100.姫子×和スイーツ


「終わったー!」


 期末試験の終了を告げるチャイムと同時に、姫子は解放感から両手を挙げて喜びの声を上げた。


「霧島ー、気持ちはわかるが答案用紙を集めさせてくれー」

「うっ、すいません……」


 周囲からくすくすと笑いが零れ、姫子は恥ずかし気に縮こまる。皆の目はいつものことかと微笑ましい。


 そして答案用紙を集め終えた教師が出て行けば、教室は歓声に包まれた。

 姫子が先走ってしまっただけで、受験生とはいえ皆も期末試験からの解放は喜ばしいものだ。今日この時ばかりはと、遊びの算段をつける話題が各所で広げられている。

 そんな空気の中、鳥飼穂乃香はいつもの顔ぶれと一緒に姫子の席へとやってきた。


「姫子ちゃん、この後って暇? 皆で打ち上げに行こうって話してるんだけど」

「打ち上げ!? 打ち上げってあの、テスト終わってお疲れ様だーってやるあれ!? いくいく!」


 姫子はその提案にすぐさま飛びついた。正確には打ち上げという単語に飛びついた。

 同世代が極端に少なかった月野瀬で打ち上げと言えば、祭りや集会の後に大人たちが集まっての宴会であり、お子様である姫子には縁が無い。学生同士の打ち上げというのは漫画やアニメといった物語の中の出来事だった。

 目をキラキラとさせる姫子に、穂乃香たちは頬を緩ませながら打ち上げ場所について語っていく。


「ね、どこいくの? カラオケ? あたしファミレスのいいお店を知ってるよ!」

「あはは、ファミレスのいい店って。それはそうとね、老舗の和菓子屋さんで御菓子司しろっていうお洒落なお店があるの」

「デートスポットでも有名だよ」

「今なら葛切りとか水まんじゅうとかこの季節だからのものがねらい目!」

「他にも練り切りとか錦玉とかも、見た目もすごく華やか!」

「あと何よりあそこ、制服がちょーかわいいんだよねー」

「老舗でオシャレで制服かわいい!?」


 田舎ではまず聞くことがないお店に対するフレーズを耳にして、姫子のテンションはどこまでも高くなる。

 早く行こうとばかりに鞄を手に急かす姫子を見て、皆はにこにこと見守りながら準備をするのだが、ふと穂乃香は「あっ!」という声と共に眉を寄せた。


「どうしたの?」

「そのお店1つ大きな問題があってさ、人気の店だから結構並ぶことがあるんだよね」

「行列が出来るの!?」

「う、うん」

「そっかぁ、行列の出来るほどの人気のお店なんだぁ!」


 ただいま夏真っ盛り、炎天下の下で並ぶというのはなかなかに気を重くさせるものである。穂乃香だけでなく他の女子もああそうだったと表情を苦いモノへと染めたが、しかし姫子だけは別だった。

 行列のできる人気店――それは月野瀬では絶対に縁のないものであり、姫子にとってはテレビや情報記事の中だけの幻の存在と等しい。姫子の瞳が一層輝きを増す。


「うんうん、そうだった。霧島ちゃんだった」

「姫子ちゃんはこうでないとね」

「よーし、おねーさんたちが白玉あんみつ奢っちゃうぞー!」

「え、あれ、皆……って、あんみつもあるの!?」


 そんな姫子の姿を見て、穂乃香たちは表情を緩めるのであった。




◇◇◇




 御菓子司しろは姫子達の中学校から電車で2駅離れた街にある。

 電車を使えばすぐなのだが、姫子達は徒歩を選んだ。女子中学生のお小遣いは有限で、その天井は高くない。

 それにお喋りしながらならそれほど長く感じる距離でもない。


「はぁ……夏休みが楽しみなようで楽しみじゃない……」

「そんなこと言うなし、でもわかるー。塾とか夏期講習だとかで潰れちゃうしねー」

「受験生だから仕方ないけど、どっかで息抜きは必要だよー」

「あ、あはは……」


 受験生である姫子達にとって、夏休みの話題は愚痴が混じりやすい。

 塾も夏期講習も何の予定の無い姫子は愛想笑いを浮かべながら、どうしようあたし何もそういうのしてないけど!? と焦りながら目を泳がせる。

 そして視線が泳いだ先に、ふとここからでもよく目立つ白亜の巨大な建物が――が見えた。


(な、何食べようかなーっ、和菓子って向こうじゃ団子かよもぎ饅頭ばっかだったから、こっちだからってのが食べたいよね)


