69.震える手


 その日の放課後。隼人は一度家に戻っていた。


「ハンコかサインお願いします」

「……サインで」


 父からのメッセージにあった通りの時間指定で届けられた小包を受け取る。随分と軽く、教科書程の大きさだ。内容品の欄には刺繍キットという文字が躍っている。


(……リハビリ用か)


 どうやら父が母の為に購入したもののようだった。

 隼人は自分で届けに行けばいいのに、と思いつつガリガリと頭を掻いて、着替えていない制服のまま病院へと向かう。


 天気は霧雨。少し陰鬱だ。

 生憎の空は傘を差すほどでもないというものの、不快になる程度には隼人の髪や服を濡らし、さっさと用事を済ますべく早足で駅へと身体を滑らした。




◇◇◇




 この地方最大規模を誇る総合病院は、隼人の通う高校よりも大きく、独特の威容と堅牢さを誇っている。

 中に呑み込んだ者を外へと逃さないという意志さえ感じさせるそこは、収容所さながらに感じてしまう。

 事実、隼人の母もここに病気という鎖で繋がれ、囚われていた。


 ここに来て隼人はあまり気乗りしていなかった。

 それは天気のせいなのか、病院という場所のせいのか、それとも春希や海童のことが気にかかっているからなのかはわからない。

 同時に、そろそろ顔を出さねばという使命感じみた思いがあるのも確かであり、父からのおつかいは渡りに船とも言えた。


「……はぁ」


 隼人は大きなため息を吐きながら、億劫に見舞の手続きを行う。

 思えば月野瀬からの引っ越しの一番の要因は、母の入院のためだ。父も随分と大胆な決断をしたと思う。

 だけど、引っ越したからこそ春希と再会できたのも事実だった。


(ああ、くそっ!)


 複雑な心境だった。考えは上手くまとまらない。

 頼まれたものをさっさと届けたら、このどこかむしゃくしゃした想いをぶつけるために、無駄に手の込んだコロッケでも作ってやろう――そんなことを考えながらエレベーターに乗り母の病室のある6階を押した。


「は?」


 エレベーターから降りた瞬間、思わず間抜けな声を上げてしまった。

 目の前に広がる予想外の光景に、隼人の理解が追い付いてくれない。


「ダメよ、女の子なんだから髪はちゃんとしなきゃ! 癖っ毛だからこそ似合う髪型ってあるんだから。腕が鳴るわぁ!」

「かかっ、すまんのう、霧島さん。うちは野郎ばっかの男所帯だったから、こういうのは疎くて。よかったな、みなも」

「あうぅぅ……」


 エレベーターを出てすぐのところにある談話スペース。

 そこでどうしたわけか自分の母親が強引気味に、せっせと三岳みなもの髪を弄繰り回している姿があった。周囲では彼女の祖父や、同室の人と思しき見覚えのある人たちが生暖かく見守っている。

 生き生きとした母の顔と、赤面してされるがままの三岳みなもの顔は対照的で、まるで彼女が玩具にされている様にも見えるがしかし、誰も咎める者はいない。むしろ、魅入ってさえいた。

 当然だ。

 その鮮やかな手つきで、みるみるうちに三岳みなもの髪が梳かされ編み込まれていく様は、魔法のような変化を彼女にもたらし、皆の注目をどうしたって集めてしまう。隼人のその1人だった。

 ものの数分もすれば、見違えるように可愛らしくなった三岳みなもの姿があった。


「ちょっと手間取ったけど仕上がりは完璧よ、うんうん、可愛い可愛い」

「お、おぉぉ、みなもが……みなもがえらいべっぴんさんに……」

「いやぁ、みなもちゃん見違えたね、これはすごいや」

「女の子って髪型1つでここまで印象変わるもんなんだなぁ」

「え、え、これが私……っ?!」


 三岳みなもの祖父は感動して拝みだし、顔なじみの人達もやんや、やんやと褒めそやす。隼人の母は鏡を渡しては、変わった自分に恥ずかしがり驚きつつも、はにかむ彼女の反応を楽しんでいる。

 編み込みハーフアップにされた髪型は、いつもの野暮ったさはどこへやら、むしろくせっ毛だからこそのあどけなさとちょっぴり大人な雰囲気を醸し出しており、隼人も思わず息を飲んだ。


(えーと、なんだこれ?)


