321.逃避行⑧おせっかい/売られた喧嘩
「あのぅ……何かトラブルでもあったんですか?」
おずおずと、しかし目を少しばかり輝かせて撮影スタッフに話しかける春希。その様子はまさに近所の女子高生が撮影という物珍しさに惹かれ、好奇心半分に首を突っ込んでいる姿そのもの。事実、そのように演じているのだろう。
撮影スタッフたちは急に話しかけてきた春希に一瞬驚きはするものの、すっかり春希の演技を疑わず、眉を寄せつつも気さくな感じで答えてくれる。
「あぁ、予定していたモデルの子が渋滞に掴まったみたいでね。今のこの夕陽を使いたいんだけど、間に合いそうになくて」
「なるほど、今日とか雲も少なくて、綺麗な夕焼けになりそうですもんね」
「そうそう。しかも明日から天気が崩れるっていうし、せっかくの茉莉ちゃんの案だけど、別のシーンに差し替えた方がいいかもだねぇって」
そう言ってスタッフがしょうがないないと肩を竦めながら、茉莉と呼ばれた懸命に先ほど懸命に訴えかけていた女の子へと視線を移す。
茉莉は悔しそうに唇を噛みしめ、俯いたまま。
彼らの間でもどかしい空気が流れる。
その傍ら、隼人はやけに落ち着きがなかった。
彼らとしても、まさか田倉真央の娘がまさかこんなところに来ているとは思わないだろう。春希だってちょっとした変装のおかげで動画とも雰囲気が全然違うとはいうものの、やはりいつバレてしまうか気が気じゃない。
しかしその春希はといえば、さも自然体で撮影スタッフたちと困った顔を突き合わせている。堂々としたものだ。その姿を見て、ふと思う。
(……もしかしたら春希のやつ、このスリルを楽しんでいるんじゃ?)
事実、その予想がありえそうなのが春希というやつなのだ。
隼人は眉を寄せガリガリと頭を掻きながら、呆れたため息を吐く。
もし正体がバレたとしても、
するとその時、春希はパンッと手を叩き、名案とばかりに明るい声を上げた。
「そうだ! 私がモデルの代役って、できたりしませんか?」
「キミが? ……ふむ」
「はい、台詞がないなら大丈夫かなぁって。私こう見えて演劇部でして、舞台度胸は結構ありますよ? ――『上様がこんなところにいるはずがない、出会え、出会え~!』」
訝しみ、しかし春希の姿をじっくりと見回して迷う素振りを見せる撮影スタッフ。そこへ春希がすかさず悪代官の真似をコミカルな感じで演じれば、一瞬の沈黙のうち、あははと撮影スタッフたちだけでなく周囲からも笑い声が上がる。
この場の空気が緩む。撮影スタッフたちは笑いながらも互いに俯き、言葉を交わす。
「いいね、キミ。撮るだけとって、ダメならその時は破棄すればいいし。確か衣装はこっちだっけ……それでいいよね、茉莉ちゃん?」
そう言って撮影スタッフが茉莉に確認すると、彼女はその大きな瞳で春希をまじまじと見た後、眦をこれでもかと釣り上げ憎々しげに言った。
「はぁ!? 何でこの
「お、おばっ……っ」
突然のおばさん呼ばわりに、ぴしゃりと周囲の空気が固まる。
春希も頬を引き攣らせ、撮影スタッフたちの顔も青褪めていく。
隼人もまた、目を丸くして顔を顰めてしまう。
茉莉は春希への敵愾心を隠そうとせず、睨みつけている。
確かに春希は彼女から見て明らかに年上、しかもいきなり横からやってきて口出しをする部外者。先ほどの会話から察するに、ここでの撮影は彼女の案なのだろう。だから面白くないのはわかる。
しかしいくら子供とはいえ、プロの現場に出ている人間としてあまりにも幼稚な態度と発言。春希やスタッフたちには、怒りよりも先に困惑が先に立つ。
何とも気まずい空気が流れ、スタッフがどうにか彼女を宥める言葉を探していると、ふいに茉莉はこれ見よがしに大きなため息を吐き、硬い声色で言う。
「……ヘタ打ったら許さないんだから」
素直とはいえないものの、春希の参加を認める言葉に、皆も気を緩める。
