、そうだ。姫子に沙紀さん、秋祭りだけど俺の友達というかカップル1組、来たいって言ってるんだけどいいか?」
丁度そこへ洗い物を終えた隼人が、手を拭きながらやってきた。
エプロンのやけにかわいい狐のワッペンが揺れる。沙紀からの誕生日プレゼントだ。
「カップル……あ、もしかして恵麻さんとその彼氏さん!?」
「そうそう、また2人きりだと緊張しちゃうからだってさ」
「きゃーっ! あたしは全然いいよーっ!」
「姫ちゃん、知ってる人なの?」
「こないだプールに行ったって言ったじゃん? その時一緒に行った幼馴染同士のカップルでね――」
「え、ちょっとその話、詳しく!」
そして
沙紀は興味津々といった様子で質問を投げかけている。その手の話は姫子同様、嫌いじゃないのだろう。……春希と違って。
他人の恋バナに花を咲かす女子2人を見て苦笑を零す隼人と目が合う。
「隼人、そのエプロンも馴染んできたね」
「ちょっとばかし俺にはファンシーだけどな」
春希がエプロンへと話題を振れば、耳聡く気付いた姫子がツッコミを入れる。
「あ! でもおにぃってば、こないだ油はねさせて汚してたんだよ? せっかくのプレゼントだっていうのにねー?」
「しょうがないだろ、エプロンなんだからさ」
「あはは、でも私としてはちゃんと使って貰えてうれしいです」
「あーその、ちゃんと染み抜きもしたし、大事に使うから」
「それだけお兄さんに可愛がられてれば、その子も喜ぶと思います。ね、コン助?」
「名前あったんだ?」
「ふふっ、今決めました」
そう言って沙紀は茶目っ気たっぷりの笑みを見せる。
今まであまりなかったその顔は、隼人を「お、おぅ」と動揺させるのに十分なものだ。
沙紀は最近、少しばかりおしゃべりにもなった。
変わろうとしているのだ。
ちょっとずつ、だけど確実に。先ほどの浴衣のように。
春希はそんな沙紀を見て、困ったような笑みを零すのだった。
◇◇◇
月もなく星の数も少ない都会の夜空は、まるで零した墨のように暗く広がっている。
それでも地上で数多く瞬く灯かりのおかげで月野瀬と違い足元も明るく、空との境界はあやふやだ。
霧島家を後にした春希と沙紀は帰路に着いていた。
「……」
「……」
2人の間に会話はない。
カツカツと足音だけが響く。
別に気まずいからということではなく、どちらかといえば先ほど霧島家で粗方話し終えたといった方が適切だろう。
春希はちらりと隣へ視線を移した。
村尾沙紀。
自らの意志で都会へと飛び込んできた女の子。
誰の為か、だなんて分かり切っている。
その横顔を街灯が照らす。胸がざわつく。
その時、びゅうっと色なき風が吹いた。
「わっ!」
「きゃっ!」
咄嗟にはらりと攫われた長い髪を押さえた。
さすがにこの時期の夜ともなれば肌寒く、ぶるりと身を震わせる。
それは沙紀も同じだったようで、視線が合えば困ったような笑みを零す。
やけに大人びていて、そして凛と一筋の芯の通った美しさのある、綺麗な顔だった。
そんな彼女を見ていると、ふわふわと急に足元が覚束なくなってしまう。
「あの――」
「あ! 春希さん、これ見てください!」
「――わぁ!」
春希が咄嗟に何かを言おうとした瞬間、沙紀がスマホをこちらへと向けてきた。
そこに映るのは村尾家で飼い始めた子猫ことつくしの姿。
ばんざいとへそを天に向けながら仰向けで寝転がっており、「ぼく元野良、野生はもう忘れました」という文字が一緒に躍っている。
他にも画面をスワイプさせれば、心太と一緒に縁側で昼寝をしていたり、猫じゃらしのオモチャで飛び跳ねていたり、ご飯のお皿の前で催促するように見上げていたりと、色んな表情を見せていた。
春希と沙紀の目尻がみるみる下がっていく。
「お父さんがほんともうデレデレみたいで……心太も毎日のように顔を出してるって」
「ふふっ、つくしちゃんもうすっかり家族の一員って感じだね」
「つくしったらすごい甘えん坊さんで、夜中いつの間にか布団に入り込んでくるみたい」
「わぁ、いいなぁ」
ふと、寝ている春希に「みゃあ」と甘えた声を上げて布団の中へと潜り込むつくしを想像してみた。
それはきっととても幸せな気持ちになれることだろう。
だけど高校生の春希は昼間は家にいない。
誰もいない家の中、ぽつんと1人ぼっちのつくしがみゃあと寂しげに鳴く姿を思い浮かべれば、やはり村尾家に引き取られて良かったと、痛む胸を押さえる。
1人ぼっちの寂しさを知っているからこそ、その空白を埋めるための道具にはしたくない。
再度つくしの画像を眺めながら、はぁ、と大きなため息を吐いた。
すると、覗き込むようにこちらを見ていた視線に気付く。
「春希さん、今度お泊り会しましょっか。月野瀬の時みたいに」
「え、あ……」
「私、1人暮らし始めて慣れてきたからというか、ちょっぴり寂しくなっちゃって」
そんなことを恥ずかしそうに言う沙紀。
どこか見透かされているようだった。
きっと気を遣われたのだろう。
あぁ、全くもって
だからこそ――
「どうせなら隼人もいるひめちゃん
「わぁ、楽しそう!」
「寝る時は皆で枕を並べたいね」
「ん、姫ちゃんの部屋だと無理かも」
「じゃ、リビングを占拠だ」
「あはは!」
そんな計画を立てながら、春希と沙紀は誰もいない家へと向かう。
からからと上がる笑い声が、ふわふわと都会のあやふやな暗がりへと吸い込まれていった。
※※※※※※※※
これにて5-1章終わりです。
同じ時間に短編ラブコメも投稿しました。
サクッと読めるので、是非読んでみてね。
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