80.ダメですっ!
いつの間にか空は泣き出していた。
ザァザァと打ち付けるような大粒の雨は、アスファルトに当たっては弾けて霧のように飛沫を上げる。
そしてお節介にも熱を持った春希の赤い右頬を冷やす。
春希はとっくにずぶ濡れになっていた。
今日の為にとセットした髪は無様にほつれて背中に張り付いて、隼人を驚かそうと選んだ服はたっぷりと雨を吸って鉛の様に鈍く重い。気合をいれたメイクも無残に流れ去ってしまっており、代わりに暗い影が顔に施されている。
「……ぁ」
無意識に歩いていたハズだった。だというのに目の前にはここ最近見慣れつつあるマンションの姿。
改めて見上げてみれば、とても大きなマンションだ。当然だ。ファミリー向けで悠に100世帯を収容出来るそこは、春希1人位受け入れてくれるんじゃないかとさえ錯覚してしまう。
「……何やってんだか」
春希は呆れた笑いを零す。知らず知らずのうちにここへと足が向いていた。その理由なんて考えなくてもわかる。
心はとっくに悲鳴を上げていた。
このまま隼人の所へと向かえば何も言わずに受け入れてくれるだろう。そして静かにただ寄り添って甘えさせてくれるに違いない。
隼人は、春希の友達は、そういうやつなのだ。今すぐにでも駆け込みたかった。でもそれは出来なかった。
「でもそれってボクだから、じゃないんだよね……」
そして今日のことを思い返す。目の前で救われる人を――一輝を見た。かつての自分もああだったのだろう。
隼人にとってそれはなんてないという事で、それに友達が増えるというのは良い事のハズだ。だけど春希にとって友達という事が、自分が、特別じゃないと言われているようで胸が軋みを上げる。
別に隼人が悪いわけじゃない。姫子もだ。もちろん一輝もである。きっと、こんな気持ちを持て余してしまう春希こそが、
だけどかつて月野瀬に居た頃、疎まれ孤独で心を閉ざしていたとき、隼人は確かに強引に手を取り連れ出してくれた。
春希にとって隼人は、友達は、特別だ。その特別が増えることによって、その特別性が薄まってしまうかのように感じてしまう。
だからおそらくそれは意地だった。
幼い頃から肩先並べ、対等の立場で接してきたのだ。ただでさえ最近は隼人に世話になりっぱなしであり、だからこそ頼れない。頼りたくない。この大切な友人の隣に胸を張って立っていたい。なにより頑張ると決めるのは自分なのだから。
スマホを取り出した春希は、これは確認だからと自分に言い訳して隼人の番号を呼び出す。
『……春希?』
「あーうん、春希です」
『今日はまたどうしたんだ? ネトゲの愚痴か? それともまた漫画かアニメで興奮したものがあったのか?』
「いや、今日はこれといった用はなくてさ、なんとなくね」
『そうか』
「うん……それでそのさ、ボク達って友達……だよね?」
『は? そんな当たり前のことをいきなり何を……………………田倉真央か?』
「っ!」
そこで春希の言葉が止まってしまった。迂闊だった。少し考えればわかってしまう事だ。
思わずこのまま縋りたくなってしまう気持ちを押し殺し、出来るだけ明るい声色を意識する。
『そうなんだな? 何があった、というか今どこにいる? 雨の音が――』
「あ、あはは、ほんとに何でもないんだ。その今もさ、やっぱりお腹が空いてコンビニ行ってるところだし……それじゃ!」
『――おいっ!』
春希は駆け出した。今度は自分と隼人の家から離れた場所へと意識して。
あまり意味のない行動だなんて理解している。だけど走らずにはいられなかった。
◇◇◇
「何やってんだろ」
やがて辿り着いたのは見知らぬ公園だった。
宵の口のにわか雨はすっかり上がってしまっており、空は憎らしいほど星が瞬いている。春希はベンチに座りながらそんなことを独り言ちた。
頭はとっくに冷えている。さっきの自分を思い出しては呆れた笑いが喉を鳴らす。
「あの、大丈夫ですか?」
「……え?」
「二階堂さん、ですよね?」
「……三岳、さん?」
春希の言葉は疑問形になってしまっていた。色々と意識の埒外の出来事だった。
目の前に写る三岳みなもの格好こそは、黒のゆったりとしたカットソーにスキニージーンズといった普段のイメージ通りの地味な恰好なのだがしかし、手に持つエコバッグから覗く醤油とみりんのボトルが生活感をあふれさせ、女子高生でなく主婦じみた姿だ。見た通り買い物の帰りなのだろう。
そして一方自分の濡れネズミな姿を見てみれば、明らかに尋常じゃないという様子が一目見てわかる。
「えぇっと……」
春希は困った顔で必死になって言い訳の言葉を探す。
三岳みなもはそんな春希をまじまじと見つめ、そして何を思い立ったのか、ぎゅっと胸の前で拳を握り、ヨシッとばかりに自分を鼓舞する。
「わ、私の家この近くなんです! その、風邪ひきますっ!」
「あ、いやでもその、ボク迷惑――」
そして三岳みなもは強引に春希の手を取り引っ張った。
小柄な彼女は見た目通り力は強くない。突然の行動で釣られて立ち上がってしまったものの、春希は三岳みなもの世話になるつもりは無かった。そもそも自業自得だという認識がある。彼女の世話になるのは筋違いだとさえ思っている。
「こんな状態の
「…………ぇ」
きっと春希の顔はさぞかし間抜けだったに違いない。そして三岳みなもも驚いたような表情を作る。どうやら彼女としても自分の言葉が意外だったらしい。
だが三岳みなもはあたふたと顔を真っ赤にしつつも、口の中でいくつもの言葉を転がして、必死な様子で言葉を紡ぐ。
「あのその、園芸!
春希にはどうして三岳みなもがここまでしてくれるのかわからない。だけどその小さな身体をいっぱいに使って一生懸命その気持ちをぶつけられれば、思わずくすりと笑いが零れてしまう。少しだけ心が軽くなる。
「あんがと、三岳さん。でもボクん家ちもそんなに遠いわけじゃないし、大丈夫だよ」
「っ!」
そう言って春希は彼女の手を抜け出すと身を翻し、掴まれていた手を振った。その時のことだった。
「ダメですっ!」
「……え?」
ドン、とばかりに背中に軽い衝撃を感じる。
三岳みなもは自分が濡れるのも厭わずびしょ濡れ春希に抱き付いてきた。必死だった。だけど、どうして彼女がここまでするのかわからない。さほど仲が良いというわけでもなく、精々彼女の言う通り園芸繋がりの緩いモノだろう。困った顔と声色で訊ねてしまう。
「……どうして?」
「今の二階堂さん、霧島さんと同じ目をしていてっ、その、何のことかわからないと思うけれど、でもその、ダメなんです……っ!」
「……………………え?」
三岳みなもから予想外の言葉が飛び出す。
隼人と同じ――その言葉に春希は、今度こそ驚き固まるのだった。
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