86.外堀は埋めなきゃ
朝食後、手早く準備を済ませた隼人は春希と姫子を連れ立ってマンションを出た。
雲一つない東の空では、夏の太陽が朝から目一杯の自己主張をしており、一気に汗を噴き出させる。
そして湿度をたっぷり含んだ熱気に纏わりつかれれば、気持ちも足取りも重くなってしまう。
「そうそうボクさ、おかげさまでダイエットに成功したんだよね。なんとピーク時から-5kg!」
「え、うそ、はるちゃんズルい! 同じもの食べてるのにぐぬぬ……あたしまだ-3kgだよ……あ、おにぃは?」
「知らねぇよ、というか俺は元からしてないから測ってすらいねぇよ」
しかしそんなことは関係ないとばかりに春希の、そして姫子のテンションは夏の暑さに負けじと高かった。
どうやらダイエットに成功しているらしく、それも手伝っているのかもしれない。
姫子はその結果に少しばかり不満があるものの、春希も姫子も元の体重と比べると±1kgの範囲の様で、隼人としては以前とどこがどう違うのか見た目では全然わかりはしない。返事もおざなりになってしまう。だが口元は確かに緩んでいた。
(そういえば、3人で登校するのって初めてか)
隣でダイエット中の苦労を振り返りながら騒ぐ妹と幼馴染を見て、そんなことを思う。
こうして3人で歩くことは珍しいことではないが、朝の早くから制服に身を包み他愛のない話をしていると、少しだけ特別な感じがした。
「でね、せっかくダイエットも終わったんだからさ、何か甘いものをがっつり食べたいよね。もちろんリバウンドが怖いから、その辺は気を付けるとしてさ」
「あたしバスチー食べたい! バスクチーズケーキ! おにぃ、糖分控えめで作ってよ」
「って、作るの俺かよ」
「そりゃ、隼人だからね」
「おにぃだもんね」
「「ねー」」
「はぁ……」
何にしても春希の機嫌がいいのは良い事だった。その秘密を知ってしまったからなおさらそう思い、隼人の目尻も自然と下がる。
だが同時に困ったこともあった。ダイエットの成功を浮かれているのか、テンションが高過ぎるのだ。
「あ、あたしこっちだ。それじゃ!」
「おぅ、居眠りするなよ」
「ひめちゃん、また後でねーっ!」
それは姫子と大通りで別れてからも持続しており、その後も
「ねね、隼人ん家ちってケーキ作る道具とかあったっけ? 材料とかスーパーで揃う? 専門の所に買いに行ったほうがいいかな?」
「春希、それはいいんだが、ええっと、その、な……?」
隼人は嬉々として話しかけてくる春希の話の腰を強引に折って、周りを見てみろと視線で促す。
学校も随分と近付いてきた通学路には、隼人や春希と同じ制服姿がチラホラと見られる。
そして彼らからは一様に、ツチノコか何か珍しい、もしくはありえないものを目撃したかのような、驚く視線が向けられていた。
「あー……」
春希は今そのことに気付いたとばかりに、眉を寄せて隼人の顔を伺う。
二階堂春希は人気者だ。
一緒に居るとついつい忘れがちになってしまうが、清楚可憐、文武両道、温厚でお淑やかな性格で誰にでも平等に接するがしかし、どこか一歩離れたところで楚々と嫋やかに微笑んでいる高嶺の花。それが春希の演じる虚構の偶像、擬態である。
そんな彼女が1人の男子隼人に誰も見たことのない笑顔を向けて積極的に話しかけているのだ。
しかも今朝の隼人は、先日妹姫子に弄られて整えられた姿ではない。寝癖もぴょんと跳ねている。
周囲の興味を引かないはずがない。現に噂を囁き合っている人もいた。
この種の好奇の視線に慣れていない隼人は、勘弁してくれとばかりにため息を吐く。
だけど色々と変わろうとしている春希を咎めるつもりもない。
「ほら、いきなり距離を詰めすぎると色々と困ることもあるだろ? な、
「……そう、だね」
春希はしゅんと残念そうに呟いて俯き、そして一歩距離を取る。
隼人はそんな春希の様子にチクりと胸が痛んでしまうが、こればかりはどうしようもない。
ガリガリと頭を掻いた手をそのまま「じゃあな」とばかりにひらりと振って、足早にその場を後にした。
隼人の後ろ姿を見送った春希は小さく呟く。
「まずは外堀から埋めていかなきゃだよね」
その顔は悪だくみをするかのように、しかし挑発的な笑みを浮かべていた。
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