 完全に隼人の理解を超えていた。

 ただ唯一分かる事と言えば、髪をちゃんとセットした三岳みなもは、想像以上に可愛らしいということだけだ。

 普段と違った姿で照れ臭そうにしつつも喜び綻ぶ姿を見せられれば、不覚にも心臓が跳ねてしまう。


「あら隼人、持ってきてくれたのね」

「お、おぅ」

「ふぇ?! 霧島さんっ、あの、その、これは……っ!」

「む、いつぞやの坊主!」


 そんな隼人の姿に気付いた母は、妙ににこにこした笑顔のままこちらへと手招く。

 隼人は先ほどの動揺を悟られまいと抱えていた小包をアピールするも、母の良からぬ顔は変わらない。そして恥ずかしがって祖父の後ろに隠れようとした三岳みなもの肩を強引に掴み、隼人の前に突き出した。


「どうかしら? みなもちゃん、すっごく可愛くなったと思わない?」

「あーうん、それはすごくかわいいと思う……」

「ふぇ?! あ、あわわ、私その……っ」

「おい小僧っ! 何みなもを口説こうとしとるんじゃ!」


 自信満々にそんなことを言われれば、隼人も咄嗟に、思ったままのことが口に出る。ごく自然な発言だった。


「あー、その、アレだ……」

「は、はい……アレ、ですね……」


 動揺してぱちくりと目を瞬しばたたかせる三岳みなもと目が合えば、隼人も自分の迂闊な言葉に動揺し、互いに目を逸らしてしまう。交わす会話は意味を為さない。

 そんな2人をニヤニヤ見守る母や顔なじみの面々、そして祖父の殺気を一身に浴びれば、さすがに居心地が悪くなり、早くこの場を立ち去りたくなってしまう。


「んんっ、とにかくこれな! 親父に頼まれていたやつ!」


 居た堪れなくなった隼人は強引に咳払いをして、小包を押し付けようとした時のことだった。


「……あ」


 ドサッという音があたりに響く。

 簡単な受け渡しのはずだった。

 隼人は母の手にしっかりと持たせたにもかかわらず、豪快に小包を床に落としてしまう。

 ついうっかりという体で母は困った顔を作るが、その小刻みに震える手は、周囲から言葉を奪っていく。


 ここは病院だ。それがただの偶然などではなく、入院の原因であるということを雄弁に物語っていた。


「んんっ、いやぁねぇ。時々こうなるのよ。隼人、荷物ありがとうね」

「……別に、これくらい」


 しかし隼人の母は努めて明るい顔と声を作り、先ほどまで震えていた手を振りながら、ケラケラと何でもない風を装う。


「これでリハビリも頑張るわ。それと……みなもちゃん」

「は、はい!」

「これからおじいちゃんのお見舞いに来た時、また髪を弄らせてもらっていいかしら? 私のリハビリにも丁度いいしね」

「え、ええっ?! いや、その、良いです、けど……」


 急に水を向けられた三岳みなもは驚き目をぱちくりさせ、どうしたものかと隼人の顔と隼人の母の手を行ったり来たりする。

 隼人も普段なら何か口を挟むところだが、先ほどのこともあり、どうにも曖昧な表情を三岳みなもに返すだけになってしまう。


 神妙な空気だった。

 しかし2人の心境なぞ知ったことかと、隼人の母は三岳みなもの手を取りぐぐいと顔を寄せて微笑んだ。


「うちの娘はもう、最近弄らせてもらえなくなっちゃって……あら、手が荒れてる。それにお肌も……ちゃんと手入れしてるのかしら? ダメよ、女の子なんだから!」

「はぅ、その、あの、野菜を育ててるからこれは……っ」


 そして今度は震えのないしっかりとした手でペタペタと三岳みなもを弄まさぐり出す。

 隼人の母はお節介なところがある。そして遠慮というものをあまり知らない。

 三岳みなもはされるがままで、どうしたことかと助けを求めるように隼人に視線を送ってきた。


「今日は帰ろう」

「き、霧島さんっ!?」


 何と言って良いかわからなかった隼人は、母に弄られている三岳みなもの手を強引につかみ取り、そのままエレベーターの方へと手を引いた。

 彼女もこの状況に困惑していたこともあり、これ幸いと引かれるがままになる。


「あら残念。隼人、ちゃんと送ってあげなさいよ」

「こ、小僧っ、みなもになにをっ!?」

「みなもちゃん、また来てねー」

「野菜の差し入れ、楽しみにしているよー」


 背後からは、皆の揶揄い混じりの声と、一部怒声が聞こえてきていた。

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