71.誤魔化し


「あ、おかえりなさい隼人」

「お、おにぃ!」

「ただい……ま……?」


 帰宅して早々、隼人は妙な違和感から眉を寄せた。

 目の前にはリビングのテーブルで姫子の勉強を見ている春希の姿。最近では珍しくもない光景である。

 しかし春希の様子がいつもと少し違う。

 穏やかな笑みを浮かべ、ピンと背筋が伸びた姿勢で教科書に目と指を走らせる様は、それはまるで学校で見る猫かぶりのそれだ。居心地悪そうに背を丸めてる姫子とは対照的である。


「夕ご飯の準備かな? ボクも手伝うよ。今日は何かなー?」

「……おからコロッケ」

「揚げ物なの? カロリー大丈夫?」

「オーブンで作る、油を使わないやつだから」

「へぇ、そうなんだ」


 春希は妙にニコニコした表情でスカートの裾を気にしながら立ち上がり、いそいそとエプロンを付けていく。

 その所作は楚々として美しく、いつもの気の抜けた態度とは真逆で、覚えていた違和感がそのまま困惑へと変化する。

 どうやら機嫌は随分と良いようだった。話しぶりからは、別に猫を被っているというわけではないらしい。


「ボク、手を洗ってくるね」

「あ、あぁ」


 そんな春希の後ろ姿を見ながら、同じく困惑している姫子と目が合う。


「……なんだアレ?」

「あ、あたしのほうが聞きたいよ。今日はるちゃん学校で何かあったの?」

「わからん。何か企んでいる風な様子はあったけど」

「うぅ~、何か背筋がぞわぞわするっ」

「俺もだ」


 隼人と姫子は互いにぞくりと身を震わせる。

 どういうつもりなのかはわからない。

 ただただ不気味とも感じる態度だった。


「隼人ー?」

「あぁ、今行く」


 隼人は姫子の『なんとかしてよ』というジト目の視線を受け流し、肩をすくめながらキッチンへと向かう。

 そこで待っている春希は、涼やかな笑みを湛たたえながら調理器具を用意していた。いつもと違い凛とした空気を漂わせており、よくよく見れば今日に限って靴下も脱いでいない。

