第3章「――まったく、昔からノリが変わらないんだから!」
3-1
85.朝駆け!
初めて春希と出会った時のことは、今でも時々夢に見ることがあった。
肌を焦げ付かせるほどに照り付ける太陽、喧しいほどの蝉時雨に地面から立ち上る陽炎。
そこかしこに咲き誇り風に揺らめく向日葵が、鬱陶しいほどに夏を唄う。
暑い日だったのを覚えている。
『っるさい、だまれ、あっちいけ』
記憶の奥底にある、一番古い春希の言葉。
どこか諦めを悟ったかのような暗い顔、他人を拒絶する濁った瞳、何もかも信じられないと全身で不満を表しているくせに自分を見てくれとばかりに外で膝を抱えこむ。
それがとても気に入らなかった。
だから強引に
喧嘩もしたと思う。色々なことを言われたかもしれない。
けれど山に入れば競って野イチゴを狩り、川に行っては捕まえたサワガニの大きさを比べ、廃材置き場で互いに作った自慢の剣を披露しては打ち付け合う。
だからいつだって春希との記憶は笑顔が多い。
隼人はそんな楽しそうに遊ぶ幼い自分たちを、どこか俯瞰的に眺めていた。
(でも、春希は……)
隼人はこれが夢だというはっきりとした自覚があった。
幼い子供が2人、牧歌的に遊びはしゃぐ姿は微笑ましい光景だ。そのはずだ。
『ボクね、田倉真央の私生児なんだ』
ふと、春希に告げられた言葉を思い出す。
心臓が激しく脈打ち出すのがわかる。
目の前には無邪気に笑う
それがかつて時折覗かせた陰のある顔と交差する。
(あぁ、くそっ!)
きっと春希はこの頃から自分の境遇を正しく理解していたのだろう。
そのことを何も知らず、ただただ暢気に走り回る自分がひどくバカみたいに思える。
けど。だけれども。
『ボクはそんなね、隼人の一番で特別な友達になりたい』
その秘密は決して、同情して欲しくて告げたものではない。
あの日、隼人に宣言した時の春希の顔が脳裏をかすめる。暗さも翳りもない、澄み切った意志の強い綺麗な瞳。
それを思い返すとまたも隼人の心臓は騒めきはじめ、とっさにその名前を叫ばずにはいられなかった。
「――春希っ!」
「み゛ゃっ!?」
「……………………へ?」
飛び起きた隼人は耳に返ってきた声に、困惑から間抜けな声を漏らす。
覚醒しきらぬ目に飛び込んでくるのは、どうしたわけか隼人の制服を抱えた春希の姿。
まったくもって意味がわからなかった。
春希はいつも通り折り目正しく楚々と制服を着こなしているが、その顔は悪戯がバレた悪ガキ様に固まり、目をあちこちに泳がせている。
隼人の目は先ほどまで見ていた夢の事もあって、どんどんとジト目へと変わっていく。口から転び出た声はどこか拗ねている色を滲ませており、低くなる。
「……何やってんだ?」
「ま、まだ何もヤッテナイヨ?」
「俺の制服に?」
「い、いやぁ、柔軟剤が良い香りで綺麗な洗剤だね!?」
「春希……?」
「あーっ! ボクひめちゃんも起こしに行ってくるね!」
「あ、おいっ!」
そう言って春希は隼人に制服を押し付けたかと思えば、ドタバタとあわただしく部屋を飛び出していく。
(ったく、春希は……そういやカギ、渡していたんだっけか)
その
なんだかそれが不思議だった。
『ぎゃーっ! ど、どどど、どうしてはるちゃんがここにいるのーっ?!』
『わははははははーっ!!』
隣の部屋からは姦しい春希と姫子の騒ぎ声が聞こえてくる。
押し付けられた制服のシャツには、春希が強く握ってしまったのか少しだけくしゃりとした皺。
そしてほんの少し自分とは違うどこか甘い独特の香りが鼻腔をくすぐれば、ドキリと心臓が跳ねてしまい、今度は制服と同じく隼人の眉間に皺を作るのだった。
◇◇◇
朝から騒がしい姫子をよそに、隼人は朝食の準備に取り掛かる。朝の時間は貴重だ。いつもと同じ時間であるものの、それほど余裕があるというわけではない。
今朝のメインはスクランブルエッグだった。