 一瞬表情をこわばらせた姫子は大きく頭を振り、必死にこれから行く場所のことに想いを寄せる。


「霧島ちゃんは何か予定――……霧島ちゃん?」

「へっ!? あ、うん、あたしはわらび餅とかくずきりとかひやっするっとしたのがいいかなーっ!」

「あはは、そっち考えこんじゃってたかー。そうじゃなくて、夏休みの予定は何かあるかなって」

「え、あ、そっちね! うーん、迷ってることもあるけど、月野瀬に帰るのは確定かな? 友達が巫女さんでさ、お祭りで舞うの応援しなきゃだし」

「巫女さん!? マジでそれ、すごくない!」

「神社の娘だからねー。あ、画像もあるよ、はいこれ」

「……ふぉっ!? 綺麗……って、肌白っ! もしかしてこれ地毛!?」

「ちょっ、あーしにも見せてよ!」

「え、なにこれうちらと同い年!?」


 どうやら考え事をしているうちに話題が変わってしまっていたらしい。

 慌てて話題を里帰りと沙紀のことへと振れば、穂乃香たちに思った以上に食いつかれた。そして親友が綺麗やすごい褒めそやされると、姫子も釣られて鼻が高くなる。思わず続けて、こんなにもいい子なんだぞと熱弁を振るう。


「――でさ、おにぃったらデリカシーがないもんだから、いつも沙紀ちゃんはあたしの後ろに隠れちゃうし、祭りでも褒め方が雑だからか知らないけど直ぐに引っ込んじゃうの。その一方で沙紀ちゃんはグルチャでもおにぃの作った料理を褒めたりアドバイスもしたり、気を使って色んな話題も振ったりしてる、良く出来た子だよー」


 そしていつしか沙紀と兄を比較する愚痴へと変わっていく。デリカシーが無い、身だしなみに気を使え、朝起こすとき乱暴だ、沙紀ちゃんを見習え、と。

 穂乃香たちはそんな姫子を信じられないとばかりに目を見開いていき、そしてツッコミのごとく思いを零す。


「え、姫ちゃんそれマジで言ってるの?」

「さ、沙紀ちゃん健気過ぎる……」

「お兄さんもお兄さんで何で……って、何でもなにも、霧島ちゃんの兄だったわ……」

「ったく、この兄妹は……」

「え、あれ、みんな……?」


 少々予想と違った反応に、姫子は首を傾げてしまう。

 よくわからないが呆れている様子が伝わって来て、とりあえず兄に同調してもらったのかなと納得することにして先を目指す。


 そして直前に迫ってきていた目的地はすぐにわかった。


「わぁ!」

「あっちゃー、やっぱ並んでるねー」

「この時間だし、うちらみたいにお昼代わりにするつもりの人も多そう」


 駅前から少し離れた商店街の外れ、そこに大きな古民家風の店があった。

 純和風の店構えの御菓子司しろは独特の店構えだけでなく、表に20人ほどの行列が作られていれば、それはよく目立つ。


「ねね、最後尾あそこかな!? あの人の後ろに並べば――」

「あれ、姫子ちゃん?」

「――え?」


 今にも駆け出しそうになっている姫子を呼び止める者がいた。若い男の声だ。

 引っ越して日の浅い姫子の知り合いは少ない。誰だと思って訝し気に振り返れば、列に並ぶ女性陣も思わず振り返ってしまうほどの背の高い爽やかなイケメン――一輝がいた。

 一輝はにこやかな笑みを浮かべながらひらりと手を振れば、姫子はにぱっと笑顔を咲かせて一輝に駆け寄る。

 人見知りの激しい姫子であるが、一度懐に飛び込ませた相手にはすぐに懐く。先日一緒になって遊んだ時も、隼人と違って細やかな事に気付き紳士的だった態度も好ましかった。


「一輝さん!」

「やぁ姫子ちゃんも奇遇だね? 僕もちょっとお店の様子を見に来たくなって」

「あたしはクラスの皆と打ち上げに……あれ、一輝さんお一人ですか? 混んでるし、一緒に入りません? それに早く並ばないと!」

「え、いや僕はっ」

「穂乃香ちゃんたちもいいよねー?」


 姫子は一輝の返事を待たず、強引にその手を取り穂乃香たちの前へと連れて行く。

 その顔は思わぬところに知人に出くわしたからにこにこ笑顔だ。

 一方穂乃香たちは色々と置いてけぼりになっているこの状況に、口をあんぐりと開けていた。


 当然だ。一輝は今この瞬間も周囲の女性たちから、ちらりと熱い視線が送られているほどのイケメンだ。だが姫子本人からは彼への恋慕の念は感じられない。

 特に穂乃香は先日撮影した映画館前での痴話喧嘩と思しき写真について、姫子を弄ろうとしていたこともあり、ますます混乱し目を回す。


 そんな中、一輝は肩を竦めながらため息を1つ、そしてしみじみと呟くのだった。


「姫子ちゃんってさ、本当、隼人くんの妹だよね……」

「むっ、それってどういう意味ですかー?」


 不満げに唇を尖らせる姫子に対し、一輝は苦笑でサラリと受け流す。

 なんだか子ども扱いされたと感じた姫子はほっぺまで膨らませて抗議する。


 よくわからない状態だ。

 だが何となく穂乃香たちは一輝の呆れ具合に同調し、まだ見ぬ沙紀に対してこれまでの苦労を偲ぶのであった。

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