323.逃避行⑩気持ちに嘘を吐いて欲しくない


 神社の鳥居が見えなくなるところまで来るなり、春希は憤慨の声を上げた。


「あーもぅ! 誰がおばさんだよ、あのクソガキッ!」

「どぅどぅ、落ち着けって」


 隼人が宥めようと試みるも、春希から飛び出す茉莉への憎まれ口は止まらない。


「子供だからって大目に見てたけど、それでも限度がね! どれだけ期待の新人か知らないけど、あんな態度取ってたらすぐに仕事干されちゃうんだから!」

「確かに生意気な感じの子だったな。けど、スタッフの人たちにはちゃんとしてたぞ」

「なら上の人にはへこへこして、同業者には態度を豹変させるやつなんだよ!」

「春希は同業でもライバルでもなんでもないのになぁ」

「知らない。まぁボクが横から口を出したのは確かだし……役者志望の飛び込みアピールかなにかと思って、気に食わなかったんじゃない?」

「そうかもな。って春希、ちょっと途中から大人気ないというか、本気出してただろ」

「それは……うん」そこで春希は言葉を区切り、足を止める。そしてフッと小さく息を吐き呟く。「あの子、すごかったよ」


 戸惑い、悔しさ、高揚……そして後ろめたさの混じった、不思議な声色だった。


「春希……?」


 隼人が怪訝に思って振り返ると、春希は困ったような、なんともあいまいな笑みを浮かべ、小さく首を横に振る。


「うぅん、なんでも」


 咄嗟に誤魔化しの言葉を紡ぐ春希。自分でも感情を持て余しているようだった。

 とはいえ、春希の気持ちもわからないでもない。

 先ほどのカメラの前での春希の姿を思い返す。

 芸能関係のいざこざから何もかもを置き去りに逃げ出してきたというのに――心底活き活きとした顔をしていた。かつて月野瀬で見てきたものと同じ、何のてらいもなく純粋に楽しんでいることがよくわかる、隼人の好きな春希・・らしい天真爛漫さがあった。

 おそらく、そのことに対して申し訳なさを感じているのだろう。だけど茉莉との立ち回りを目の当たりにしたからこそ、隼人には言わなければならない言葉があった。


「なぁ、なんだかんだでさっきは楽しかったんだろ?」

「それは……っ」


 春希はその言葉を受け、びくりと身体を震わせる。


「見ている方もさ、目が離せないほど面白かった。あの子もさ、本心はきっと楽しかったんだと思う。じゃなきゃ、わざわざあんな悔しそうな顔でお礼を言ったりしないさ」

「けど……」

「いいじゃないか。お母さんのことは抜きにしてさ、昔から何かになり切ったり、ごっこ遊びとか好きだっただろ。俺は春希が好きなものへの気持ちに嘘を吐いて欲しくない」

「――っ!」


 瞠目し、息を呑み、固まる春希。

 隼人は諭すようにニコリと微笑む。

 すると春希はみるみる顔をくしゃりと歪め、そして弾かれたように隼人の胸に飛び込んできた。


「っ、おっと!」


 咄嗟のことに驚きつつも、受け止める隼人。しかしすぐさま離した手を宙を彷徨わせていると、春希が拗ねたように呟く。


「……今、その言葉はずるい」

「ずるいって」


 春希はまるで縋るようにしがみ付く。隼人も困った顔で返事を返す。

 顔をうずめているので、春希の表情はわからない。ただ、その肩は震えていた。

 ふいに再会したばかりのころ、貸した背中で声を殺して泣いていたことを思い返す。

 あの頃と違い、今はもう春希の事情を知っている。知ってしまっている。

 隼人は唇を強く結び、所在なさげにしていた腕を手繰り寄せ、春希の肩に置く。

 すると春希は、少し甘えた声で囁いた。


「ちょっとだけ胸、〝貸し〟てね」

「あぁ、こんなのいくらでも〝貸し〟てやる」


 腕の中で感じる春希ははるき・・・と違い、すっぽりと収まるほど小さくなっており、力を籠めると壊れてしまうんじゃと思ってしまうほど華奢だった。だからこの幼い頃からよく知る相棒がとても愛おしく、大切なもので、守らなけばという強く思う。

 しかしその一方で柔らかくも少しいい匂いがして、どうしようもなく女の子だということがよく伝わってきて。だけどそれが今更どうしたことか。それも受け入れつつも、この手をもう離すつもりはない。

 夜の帳が降りる中、隼人は不埒なことを意識しないよう、努めて他のことを考えた。


(……こっちで泊まるなら、さすがに家に一度連絡を入れた方がいいよな)


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