彼女としても春希のことが気に入らなくとも、望むシーンを撮れなくなるよりかはと判断したようだった。
◇
鳥居前のバスで手早く用意されていた衣装に着替え終えた春希が戻ってくると、スタッフから撮影内容の説明がされる。
「茉莉ちゃんのプロモーションフォトでね、彼女が親友と一緒に、これから出るイベントに必勝祈願をするっていう設定なんだ」
どうやら茉莉をピックアップする撮影なので、春希はあくまで動く小道具のようなものらしく、顔も映すことはないらしい。こちらとしても好都合。
確かにそう難しくない役どころだ。急な飛び込みでも務まると、判断された由縁だろう。
周囲の見物客に交じって、撮影の様子を見守る隼人。
さすがに茉莉はプロだった。カメラが向けられるなり先ほどまでの不機嫌さはどこへやら。神社の本殿や手水、社務所などで2人の仲睦まじい様子がパシャパシャと切り取られていく。
順調に撮影が進んでいき、一通り予定を消化したところでふいに茉莉が手を上げた。
「すみません、おばさんが明らかに私より背が高くて老けてるから、同級生に見えなくてコンセプト通りの表情を作れていないかも」
「ふ、老け……っ」
「あ、あはは。今のでも十分いいと思うけど」
またも挑発的かつ辛辣な言葉に、少しばかり青筋を立てる春希。
茉莉の再度の我儘にスタッフたちも渋い顔で難色を示すも、茉莉はすかさず明るい表情で手を合わせて提案する。
「なので、上京する憧れの先輩を見送り、追いついてやるぞという後輩って感じで行きたいと思います!」
「お、それもいいね。既に良さそうなのも撮れてるし、選択の幅は増えた方がいい」
「てわけで、私の憧れの先輩って感じでお願いします。そろそろ日没で時間はないけど、それくらいできますよね、おばさん?」
明らかに煽り立てる茉莉に、春希はニコリと微笑み、質問を返す。
「んー、頑張ってみるけど、どんな先輩なのかイメージを掴むための情報が欲しいな。どういう経緯で知り合って、普段はどんな関係なのかとか、そういうの」
「部活で初めて出会った先輩で、その才能に打ちのめされて憧れた感じ。私は彼女にとって後輩の1人。で、その先輩が認められて上京しちゃうんだけど、いつか倒してやると思ってる相手」
「あはっ、ライバルとかでなく、優しいラスボスみたいな感じなんだ?」
「ラスボス……そうかも。今の私を歯牙にかけられていないところとか、特に」
「なるほど、今日はどうしてその先輩とここで一緒に?」
「……たまたま私が状況前の先輩をここで見かけて、つい声を掛けたみたいな」
「ふぅん…………」
設定を聞いた春希は顎に手を当てながら、目標がある、夢を追いかけて、緊張と不安といった言葉をぶつぶつ呟きながら身を翻す。そして数メートル移動して立ち止まる。
皆が一体どうしたのだろうと見守る中、春希は纏う空気を一変させた。
「「「「――ッ」」」」
周囲にたちまち緊張の糸が張り巡らされ、肌が粟立つ。
皆が目を丸くさせている先に居るのは、春希でなく夢を追いかけるために上京する前に、神社で緊張する自分を叱咤激励しにきた女の子。誰もがいきなり豹変した春希に驚き、作り出された世界に引き込まれていく。心を掴まれ、目が離せない。
そんな中、茉莉は喘ぐようにして言葉を捻りだす。
「おば、さん……?」
その言葉を受けた春希はビクリと肩を跳ねさせた後、ゆっくりと声の方へと振り返り、茉莉を見るなりみるみる目を大きくしてから華やぐ笑みを咲かす。
茉莉が息を呑むのがわかる。それは後輩に情けない姿を見せまいとする、憧れの先輩そのもの。その姿がはっきりと見えた。見物客も固唾を呑んで見守っている。
しかし隼人には、売られたケンカは買ってやるぞという不敵な笑みに見えた。
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