87.勘弁してくれ


 昼休みになった。

 教室はにわかに活気付きだし、それぞれが思い思いに動き出す。

 いつもなら隼人も秘密基地に向かうところなのだが、今日はどうするのか判断しあぐねていた。原因は春希だ。


 今日の春希は常にどこか思案顔で、時折憂いの含んだため息を零していた。

 その春希であるが、ここのところクラスの女子達には以前より格段に親近感を持たれるようになっている。

 もはや教室内に限っては、かつての高嶺の花とは思われておらず、「どうしたの、二階堂さん?」「何かあったのなら相談にのるよ?」と心配半分、好奇心半分の声が掛けられている。その中心となるのは、森の幼馴染兼彼女の伊佐美恵麻であった。


『大丈夫です、なんでもありませんから』


 それらに対する春希の返事はすべて、困った顔での誤魔化し笑いであった。

 端から見ればそれはどう見ても悩める乙女の姿そのもなのだがしかし、その横顔を眺める隼人は妙な胸騒ぎしかしない。


 改めて春希を見やる。

 今も長い髪の毛先を無意識にくるくると弄りながら、熱いため息を零している。

 そして時折ちらりと隼人の方に視線を向けており、視線が合えば困った笑いを作った。それに気付いた目ざとい女子の何人かは、教室の隅で円陣を組んだりもしている。


(どうしたものかな……)


 はぁ、と隼人もため息を吐きながらまごついていると、そこへ森がへらりとした笑顔でやってきた。


「よぉ霧島、珍しいな。今日はお昼どうするか決めていないのか?」

「森……そうだな、今日は弁当じゃないしどうしようか迷ってる。購買は出遅れたし、学食も今は混んでそうだし」


 それは暗に、今日は昼食の調達があるから遅れると春希に向けた言葉でもあった。その際にチラリと春希の方に向けた視線に鋭く気付いた森は、愉快そうに目を細める。


「それはそうと、今朝はずいぶん二階堂と仲良く一緒に歩いてたんだって?」

「っ!? あーいや、それは、だな……」


 隼人は一瞬にして視線が集まるのを感じた。

 今朝の件は一部ではあるが、噂になっている。そしてこの春希の態度だ。気にならないはずが無い。

 必死になって頭を働かせる。何かしら皆が納得するものを言わなければ、森でなくとも誰かの追求が続くことは想像に難くないだろう。


 眉を寄せる春希と視線が絡まり、隼人はガリガリと頭を掻いてため息を零す。


「実は、だな……」

「……実は?」

「い、田舎で飼われてる犬の餌がカモシカに取られない為の裏技を教えてたんだ」

「え、犬? カモシカに餌……取られる……?」

「ぶふっ! けほっ、けほけほけほ……くっ……うくくくく……っ」


 隼人の言い訳に、春希は思わず吹き出し机に突っ伏した。肩を震わせ必死になって笑いを堪えている。どうやら妙なツボに入ってしまったようだ。

 周囲は一瞬にしてあ然とした空気が流れる。だが春希の姿を見るにつれ、徐々に納得したものへと染まっていく。


「そ、そうなのか、大変だな」

「あぁ、国の天然記念物で駆除することも出来ないしな。それに妙に人懐っこくて賢いやつで、畑は荒らさず飼い犬の餌をよく狙うんだ」


 そして隼人の話は別の意味で皆の興味を引いた。面白おかしく月野瀬でも笑い話になっているエピソードを話せば、彼らの興味もそちらの方へ注がれる。そして春希も、依然と笑いを堪えていた。


(……なんとか誤魔化せたか?)


 隼人が内心ホッとしていると、最近この教室でも見慣れつつある顔がやって来ていた。


「随分と面白そうな話をしているね、隼人くん」

「一輝……別に、ただの田舎だとよくある話なだけさ」

「だからこそ面白いんだけどね」

「……むっ!」


 一輝はにこにこと人懐っこそうな笑顔を浮かべ、さもそこへ行くのが当然だと言わんばかりに隼人のすぐそばに陣取った。

 するとそれまで机に突っ伏していた春希はがばっと身を起こし、不満気な表情を浮かべた。

 これまでちょくちょくと一輝は隼人のもとを訪ねていたので、これ自体はよくある光景なのだが、どうしたわけか今日の一輝はやたらと隼人との距離が近く感じてしまう。


 何人かは2人の間のちょっとした違いを感じ取ったようで、森が彼らを代表して切り込んでいく。


「隼人くんに一輝、ね……いつの間にそんなに仲良くなったんだ、お前ら?」

「ははっ、ちょっとね。一緒に遊んで、僕のピンチを颯爽と救ってくれてそれで?」

「なんだそれ? ちょっと想像できないな……」

「なかなかにカッコ良かったよ」

「……別に、俺は何もしてねぇし、そうでもねぇよ」


 隼人はしかめっ面で答えるものの、一輝はにこにこと機嫌が良さそうだった。随分と心を許している様が分かる。もし一輝が犬なら緩く尻尾を振っている事だろう。隼人に懐いているのがよくわかる。

