158.バカだよね


「なんだか久しぶりね、カズキチんで顔合わせるの」

「部活とかがね。あと学校も遠いし」

「あーしと同じ、近場のにすればよかったのに」

「……姉さんと約束してたのかな? ちょっと今、人様にお見せできない姿だけど」

「きゃはっ、それはいつものことだし。おかまいなく~」


 愛梨は明るい笑い声を上げ、慣れた様子で一輝より先に海童家に身体を滑らせる。

 一輝はその背中を見て、僅かに眉を寄せた。

 そしてミュールサンダルを脱いだところで、そこではたと気付いたとばかりにくるりと身を翻す。ふわりとサイドで纏めた髪も揺れる。


「これどう? こないだももっち先輩と一緒に選んだのだけど」


 夏らしく肌色面積が大きい派手な柄のカットソーに地味目のショートパンツ。

 華やかさの中に少し落ち着いた色があることで、愛梨をちょっぴり大人っぽく演出している。


「うん、よく似合ってるよ」

「そ、よかった」


 一輝がそう評すと愛梨はにっと笑みを浮かべ、そのままリビングに向かう。

 そしてソファで溶ける百花を目にして、頭痛を堪えるように額に手を当てた。


「ももっち先ぱ――うわぁ……」

「おー、あいりん。出会いがしらうわぁ、はひどくね?」

「いやいやいやいや、その髪ありえないし、すっぴんだし、っていうか今日打ち合わせですよね!? 時間大丈夫、って服とか決まってます!?」

「うーん?」

「うーん、じゃないし! ヘアアイロンは部屋ですね!? 取ってきますよ!」

「あいりんは真面目だなぁ」

「もーっ!」


 そう言って愛梨はどたばたと2階にある百花の部屋へと駆け上がっていく。百花はぐで~っとしたままひらひらと手を振っている。

 端から見れば世話のかかる先輩に手を焼く後輩の構図。

 だが仲の良さの窺えるじゃれ合いでもあった。

 一輝は久しぶりに見たそのやり取りに苦笑を零し、エスプレッソマシンを起動させる。

 そして百花が呑気にカフェラテを飲み干すと同時に、ヘアアイロンを服を持った愛梨が戻ってきた。


「はい、これに着替えて!」

「おー」

「って、カズキチが居るのにこの場で着替えないで!?」

「あいりんは堅いなぁ」

「ももっち、先輩が、緩いんです!!」

「緩くないと思うけどなぁ、彼氏居たことないし」

「身持ちじゃなくて! ってこら、下着! 丸見え! カズキチ―っ!」


 そんな漫才めいたやり取りをしながら、百花は実弟のことなど気にも留めずその場で着替えだす。

 慌てふためいた愛梨は、百花の姿が一輝に入らないよう、2人の間に身体を滑らせる。

 一輝はそんな姉と元カノのやり取りに苦笑しつつ、百花が着替え終わるのを待って2人に丁度出来上がったカフェラテを、さりげなく差し出した。


「さすが我が弟、お代わりが欲しかった」

「愛梨は砂糖少な目で良かったよね?」

「あ、うん……覚えてくれてたんだ、ありがと。……ったくそういうところ変わらないね、カズキチは」


 愛梨はカップに口を付け、以前と変わらない味にほんの少しだけ頬を緩める。

 そんな愛梨の様子をジト目で見ていた百花が、やけに偉そうに胸を張って言う。


「うちの教育のたまもの」

「……でもその教育のたまもののせいで、また女の子を惑わしちゃってなんか色々あったみたいですけどー。隼人っちが言ってたぞ~」

「てか一輝を振った子、気になる。どんな子?」

「あ、それあーしも興味あるんだけど!」

「え、えぇっと……」


 百花と愛梨に詰め寄られ、たじろぐ一輝。

 あまり積極的に言うようなことではない。

 しかしの件もあり、2人も全くの無関係というわけでもない。

 眉をひそめつつ、言葉を選ぶ。


「長い黒髪の、可愛いというより綺麗な大和撫子って感じの子かな、見た目は」

「……見た目は?」

「お嬢様っぽい仮面を被ってるくせに、中身はお転婆というか悪ガキというか、皆に見つからないようバカなことをするし、揶揄いがいもある、愉快な子だよ」


 そして今まで一緒に遊んだりした時のことを思い返せば、くつくつと喉の奥が鳴る。

 愛梨はそんな一輝の顔を、何かを確かめるかのように覗き込んだ。


「へぇ、仲良いんだ?」

「悪くはないかな? 煙たがられてるかもだけど」

「はぁ? なにそれ意味わかんない。……で、どうしてその子に告白したのさ?」

「どうしてって、その子には僕なんかが入り込めむ隙間のないほど、強い想いを寄せる相手がいたから。おかげでいい平手打ちをもらっちゃったよ」


 一輝がそう言って笑みを零せば、愛梨の表情が訝しむものになる。


「ふぅん、それ、効果あったの?」

「……以前くらいには」

「そ」


 一瞬、熱心にアプローチを続ける高倉先輩のことを思い出し、返事が遅れる。

 愛梨はすぅっと目を細め、これで話はおしまいとばかりに顔を逸らした。

 ヘアアイロンを手に取り、百花の下へと向かう。


 少し気まずい空気が流れる。

 居心地の悪さを覚えた一輝は、自分用にと淹れたカフェオレを飲み干し立ち上がる。

 すると愛梨が背中越しに、何てことない風に提案してきた。


「しつこいのが居るようならさ、またあーしが契約・・してあげようか?」


 一輝の身体がビクリと震え固まる。

 脳裏に再生されたのは、痛みを堪えるかのような姫子の顔。

 そして『好きな人がいたんです』、という言葉。

 無意識のうちに胸を手で押さえる。


「それはもう、できないよ」


 苦々しい声で、しかしはっきりと言い放つ。

 今度は愛梨の肩がビクリと跳ねる。

 一輝の目が丸くなる。少々口調が激しい自覚はあった。


「いやその、今をときめく人気モデル、佐藤愛梨の彼氏役はさすがに荷が重いなぁって」

「……カリスマモデルMOMOの弟ならそうでもないと思うけど。桜島さんだって、カズキチなら問題ないって言ってるし」

「買いかぶり過ぎだよ。ええっとその、実は今日これからバイトなんだ。悪いけど、僕はこれで」

「……あ」


 そう言って一輝は、そのままに逃げるようにして家を飛び出した。

 駅へと向かう道すがら、グルチャに伊織へ向けた文字を打ち込んでいく。


『今日、バイトの手が足りないようなら、僕がヘルプで入ろうか?』



◇◇◇



 一輝が去った海童家のリビングに、はぁぁぁっとわざとらしいとも言える百花のため息が響く。

 百花は困ったように眉を寄せながら、ポツリと言葉を零す。


「あいりんってさ、バカだよね」

「…………」

「素直じゃないし、不器用だし」

「…………」


 愛梨は百花の髪を手にしたまま、固まったままだった。

 顔を俯かせ、肩が僅かに震えている。

 百花は手を解かせ、ゆっくりと振り返り、そしてぎゅっと自らの胸に愛梨を掻き抱いた。


「でもうちはそんなあいりんのこと、好きだよ」

「……うん」


 そして愛梨は百花に甘えるように、ぎゅっとしがみ付くように背中に手を回すのだった。

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