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325.2人きりの夜①霧島春希


 北陸の夜は太陽が沈むと同時に、加速度的に冷え込んでいく。都会や月野瀬では経験したことのない、肌を刺しきりきりと締め付けるような寒さが襲う。

 隼人と春希は冷気から逃げるようにして近くの旅館へ駆け込む。木造二階建てのどこかノスタルジックな感じの古めかしい外見で、内装も蔵の跡などあり歴史を感じさせる、どこかホッとするような旅館だ。

 いきなり現れた高校生2人という珍客を出迎えてくれた女将と思しき女性に、春希が弱った様子を装い事情を話す。


「えぇ、こちらには部活絡みの集まりで。ちゃんと確認していなかったこちらも悪いのですが、手違いから予定してた宿の予約が取れてなくて……」

「あらあら、それは大変ねぇ」

「そうなんです、ほとほと困っちゃいまして。こちら、空いてる部屋はないですか?」

「う~ん……実は今日、うちも団体客が……」

「なんとかなりませんか?」

「そうねぇ……1部屋都合つけられなくはないかな。ちょっと狭いところなんだけど、それでもいいかしら?」

「えぇ、それで問題ないです」

「まぁまぁ! あ、食事は賄いみたいのしか出せないんですが……」

「そんな、全然! 素泊まりでも十分、ありがたいくらいで!」


 すっかり春希の言い分を信じ、こちらに同情を示す女将。

 こういう交渉ごとは春希に任せた方がスムーズにいくだろうと思っていたが、あまりにもの嵌り具合に頬を引き攣らせてしまう隼人。

 ちなみに部活で遠出してきて、うっかり宿が取れなかった風を装えというのは、母真由美の案だ。先ほど電話で今日のことを説明した際、大笑いしながら提案してくれた。それから駅前にあるようなチェーン展開しているビジネスホテルはマニュアル対応しかしないだろうし、こういう個人経営の旅館の方が色々と説得しやすいとも。

 我が母親ながら理解がありすぎるところに、何とも眉を寄せる。


「それじゃ、この宿帳に記入してね。あ、連絡先は保護者の方のものでお願い」

「はい」


 春希は女将から受け取った宿帳をこちらに回してくる。

 隼人はすかさず必要事項を書き込んでいく。住所や保護者の連絡先は霧島家のものだ。もし旅館から連絡がいったとしても、適当に対応してくれるだろう。

 最後に氏名欄に自分の名前を記入し、春希へ渡す。

 すると宿帳を受け取った春希は、しばしペンを片手に数拍固まり、そして氏名欄に『霧島春希』と書き込んだ。

 思わぬ行動に驚き、瞠目する隼人。するとこちらに振り向いた春希は、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。

 渡された宿帳を見た女将は目をぱちくりとさせ、「あら?」と、不思議そうな声をあげた。


「霧島隼人さんに、霧島春希さん……ご兄妹だったのね」


 当然のことながら、隼人と春希はあまり似ていない。女将の疑問はもっともだ。

 しかしそれを予想していたのか、春希はすかさず言葉を返す。


「あはは、正確には従妹です。だからあまり似てないでしょ? 実は私、田舎から出てきたから彼の家に下宿させてもらってて。だから同じ住所なんです」

「なるほどね、そうだったの!」


 女将は納得いったとばかりに笑い声をあげる。

 隼人が何とも言えない表情を作る中、春希はちろりと悪戯っぽく舌先を見せた。


◇◇◇


 ロビーで待たされること5分と少し。

 春希たちが先ほどの女将とは別の仲居に案内されたのは、1階にある6畳の和室。

 正面奥に障子付きの大きな窓、中央にはローテーブル、他にはテレビがあるだけ。前室や床の間、広縁などもなく、シンプルといえば聞こえはいいが、ともすれば殺風景ともいえる部屋だ。

 もしかしたら従業員の休憩室なのかもしれない。しかしこれはこれで、不思議と趣のある部屋だった。思わず、ほぅと感嘆の息が漏れる。


「お食事は部屋にお持ちしますね。今から準備するので少々お時間をいただきますので、それまでお風呂などどうぞ」


 仲居はそれだけ言って、すぐに去っていく。

 春希は鞄を置きコートを脱いだところで、座布団の上に浴衣があることに気付く。するとたちまち、今夜はこの部屋で隼人と2人きりということを強く意識してしまう。

 かつての幼い頃ならいざ知らず、今はもう互いに成長してしまっている。この年頃の男女が同じ部屋で寝るとなると、何か間違いが起きてもおかしくない。

 心臓がにわかに騒めき出す。もし隼人から求められたら――なんてことを考え仄かに赤面してしまうほど、春希は隼人のことを意識しまっている。

 だというのにその隼人はといえば、わくわくした様子で部屋のあちこちを興味深く眺めている。そして障子を開け、窓の外の様子を目にした隼人は、はしゃいだ声を上げた。


「お、雪だ!」


 春希は一瞬困ったように眉を寄せた後、努めて軽い足取りを意識して隼人の隣並び、同じように窓の外を眺めながら呟く。


「わ、ほんとだ。すごく冷えてきたもんね」

「これ、積もるかな? 明日起きたら、街がうっすら雪化粧してえたりして!」

「だといいね」


 春希はそう言いながら、ちらりと隼人の横顔を見上げて覗き見れば、子供のようなキラキラした瞳で雪を眺めている。それこそ月野瀬にいた時と変わらない、春希の大好きな表情で。


(……その顔も、ずるい)


 きっと初めての保護者に居ない自分たちだけの宿泊もあって、テンションも上がっているのだろう。隼人のことなんか、手に取るようにわかる。

 ――そして春希と、女の子と一緒だということを、あまり意識していないことも。

 胸がキュッと締め付けられる。

 確かに今までなら、春希も一緒になってはしゃいでいたに違いない。

 だけど今は、どうしてもまずは隼人のことを考えてしまう。

 自分だけ好きで不公平だ、なんて言いたいところ。

 隼人はそんな春希の心境などいざ知らず、のんきな様子で笑いながら言う。


「よし、夕飯までに風呂入ってこようぜ。なんだかんだ、今日は汗かいちゃったし」

「……そうだね」


 春希は顔を見られないようサッと逸らし、外の雪を眺めながら答えた。

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