 春希の変わりようが気になるのは、隼人も同じである。


「で、どうしたんだ? 何があった?」

「あ、やっぱりいつもと違うって分かっちゃう?」

「わからいでか。姫子も首を傾げてるぞ」

「気になる?」

「そりゃあな」

「でも駄ぁ目。まだ秘密だよ、くすっ」


 そう言って春希は、ツンと人差し指で隼人の鼻先を突つつく。

 その顔は何かを企んでいるというよりかは、何かをやり遂げた勇者の顔、もしくは一線を越えて吹っ切れた賢者の顔じみており、どこか上から目線の様にも感じられた。


「…………うざっ」

「ふふっ」


 どうやら話すつもりはないらしい。隼人の抗議の声も、涼しい顔で受け流す。

 こういう時の春希が口を割らないということは、よく知っている。

 疑問や戸惑いよりも、そんな春希に対して苛立ちのようなモノが先行した隼人は、あきらめにも似たため息を吐いて調理に取りかかるのだった。




◇◇◇




 本日のメニューはオーブンで作るおからコロッケである。

 水を張ったボウルにジャガイモとカボチャを入れてラップをして電子レンジで茹で上げる。

 芋類を冷ましている間にみじん切りにした玉ねぎ、キャベツ、おから、そして鶏ひき肉をフライパンで炒めていく。酒みりん醤油で下味を付けておくのも忘れない。

 この2つを混ぜ合わせて成形し、別のフライパンでキツネ色になるまで乾煎りしたパン粉を塗してオーブンに放り込む。

 焼き上がる間にキャベツの千切り、余った野菜でみそ汁を作り、定番になりつつある茄子の一夜漬けを出せば完成だ。


「久々の揚げ物いただきまーす! って熱っ! おにぃ水っ!」

「姫子、お前な……」

「ボクも頂きます。うん、今日も美味しいね、隼人」

「お、おぅ」


 春希の態度は夕食時になってもそのままだった。

 上品に箸を使い食事を摂る様は、美しいのだがどこか浮いている。

 隼人は怪訝な表情を浮かべつつも、他に気になっていることを口にした。


「そういやもうすぐ週末だけどさ、映画何を見に行くか決まった?」

「……あ」


 姫子の口から間抜けな声が漏れる。

 映画館に行くこと自体は決まっていたが、それが目的になっており何を見るかまでは、まだ決まっていない。


「んー、強いて言えば『那由多の刻』かなぁ?」

「たまにCMで流れてるやつか」

「そそ、今見てるドラマ、10年の孤独の監督と主演の田倉真央が一緒でさ、それもあって話題に――」

「――っ」


 田倉真央――その言葉に反応した春希がビクリと肩を震わせる。

 一瞬の事だ。姫子も気付いていない。隼人がその春希の異変に気付いたのは、先日彼女を目の当たりにした時の春希の様子が気に掛かっていたからだった。


「あーそのだな、姫子――」

「――はい」


 何かあるのは明白だ。だがそれを無理に暴いたり喧伝することでもない。

 だから隼人はそれとなく他へと話題を誘導しようとしたとき、春希がやけに真剣な表情で声と手を上げた。


「Faith劇場版第3章を見に行きたいです」


 先程までの顔はどこへやら、妙にピリピリとした空気を纏っている。

 Faith、それは一昔前の18禁のPCゲームを原作とし、独特な世界観で人々を魅了して現在もなおスピンオフや世界観を受け継いだアニメ、漫画、ゲームなど様々なメディア展開をしている一大コンテンツである。隼人もそれほど詳しいわけではないが、いくつかの作品に触れた事があった。

 どうやら春希の顔から、熱狂的なファンだというのが感じ取れる。


「俺は別に特に他に見たいものもないし、問題ないぞ」

「それってアニメの? あたし名前しか知らないんだよね。3章って、いきなりそこから見ても大丈夫なの?」

「え。ひめちゃんFaith知らないの……?」

「面白い? 前から興味はあったんだけどねー」

「……へぇ」


 姫子の発言を聞いた瞬間、春希の目が聞き捨てならないとばかりにスゥーと細められ、そしてカチャリと箸を置く。

 にっこりと微笑むがその目は笑っておらず、大和撫子モードになっていることもあって、妙な迫力があった。


「ひめちゃん」

「な、なにかな?」

「凄くね、面白いの。凄くアツくて感動するの。見てないのは人生の半分以上損していると思うの」

「は、はるちゃん?!」


 そして春希はおもむろに姫子の隣に行ったかと思うと、慣れた手つきで霧島家TVのリモコンを操り、動画配信サービスにアクセスしていく。


「ほら、3章公開って事もあって劇場版1章と2章も配信してるよ。他にもテレビシリーズもあるね。ボクとしては二期目のルートがお勧め。アレは神。アクションシーンもさることながら、主人公の生き様に感動して泣かないはずがないよ、何度も泣いたよ」

「へ、へぇ、そうなんだ。でもね、今はご飯の時間だからね? 食べよ?」

「うんうん、ボクはアニメ二期のOPだけでご飯3杯はいけるよ。いいオカズになるね」

「あ、あのはるちゃん……? お、おにぃ!」

「……あー、今日の一夜漬けは塩がきつかったかなー」


 それは布教だった。

 オタク特有の作品の興味を持った者を沼へと引きずり込む、本能的なそれである。

 姫子は突然スイッチの入ってしまった春希を嗜めようとするが、もはや聞く耳を持ちはしない。

 隼人は経験上、春希がああなると何を言っても無駄と言うことを知っている。


 それに、春希が明らかにわざとテンションを上げているというのも分かってしまっていた。何かの誤魔化しでもあった。

 だから隼人は心の中で、姫子にご愁傷さまと頭を下げて苦笑する。


「出来ればね、原作のゲームをすることお勧め! 出来れば全年齢版のコンシューマーじゃなくて18禁の方! エロいところとかほとんどないし、あってもそのエロい部分こそが――」

「ただいまー……って、はるきちゃんも来てた、んだね……」

「――エロが……その……エ……」

「は、はは……」

「……」

「……」


 丁度、春希がエロと言う単語を連呼している時、隼人と姫子の父、和義が帰宅を告げる。

 最悪のタイミングだった。

 皆が皆、どうすればわからないといった空気の中、春希は気まずそうにしながら席に戻り、「みゃあ」と顔を赤くしながら小さく鳴く。隼人は無言のまま渋い顔を横に振った。

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