324.一方その頃/海童家
◇◇◇
太陽が西の空へと落ちたばかりの宵の口。天に夜陰が染みると共に、寒さも広がる都会郊外の住宅街、その一画にある一軒家。
帰宅したばかりの一輝は自分の部屋に鞄を下ろしたタイミングで、春希対策本部と名付けられたグルチャに通知が届いていたのに気付く。どうやら姫子が書き込んだようだ。
『おにぃとはるちゃん、今日は向こうに泊まるんだって。帰る予定は未定だとか』
その内容を見て、一輝は思わず「へ?」と、間の抜けた声を漏らす。
今日一日サボるだけならまだわかる。どこか、遠くへ行くのも。
だけど泊まりともなれば、もはや本気の逃避行じみている。あまりに大胆だ。
現に姫子の報告の直後に、伊織の驚愕の言葉が続いている。
『おいおいマジかよ。泊まるってことは、明日は登校とか無理だよな?』
『そうなりますね』
『しかも帰りはいつかわからないとか。隼人のやつ思い切ったことしてるなぁ』
『おにぃ、昔から時々こういうことやらかすんですよ』
まったくもって同意見だった。姫子の呆れた顔が容易に想像できる。
困っている幼馴染を何とかしたいからと、しがらみに囚われず、裏表もなく、自らの心に素直に従い行動する。あぁ、なんとも隼人らしい。
一輝もまたそうありたいと思い、友達になりたいといったのではないか。
じんわりと胸が熱くなる。だがそれも続く恵麻の言葉で、一気に冷え込んでいく。
『いやぁそれにしても霧島くんさ、見方を変えると囚われのお姫様を救い出す騎士様みたいじゃない!? 今日とか強引に二階堂さんを連れ去っていくところなんて、乙女的に見ていてキュンとしちゃったし!』
冗談めいた軽口だった。現にその後に続く姫子と伊織の会話も『おにぃがナイト? キャラじゃないなぁ』『どちらかというと今朝のは、暴走した大型犬に二階堂が引っ張られていくって感じだったぜ』という笑い話が繰り広げられている。
だけど春希からしてみれば、たまったもんじゃないだろう。
どうしようもない状況で周囲に雁字搦めにされ、誰もが手をこまねいている中、颯爽と手を掴んで遠くへ連れ去っていくのだ。
ふいに一輝は姉のことが皆にバレ、過去に囚われ身動きできなくなっていた時、姫子にてらいもなく、そしてなんてことのない言葉で救われたことを思い返す。そして秋祭り、緊張していた自分の腕を引っ張ってくれた時のことも。
あの時どれだけ自分が救われ、姫子の存在が大きくなってしまったか。きっと春希も、後夜祭で歌として形作った隼人への想いがますます強くなったに違いない。
親しい相手が困っているのなら、誰にだって分け隔てなく全力で突拍子もないことまでやってのける。そんなやつなのだ、霧島兄妹は。
まったくもって罪作り。しかもどれだけ恋焦がれても、向こうは自分のことを恋愛対象として下心があってのことじゃない。純粋な厚意。
だからもしこの想いを伝えてしまえば、どう転ぶにせよ今の関係は変わってしまうだろう。
それはたとえ春希と隼人であっても、例外ではない。
春希もそれがわかっているから、必死に今まで通りを装っていたではないか。
そんな想いを抑えている中で、2人きりでの逃避行。否応なしに相手と向き合うことになるだろう。春希の心境を想像し、チクリと痛む胸に手を当てる。
一輝は臆病だ。逃げている自覚もあった。勇気もなく、決断ができないでいる。
だけど逃げずに藻掻き、立ち向かった人を知っている。
愛梨と柚朱。彼女たちについて再び思い巡らす。
2人のことは以前からよく知っている。正直なところ素直な気持ちを伝えられ、嬉しいところもあった。それから想いに応えられない、心苦しさも。
だけど2人はそれでもなお、自分への気持ちをあきらめてない。先日の水族館の時も、愛梨は心から笑っていた。
いつの間にか前へ進んでいる愛梨には、以前までにはない魅力を感じている。ある意味、目が離せなくなり意識してしまっているのは、彼女の術中にはまっているのかもしれない。一体、何が愛梨をそこまで変えたのだろうか。
「…………」
グルチャを閉じ、先日知り合い連絡先を交換した羽衣のメッセージを呼び出す。そこに書かれているのは、彼女の事務所の住所。
一輝は隼人に言った通り、芸能界に興味があるわけじゃない。それにやっていけると思うほど自惚れていないし、他の人より優れた特技があるわけでない。
要するに、海童一輝という人間は凡才なのだ。芸能界という鬼才が集まる場所で、どうして太刀打ちできようか。もし飛び込んだとして、結果なんて分かり切っている。
だというのに、気づけば一輝は部屋を出て、姉の部屋をノックしていた。
「姉さん、いる?」
「ん~、どしたん?」
気怠げな百花の返事が聞こえてくると、一輝は固い顔のまま中へと入る。ベッドの上でスウェット姿で寝転ぶ姉の姿が目に入った。思えばこうして姉の部屋に入るのはいつ以来だろうか。部屋の床には服や雑誌、コスメ類が乱雑に転がっており、ファンが見たらどう思うことやら。
そんなことを思いながら、一輝は用件を切り出す。
「姉さんに芸能界のこと、色々教え欲しくて」
「……………………は?」
心底間の抜けた、そして驚愕に彩られた声を上げる百花。
当たり前だろう。一輝は今まで百花がモデルをすると言った時でさえ、微塵も興味を示していなかった。先日の羽衣とのやり取りだって、自分で興味があると言い出したにも関わらずなぁなぁで受け流し、帰りの電車で愛梨と共に弄られたほどだ。ここにきて一輝自身、自分の発した台詞に驚いている。
百花は身を起こし、一輝の真意を図るべく、まじまじと一輝の顔を見つめてくる。
それに一輝は真剣な眼差しで見つめ返す。
部屋の空気が緊張の糸で張り巡らされていく中、姉弟で見つめ合うことしばし。
「……そう、わかった。じゃあ何から聞きたい?」
百花はそれ以上何も聞かず一輝が見たこともない真剣な表情へと豹変させる。
息を呑む一輝。
それは姉でなくMOMOの――プロの顔だった。
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