99.赤
御菓子司しろは、天保年間創業の180年以上の歴史を誇る老舗の和菓子店である。
そこの制服は矢羽柄の小袖に袴、そしてフリルの付いた前掛けエプロンという、大正女学生風のレトロな感じだが特徴的で可愛らしいものだ。
また袴をスカート風にした現代風のアレンジバージョンもあり、女子の間ではよく話題になっている。
当然春希も何度か話題を振られたことがあった。
可愛いけれど着る人を選ぶ、スタイルが悪い人が着れば制服が台無しになる、和風のデザインということもあって靴選びが大変、といった可愛いけれどその分大変だというネガティブな意見もよく耳にしていた。
そのことを考えると、つい勢いでバイトをするといったものの、少し尻込みしてしまう。
「うぅぅ……」
御菓子司しろの1階奥、そこにある6畳間女子更衣室兼休憩室の和室で、春希はバイトの制服を手に眉を八の字にしながらうめき声を上げていた。
和装のその制服は噂以上に本格的だった。本格的過ぎた。着物どころか浴衣さえ着たことの無い春希は、どうしていいかわからない。
「えーっと大丈夫、二階堂さん?」
「あ、あはは……大丈夫じゃないかも、その……」
「着付け、手伝おうか?」
「お、お願いシマス」
そんな春希に助け船を出したのは、一足先にバイトの制服に身を包んだ、クラスメイトの伊佐美恵麻だった。スラリとしており明るいショートボブの髪型は活発的で愛嬌がある印象を伝え、良く似合っている。
ちなみにここまで案内してくれたのも彼女だ。ここでバイトしているらしく、案内も着替えも色々と手慣れた様子だった。
伊佐美恵麻に促され、春希はブラウスの3つ目のボタンを外したとき、ハッと何か気付いて手が止まる。
「……?」
伊佐美恵麻は首を傾げる。
春希が頬を赤らめ上目遣いで窺ってくるも、その理由がわからない。
確かに同級生にまじまじと見られながら脱ぐのは抵抗あるかもしれないが、しかし着替えなぞ普段から体育の時に目にしている。今更何故ここまで恥じらうのだろうか?
春希は躊躇い恥じらいつつも、するすると肩から上着を滑らせていく。
ブラウスが床に落ちるのと、伊佐美恵麻がゴクリと喉を鳴らすのは同時だった。
赤だった。
情熱的な赤だった。大人びた色彩とデザインであるが、ところどころ黒のレースとフリルのリボンが可愛らしく踊っておりエロさと可愛さが見事に同居している。
もちろん上下お揃いで、普段の楚々とした様子からはギャップも甚だしい。もちろん今までそんなものを着用しているのを見た事がない。
「あ、あの……」
「うぇっ!? あ、あぁうん、着替えね! ええっとまず袖を通してお端折りを作って、腰ひもで形を整える! 帯も半幅で基本は浴衣と一緒よ!」
「わ、私、浴衣も着たことなくて……」
「帯も基本的に袴で隠れるから結構いい加減で大丈夫、直ぐに覚えられるよ!」
「うぅ、難しい……上手く出来るようになるまで、お願いしていいですか……?」
「っ! お、おぅ、恵麻おねーさんに任せなさい! 袴はヘラが付いてる方が後ろで、帯に差し込んで――」
「こ、こうですか? 可愛いけれど、着るのってすごく大変……」
伊佐美恵麻は戸惑う春希を瞬く間に着付けていく。その顔は悟りを開くかのごとく無心を心掛けている。
そうしなければならないほど先ほどの春希の表情や仕草は可憐で、「あ、わし、女の子でもいけるかも……って、いやいやいや、彼氏いるし!?」と心の中で妙なツッコミを入れてしまう程度にやられてしまっていた。
「髪もついでに纏めちゃおっか、飲食店だしね」
「あ、お願いします。伊佐美さん、随分手慣れてるんですね」
