322.逃避行⑨真剣勝負



 春希の意図は茉莉にも正しく伝わったのだろう。

 最初こそは皆と同じく春希の変貌ぶりに驚き魅入られていたが、みるみる眦を釣りあげていく。そのまま癇癪でも起こすのかと思いきやしかし、茉莉はフッと小さく息を吐き、彼女もまた、纏う空気を一変させる。

 周囲もまた、そんな茉莉に瞠目した。

 茉莉は今まさに春希に気付いたとばかりに手を口に当て、息を呑む。そして一瞬眉を寄せた後、にぱっと人懐っこい笑みを咲かし、とてとてと嬉しそうに春希の下へ駆け寄っていく。まるでよく懐いた子犬が尻尾を振る姿さながら。春希の演技に呼応するように、茉莉の変化は劇的だった。

 駆け寄ってきた茉莉に気付いた春希は、慕ってくれる後輩を受け止めるように、そして挑んできた彼女の挑戦を受けて立つとといった風に手を掲げ、パシッと合わせる。

 胸の前で両手で握り拳を作り、前のめりになる茉莉。

 気恥ずかしそうに頬を掻きつつ表情を緩める春希。

 そしてどちらからともなく、少しばかりおっかなびっくりしている春希を茉莉が背を押していく形で、本殿の方へ。

 鈴を鳴らし、先ほどの後輩の前とは打って変わって真剣な様子で手を合わせる春希。その様子から如何に上京前の静かな高揚と緊張、期待と不安に心がない交ぜにされながらも、目標に突き進む姿がありありと伝わってくる。

 隣で一緒に手を合わせながら、そんな春希を横目でチラリと見る茉莉。一瞬目を大きく見開き、そして眩しそうにスッと細めれば、憧れや寂しさ、悔しさにいつかきっと追い抜いてやるという、静かな意気込みが伝わってくる。

 2人の間に会話はない。

 だけど夢に向かって恐れながらも突き進む先輩と、先に遠いところへ行ってしまう先輩に憧れ目標にしつつも、いつか並び立ってやるという憧憬と決意を新たにする後輩というドラマが繰り広げられている。そしてこの迫真の演技は、春希と茉莉という2人の少女の様々な魅力を引き出していた。

 春希が渾身の演技で仕掛ければ、茉莉はそれに臆することなく自らの全力でもって迎え撃つ。まるで抜き身の刀でのやり取り、アドリブによる真剣勝負。

 それだけじゃない。演技の応酬を重ね、鎬を削っているうちに、どんどんと彼女たちの魅力が研ぎ澄まされ輝いていく。

 まるで互いに刺激を与えあい、成長しているかのように。

 隼人は気付けばスマホを構え、その様子を写真へと切り取っていた。あまりにも眩い輝きを放つ彼女たちを、切り取らずにはいられなかった。

 それはプロである撮影スタッフにとっても、言わずもがな。

 やがて2人しておみくじを引き、あまり結果が良くなくがっくりと肩を落とす春希に、そこそこ結果のよかった茉莉が自分のものと強引に交換する。

 驚く春希の背を、茉莉は早く夢に向かって行っちゃえとばかりに力強く押す。

 背を押された春樹はもう振り返らず、まるで夢に向かって走っていくかのように神社を後にする。

 1人残された茉莉は悔しそうに、しかし必ず意気込んだ様子で交換したおみくじをくしゃりと握りしめ、その拳を突き出し――そして「ふぅ~っ」と大きく息を吐いた。

 それを合図にして周囲の空気が緩む。撮影スタッフや見物客たちはそこでようやく呼吸を思い出したかのように、「ほぅ」っと嘆息する。それだけ、先ほどとは段違いの春希と茉莉の作り出す物語と、彼女たちの魅力に引き込まれていた。

 我に返ったカメラ担当のスタッフが声を上げる。


「はい、オッケー! いいねいいね、すごくいいのが撮れたよ!」


 彼を皮切りに他のスタッフたちも「めちゃくちゃよかった!」「茉莉ちゃんにこれだけのポテンシャルがあったなんて!」「撮り直して正解だった!」と騒めき出す。

 どうやら想定以上のものが撮れたらしい。

 しかしこれは誰の目から見ても、茉莉の魅力を引き出した立役者がいた。

 ちらりと撮影スタッフの方へと歩いている茉莉の様子を見てみれば、明らかに不服というか、困惑交じりの釈然としない顔をしている。彼女にしてもあの演技が出来たのは、自分でも予想外だったのだろう。

 ほどなくして撮影スタッフたちからも、「そういえばあの子、何者?」「素人とは到底思えない」「本当はどこかの劇団所属なんじゃ?」などと、春希について囁き出す。

 当然だ。この業界の人があれほどのものを見せられて、春希のことが気にならないはずがないだろう。周囲だって、春希についてもざわついている、

 ここまで騒ぎになれば、もはや春希の正体がバレるのは時間の問題かもしれない。

 早くこの場から離れた方がいいだろう。

 その春希はといえば鳥居の方へ去っていったついでに、バンで着替えを済ませたようだった。衣装の入った紙袋を片手に、こちらの方へと向かってきている。

 隼人がやらかしちまったなといった風に眉を寄せて呆れた顔を向ければ、春希はバツが悪そうにちらりと舌先を見せる。そして足早に撮影スタッフたちへ、紙袋を押し付けるようにして差し出した。


「ありがとうございます、おかげで貴重な経験ができました! それでは!」

「あ、ちょっと待ってキミッ!」

「すみません、これから塾がありますのでっ!」


 当然のことながら春希は撮影スタッフから引き留められるも、急いでいる風を装い断る。彼らにしても、塾を言い訳にされたら引かざるをえない。

 撮影スタッフたちが怯んだ隙に、春希が一気にこの場を離れようとしたその時、ふいに茉莉が駆けてきてすかさず春希の腕を掴み、叫んだ。


「ちょっと待って!」

「えぇっと……?」


 予想外の出来事に戸惑い、文句を言われるのかと身構える春希。


「……あ、ありがとおばさん」


 しかし茉莉は気恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、柳眉を吊り上げつつぶっきら棒にお礼の言葉を述べた。


「だ、誰がおばさんだ!」

「おばさんはおばさんだもん!」

「この……っ」


 しかしここでも憎まれ口を叩く茉莉に、つい興奮した声を返す春希。

 周囲からは、なんともいえない苦笑い。


「はいはい、いいから行こうぜ春希」

「ぐぎぎぎ……っ」

「ふんっ!」


 そして隼人は春希を宥めながら腕を引き、急いでこの場を離れるのだった。


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