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159.祭りの日
祭りの日が訪れた。
都市部や大きな神社と比べれば、人口千数百人しかいないこの地域のささやかな祭りだ。
だけど1000年を超える歴史があり、この地に住まうものにとって退屈な日常を吹き飛ばしてくれるハレの日でもあった。
この日は朝から月野瀬全体がどこかそわそわとした空気を纏っている。
周囲の山々は静かで、しかしむずむずとはやる気持ちを抑えているかのようだ。
住人の気持ちを代弁するかのように空は勢いよく突き抜けた青さで、太陽は燦々と力強く輝き熱気を振り撒いている。
今日はいつもより一際暑くなりそうだった。
「おにぃ、早い!」
「っと、悪ぃ悪ぃ」
太陽が中天に差し掛かる頃。
隼人と姫子は自転車で神社へと向かっていた。
浮かれた気持ちからか自然とペダルを漕ぐ力が強くなり、距離を放された姫子に抗議された隼人は、あははと笑って速度を緩める。
その顔に反省の色はなく、姫子も「もぉ!」と呆れた声を上げた。
ザァッ、と風が吹く。
青々とした稲穂や田畑の農作物を揺らす。
大地に力強く根付いてるそれらには、先日の台風の影響は見受けられない。
空には夏らしい気持ちの良い青が広がっている。
「祭り、楽しみだな」
「……うん、そうだね、おにぃ」
今年の夏の月野瀬には春希がいる。
いつもと少しだけ違う祭りに向けて、隼人の声は弾む。
姫子はそんな兄の背中を見て、少しだけ目を細めた。
◇◇◇
神社の麓にある集会所。そこに併設されている、田舎特有のやたら余った土地の駐車場。
そこは今日の祭りにやってきた住人の車や軽トラ、原付に自転車が所狭しと停められており、隼人と姫子の自転車もそれに倣う。
山の方からは既にざわざわと楽しそうな騒めき声が聞こえてきている。
鳥居をくぐり石階段を登ったところにある拝殿前の広場には、多くの人が集まっていた。
とはいうものの都会に比べれば、学校の全校集会にも及ばないほどの人数だ。
だけど月野瀬ではなかなかお目に掛かれないほどの数だ。
そのことを思うと、隼人と姫子は何とも言えない苦笑いを零す。
するとその時、目敏くこちらに気付いた春希が手を振りながらやってきた。
「おーい、隼人ー、ひめちゃーん!」
そのテンションは高く、髪は1つに束ね、服には少し埃や汚れも見える。
しかし春希本人にそれを気にした様子はない。
「春希、お疲れ様。すまんな、準備に出られなくて」
「あはは、隼人ってば一応、病み上がりだしね。それに祭りの準備も楽しかったよ」
「そっか」
そう言って春希は視線を広場にある山車へと向ける。
年代を感じさせる、しかし小綺麗で丁寧に扱われてきたというのがわかる山車だ。
山車の隣にはカラフルで華やかな稚児衣装に身を包み、化粧も施された心太の姿。
どうやら山車の方での主役は心太のようだ。
緊張した面持ちで、揃いの法被を着た大人たちに囲まれ声を掛けられている。
心太の足元には春希が助けた子猫が、付き人や護衛の様に寄り添っており、「みゃあ!」と鳴き声を上げている。こちらも心太に負けじと人気者だった。
「
「そだね。心太くんにも懐いてるし、沙紀ちゃんのおじさんもメロメロだよ」
「そっか」
「…………うん」
隼人はどこか安心したように目を細めるも、春希の声は少しだけ硬かった。
ちらりと横顔を覗き込めばその表情は複雑で、掛ける適切な言葉が見つけられない。
だけど何か思うことを伝えたくて手を伸ばそうとし――ダム湖で言われた言葉を思い出して、そのままガリガリと自分の頭を掻いて、ため息を吐いた。
すると、今度は難しい顔をしてうーん、と首を捻る姫子の姿が目に入る。
「姫子?」
「おにぃ……心太くんの格好なんだけどさ、何かが引っ掛かって……どこかでみたような……」
「村尾さんが着てたやつとか? なんか昔、見た覚えがある気がする」
「あ、それだ! うん、それ、ってか全く同じじゃ!?」
姫子はパンッ、と手を叩き、心太のところへと駆け寄っていく。
「心太くーん、その衣装もしかして女の子用? うん、いい! すごくいいよ、心太くん! 似合ってるよ、可愛い、写真撮っていいかな? 撮るよ? っていうか、髪型とかもちょっとこだわってみようか!?」
「えっ!?」
そして興奮気味の姫子にスマホのカメラを向けられる。
驚きつつも、姫子にされるがままの心太。
呆気に取られて見ていた住人達も、やがて想像力を働かせて囁き合う。
「あらこれ、烏帽子じゃなくて冠だから女の子用だわ」
「沙紀ちゃんが持ってきてくれたからてっきり」
「まぁまぁ似合ってるからいいじゃないか、ほら、こういうのって確か『付いてる方がお得』っていうんだっけ?」
「ふふっ、そう言われると女の子にしか見えないわね」
「がっはっは、そろそろ祭りも始まるし、このままでもいいじゃないか」
「ね、心太くん、他にも可愛い格好してみない!?」
「ひめねーちゃ!?」
どうやら女児用だったらしいが、特に問題無い流れになっていく。
それだけ今日の心太の稚児姿は良く似合っていて可愛らしい。
心太の周囲には笑顔が溢れ、足元の子猫も賛同するかのように「みゃあ」と鳴いていた。
「……まぁ心太、可愛らしい顔立ちしてるしな」
「大きくなって『実はお前、男だったのか!?』案件になったらどーする?」
「「……」」
呆れたように呟く隼人に、春希が悪戯っぽく顔を覗かせる。
2人は顔を見合わせるほどしばし。
「はるねーちゃ!」
その時、こちらに助けを求める心太と目があった。
しかし春希がにこにこと手を振り返せば、心太は固まり、そして顔をより赤く染めていき目を逸らす。
「「……ぷっ」」
隼人と春希はそんな心太の様子に思わず吹き出し、肩を揺らす。
そしてひとしきり笑った後、春希はふいに隼人の手首を掴む。
「隼人、拝殿の方に行こ? 沙紀ちゃんがいるよ」
「ちょ、おい!」
真っすぐ正面を向いており、その表情は見えない。
隼人は視線を春希の背中から、掴まれた手首に移す。
「……春希?」
「うん?」
「いや、なんでもない」
隼人が呼び掛けるも、振り向く春希の顔はいつも通り。
何か釈然としないまま、眉を僅かに寄せて後を追った。
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