卵液に角切りにしたクリームチーズと刻んだパクチーなどの余りものの香菜を入れ、塩コショウとミルクで味で整えたものを、弱めの中火でトロトロになるよう木べらで掻き混ぜる。
それに酢、砂糖、みりん、豆板醤、にんにくに水溶き片栗粉を合わせてレンジでチンをしたお手製スイートチリソースを掛ける。食欲のあまりわかない暑い夏の朝にも食の進む一品である。
他にカットサラダにトースト、飲み物をお好みで合わせれば、朝食としては見栄えからしても上等なものだろう。
事実春希は、わずかな時間であっという間にできていく様を、目をぱちくりさせながら眺めていた。
「どうした春希、食べないのか?」
「え、うぅん、いただきまーす」
「おにぃ、牛乳取って、牛乳!」
「はいはい、春希もコーヒーでよかったか?」
「うん、ミルクたっぷりで……ってひめちゃんは牛乳だけなんだ?」
「セーチョーキだもの……まだきっと大きく……せめて平均までとは言わない、はるちゃんくら――って、今日は朝からどうしたの!?」
不意にそのことに今気づいたとばかりに姫子は座った目で春希と、そして隼人をねめつけた。
その顔は少々拗ねた色をしており、そっと目を逸らす春希を見れば、どうやら妙な起こされ方をしたらしい。むずむずしながら首をさすっている。
隼人としても答えづらいものだった。
そもそも隼人にとっても春希の襲来は予想外の事である。さてどうしたものかと隣を見れば、互いの何とも言えない視線が絡まり苦笑い。
確かにいくらなんでも明らかにやり過ぎと言える。
しかしそれでもバツの悪そうな春希の顔を見てみれば、驚かせたかったとか、なんとなくしてみたかったとか、そんな大した理由はないのだろう。春希にとってはじゃれあいの延長に違いない。
それだけ気安く接してくれていると、頼ってさえいてくれているのだと思うと、どうしたって口元は緩んでしまう。
「春希に合いカギ渡したからな。ほら、こっちは月野瀬と違ってカギを開けっぱなしにしていないだろう?」
「あ―、確かに。それでかー。あたしもまだ慣れてなくて締め忘れちゃうことあるし」
「そ、それで納得するんだ……あはは……」
月野瀬は田舎特有のガバガバなセキュリティー意識であり、旅行など長期で家を空ける時くらいしかカギをかける習慣がない。ついでに言えばチャイムは鳴らさず用事があるときは直接玄関を開けてから大声で家主を呼ぶ土地柄だ。
「まぁ、それでも……んぐっ」
残っていたトーストを牛乳で一気に流し込んだ姫子は、ふぅ、と息を吐きながら再びジト目で隼人と春希をみやって肩をすくめる。
「まったく、昔から仲が良いんだから」
「「別にそういうわけじゃっ」」
「……ほら」
「「……」」
呆れたように投げつけられた言葉に、つい気恥ずかしさから声を重ねれば、姫子はやってられないとばかりにこれ見よがしに盛大なため息を吐いて席を立つ。
「はいはい、ごちそうさま」
あとに残されたのは気まずい空気。
そんな中、隼人は咎めるかのように春希を見やれば、バツの悪い顔でチロリとピンク色の舌を見せながらも、どこか機嫌よさそうな声を出す。
「あはは、一度さ、漫画やアニメのように幼馴染を起こしに行くとかベタなことやってみたかったんだよね」
「……今度からは俺だけにしといてくれ」
「ひめちゃんには怒られたくないしね」
「そう、だな」
まるで反省していないかのような台詞と共に屈託なく笑いかけられれば、隼人の心臓は夢とは違った理由で騒めきだす。
隼人は姫子に倣って様々な
「…………ずるぃな」
「ん? 何か言った?」
「いんや、何も」
そして誤魔化し笑いを浮かべるのだった。
※※※※※※
ストックの関係上、ここからは隔日更新になります。
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