「あはは、実は伊織とは腐れ縁の幼馴染でさ、中学の頃から急なヘルプとかで手伝ってたの。もちろん、それでおじさんたちからお小遣いも貰ってたしね」
「幼馴染……」
「よし、これで完成っと!」
「…………ぁ」
伊佐美恵麻は着付けの終わった春希を姿見の前へと背中を押す。
御菓子司しろの制服姿になった春希は、呆けた様子でまじまじと自分の姿を見つめ、ほぅと熱い息を漏らしてはにかんだ。
紺の矢羽模様に海老茶色の袴、それに赤い前掛けエプロンは、レトロな感じがして可愛らしいものだ。長く艶のある髪は動きやすいようポニーテールに結われ、それもよく似合っている。着付けた伊佐美恵麻も、ご満悦な表情でうんうんと頷く。
しかし春希は次第に眉を寄せ、不安気な――そして伊佐美恵麻には到底理解出来ない言葉を洩らす。
「ボク、ちゃんと女の子に見えるかな?」
「…………は? いやいやいや、何言ってんの、というか他の女子に喧嘩売ってる!?」
「み゛ゃっ!?」
わけがわからなかった。
伊佐美恵麻はがくがくと春希の肩を、何言ってんだとばかりに物凄い形相で揺さぶる。
今の春希は和装の落ち着いた雰囲気と、それでいて給仕として活動的な様相はいつもと違う魅力にあふれている。店に出れば売り上げアップは間違いないだろう。
ふざけるなと言いたげな伊佐美恵麻の据わった目で見つめられ、たじろいだ春希は逡巡するも一瞬、おずおずと言い訳するように弱音を零した。
「ええとボク、昔はすごくお転婆というか悪ガキでしてその、ひめちゃん……幼馴染の子に男の子だと思われてたのです……」
「へ? ひめちゃんって、例の幼馴染の子?」
「それだけじゃなくて先日、ひめちゃんのおばさんにも男の子だと思われててびっくりされて、その……」
「…………なるほどね」
伊佐美恵麻はゆっくりと大きな息を吐き出し、ある程度の事情を理解した。それはかつて自身も覚えのあるものだったからだ。
それもあって、今も不安気に瞳を揺らす春希を見れば他人事だと思えず手助けしたくなる。
春希が隼人に特別な感情を抱いているだなんて、ここ最近の彼女を見ていれば誰だってわかる。必死に周囲に取り繕う様は見ていて微笑ましい。きっと彼
(そういえば……)
春希がしばしば自慢気に周囲に見せていた幼馴染の女の子。彼女も隼人との知り合いなのだろう。スラリとしていて人懐っこそうな、随分と可愛らしい女の子だった。
あれはきっと、強力なライバルだ。
伊佐美恵麻はよし、とばかりに気合を入れて、恥ずかしさからどうしようかと迷っていたことを決意する。
「二階堂さんさ、一緒に可愛くて似合う水着を選びに行こう!」
「へ? 水着、ですか?」
「あれ、今度プール行くかどうか誘われてない?」
「あ、はい。誘われていますけど」
「恋は戦いよ! 他の子に負けないようなとびっきりの戦闘服水着を選んで意中の相手を仕留めちゃお? ね?」
「こ、恋!? べ、別にそういうのじゃ、その、ボクはただ一番のともだちに……あうぅ……」
「いいからいいから!」
「……はい」
そして意気込みも新たになった伊佐美恵麻は、戸惑い歯切れの悪い春希の背中を押して、休憩室の扉を開ける。
「あ、それからこのバイトも結構な戦場だから」
「み゛ゃっ!?」
扉の向こうでは、半ば怒声となったオーダーを叫ぶ声が行き交い、厨房に居るはずの隼人も忙しなく客席と行き交っている。
そこも確かに、春希の見たことのない戦場だった。
「だ、大丈夫かな?」
「やるだけやるしかないっしょ、さぁさぁ!」
不安気に呟く春希に、伊佐美恵麻は大丈夫とばかりに笑顔をにっこりと向けるのだった。
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