 概ね周りからも好意的に捉えられる場面であり、女子の一部ではキャーと腐――芳醇な香りを放つ声も上がっている。だがそれを良しとしない者も居た。


「海童、少しばかり仲良くなったからといって急に距離を詰めすぎると、隼人くん・・・・が困ってしまいますよ? ね?」

「えっ、……あぁ、二階堂、さん……?」


 春希はにこにこと貼り付けたような笑顔を浮かべたまま、隼人と一輝の間に身を滑らせる。流れるような動作だった。

 そして春希と一輝の視線がぶつかり合う。

 どこか威嚇するようなにこにこ笑顔の春希と、この状況が愉快でたまらないにこにこ笑顔の一輝。1年を代表する有名人が繰り出す剣呑とした空気に、周囲は飲み込まれていく。


「そんなに近いかな? 僕はもっと隼人くんと仲良くなりたいんだよね」

「節度があると思います。ほら、隼人くんもびっくりしていますよ。ね?」

「ははっ、二階堂さんも仲良くなりたいなら、もっと素直に――」

「海童ーっ!」

「――あ痛っ!」


 そんな中、春希がふくれっ面になったかと思えば一輝の脛を思いっきり蹴飛ばした。まるで癇癪を起こした子供そのものだ。だというのに一輝はより一層口元を緩めませていく。

 春希はそんな一輝が気に入らないのか、ぷいっとばかりに唇を尖らせそっぽ向く。そんな春希と目があえば、隼人は痛む額に手を当てた。呆れた想いがため息となって口から飛び出す。


「一輝、お前やっぱバカだろ……それに二階ど――」

「春希」

「二階……」

「はーるーきー!」

「はるき、さん……」

「ん、よろしい」


 そうやって春希が駄々をこねるかのような態度を取れば、この一連のあまりに情報量の多いやり取りに、森をはじめ周囲は置いてけぼりになって呆然とするしかない。

 もはやどう収拾つければいいのかと隼人が頭を悩ませていると、この教室では珍しい、必死な様相の顔が飛び込んできた。


「に、二階堂さんっ!」

「三岳さん……?」


 突然の乱入者に皆の視線が一気にそちらに傾くのだが、三岳みなもはそれに気付いていないのか、気付く余裕がないのか、いっぱいいっぱいな様子で春希の所に駆け寄っていく。

 小柄な三岳みなもは両手を胸元でむんずと拳を握りしめ、くりくりとした髪を躍らせている。その一生懸命な姿はどこか庇護欲を誘い微笑ましく思う。


「あ、あのそのっ!」

「は、はい、なんでしょう?」

「も、もうすぐ期末試験が近いですよねっ」

「そうですね、もう来週からかな?」

「それでええっと……うぅぅ……」

「三岳さん……?」


 そこで大きく深呼吸した三岳みなもは、よし、と自分を鼓舞して春希に向きなおる。


「い、一緒に試験勉強をしませんか!」

「試験勉強?」

「ダメ、ですか……?」

「そんなことないです。是非一緒にやりましょう」

「わぁ!」


 春希が快諾すれば、三岳みなもは満面の笑みを咲かせた。

 先ほどまでの剣呑とした空気もあって、周囲もまるで初めてのお使いを成功させた幼子を見守るかのような穏やかなものに変わり微笑む。辺りも一瞬にしてほんわかとした空気になる。


「それと、そのぅ……」

「……はい?」


 しかしまだ何かあるのか、三岳みなもは歯切れが悪そうに、そして顔をより赤くさせてもじもじしだす。

 そんな彼女に毒気の抜かれた春希はにっこりと微笑み先を促すが、返ってきたのは予想外の言葉だった。


「う、うちに置いて行った服と、そのっ、下着っ、ちょっとえっちなっ……あぅぅ、その、どうしたら……」

「み゛ゃーっ?!」

「が、学校に持ってくるのはちょっとその刺激が――んぐっ?!」

「み、三岳さん! ちょおーっと向こうの方に行こう! ね! ねっ!?」


 春希は慌てて彼女の口を塞いで強引に教室の外へと飛び出した。

 そして一瞬の静寂の後、クラスの男子は雄たけびを上げながら騒ぎ出す。

 隼人は天を仰ぎ、腹を抱えた一輝はそっと隼人の肩を叩く。


「君たちといると、本当退屈しないよ」

「……勘弁してくれ」


 呆れたため息を零す隼人はしかし、その口元は笑っているのであった。

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